最終話 コスモスの咲き乱れる丘で

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最終話 コスモスの咲き乱れる丘で

 爽やかな風が、コスモスが咲き乱れる丘の上を吹き抜けて行く。グリーンの丸い飾りのついたベールのようなコスモスの葉が、サワサワと心地良い音を立てた。透き通るような空は目に沁みるほど青く、雲一つ無い。  牧師の衣装を身に纏い、暗褐色の長い髪を後ろで一つに束ねた美丈夫が、瑠伽に厳かに問いかけた。ハシバミ色の瞳は、半ば睨みつけるようにして瑠伽を見据えている。  「新郎瑠伽・サイラスは新婦真緒理あなたを健やかなる時も、病める時も。豊かな時も、貧しき時もあなたを愛し、あなたを慰め、命ある限り誠心誠意真心を尽くす事を誓いますか?」  その視線を真っすぐに受け止める瑠伽の瞳が、静謐にヒタリと輝いた。 「誓います」  落ち着いて答える彼のバリトンボイスと気品溢れる横顔に、白いベール越しに見ても惚れ惚れとしてしまう。白いタキシード姿は、以前と比べて筋肉がついたせいか男らしくて頼り甲斐抜群に見える。私はというと、今回は純白のオーガーンジーにプリンセスラインのドレスに身を包んでいる。スカートの部分にはパール色の薔薇の刺繍が隙間なく施されており、一見シンプルに見えるがよく見ると豪華なドレスを選んだ。  牧師役に扮する史桜のコホン、と小さく咳払いする音に慌てて我に返った。  「新婦真緒理は、新郎瑠伽・サイラスあなたを健やかなる時も、病める時も、豊かな時も、貧しい時も、あなたを愛し、あなたを慰め、命ある限り真心を尽くす事を誓いますか?」  柔らかく微笑みながら私に問う牧師に扮する史桜。 「誓います」  私も笑顔で、そして真摯に応じた。「指輪の交換を」という史桜の言葉に従い、白いベルベッドの小箱の中の二つの輝きの内一つを瑠伽の手によって、白い手袋を脱いだ私の左手薬湯に収められる。続いて私も、瑠伽の左手薬指の輝きの輪を収めた。生まれてからずっとそこにあったかのように馴染んだ感覚に、自然と口角が上がる。瑠伽も同じように感じていたらしく、視線が合うと自然に微笑み合った。  結婚指輪は、新しいものに買い替えようか今までのものをリメイクしようか瑠伽と話し合った結果、『過去の自分が今を作り上げた訳だから、無自覚に人を傷つけてしまった事、色々な人に支えられ助けられて来た事も全て忘れず、謙虚かつ感謝の気持ちを持って日々精進しつつ幸せに過ごしていけるように』と、リメイクをする事にした。リングの幅はそのままに、永遠を表現するように無限大マーク(∞)を入れ一か所捻りを加えた。更にリングの裏側に、互いの誕生石を嵌め込んで貰った。6月生まれの私は『アレキサンドライト』を、11月生まれの瑠伽にはトパーズ……彼の瞳の色をイメージして『ロンドンブルートパーズ』にした。  「……誓いのキスを」 史桜の言葉に、一瞬だけ胸が痛んだ。以前の挙式の際の形だけど口づけを連想したからだ。だがそれも次の瞬間、甘美な期待に鼓動が震えた。瑠伽がゆっくりとベールを取る。鼓動は期待に踊り始めた。瑠伽の形の良い唇が近づいて来るのを薄目で確認しながら、目を閉じた。トクン、トクン、と初心な少女みたいに鼓動が高鳴ってしまう。微かな春風が芽吹き、唇に柔らかな粘膜が触れる。マシュマロに軽く唇を挟まれたような感覚と同時に、無意識に軽く開いた唇の隙間から熱い舌が滑り込むと小鳥が餌を啄むように軽く私の下を噛み、サッと離れて行った。しばし呆けていた私に、瑠伽は艶然とした笑みを向ける。カッと頬が熱く感じた。  「おめでとうございます! これで二人は、夫婦になりました!」 今まで大真面目で牧師役に徹していた史桜は、砕けた口調でそう宣言すると、私たちに向かってニヤリと意味有り気に破顔した。  「お目でとう! お二人さん」 背後から、菜乃の声。まさに喜色満面で見ているこちらも安堵する。コテコテのゴスロリ姿が本当に可愛らしい。  「お目でとうございます。本当に良かった……」 一言一言噛みしめながら感慨深く話す蓮に、頭の下がる想いだ。紋付羽織を着ている彼は、桜吹雪と日本刀がよく似合う。さながら乙女ゲームから抜け出して来たかのような美形だ。誰もが二度振り返って見るだろう。  その蓮と、バージンロードに見立てたコスモスの花咲く丘の登り坂を彼のエスコートで歩いた。坂上で待っている瑠伽のところまで。蓮は心なしか、涙ぐんでいるように見えた。特に彼には、終始心配をかけ通しだった。これで、少しは安心してくれると良い。後は日々の生活で、彼自身に安心して貰えるように過ごして行こう。  あれからひと夏をこえ、爽やかな秋晴れのとある土曜の午前中の事。軽井沢の塔本家の別荘の一つに来ている。敷地内にコスモスの花が咲き乱れる丘があり、丘の頂上を教会に見立てて結婚式の仕切り直しをしたのだ。私と瑠伽が、からになった事のけじめをつける為に。全てを知り尽くしている蓮、史桜、菜乃の三人にとなって貰う為に。勿論、真似事ではあるが散々心配をかけ助けて貰った彼らにして貰う意味も兼ねて。コスモスは、私と瑠伽が初めて出会った時の思い出の花故にそこは厳選し拘った。  蓮と菜乃、史桜が予め用意してきたシャボン玉をそれぞれ手に構えている。私は瑠伽と頷き合うと、蓮、史桜、菜乃と左から並んでいる順に目を合わせ、手にしていた白いコスモスのブーケを右手に掲げた。エイッとばかりに丘の下に向かって放った。そのブーケに向かって一斉にシャボン玉が舞う。逆光になっているから、陽光に照らされや白いコスモスがパール調に輝いて見えた。シャボン玉が無数に舞って、ブーケと一体化していくコスモスの丘をキラキラと彩る。シャボン玉に入った妖精が、光の欠片を巻き散らしているような錯覚を覚えた。初めて蓮と出会ってから今に至るまで、様々な出来事が走馬灯のように脳裏を駆け巡っていく。やがてそれは、万華鏡のように神秘的な模様へと変貌を遂げた。  丘の上のトネリコの木陰に持ちこんだそれぞれの楽器を手に、一同は輪を作る。私がキーボード、瑠伽がヴァイオリン、蓮がチェロ、菜乃はフルート、そして史桜は琴を。私たちは少しの間それぞれの楽器をならした。史桜の琴が加わるのは初めてだが、和と洋が調和してポップで親しみ易い感じに仕上がりそうだ。  一瞬、サラリと秋風が私たちの頬を撫でて行った。それを合図に、私は瑠伽、蓮、菜乃、史桜と目を合わせていく。それから一呼吸置いて、キーボードに指を滑らせた。  パッヘルベルのカノンの優しい旋律が、コスモスの丘に奏でられ始めた。花々が歌うように風に身を委ね、木陰から木漏れ日が祝福を与えるように煌めき、静かに瞬いた。  【完】  
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