ノンシュガー

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「しないのぉ?」 揶揄の混じった声を聞きながら、おしぼりで口を拭く佑はぎろりとそちらを見遣るも迫力等は皆無。 それは自覚している。 (ここが離れで良かった…) 結局人の目を気にした結果こんな事を思うくらい、心臓は大きくないのだから。 「しねーよ」 だが、ノーは言える日本人でありたい。 「何で?気持ち良くなかった?いや、絶対良かったっしょっ」 「そこが問題じゃなくねーか、普通…」 「てか、一回やったんだから二回も三回も変わらんくない?」 いや、変わってしまう。 じとりと常葉を睨む佑はまた項にそっと指を這わす。 (わかってるけどさぁ…) 正直に言ってしまえば、経験した事の無い快感だった。 同じ男だからなのか、気持ちの良い所を探り慣れていると言うか、知り尽くしていると言うか。腹の奥からじわじわと湧き上がる吐精感。 頭の中が真っ白になってからの事はほぼ覚えていないが高揚感に満たされた事は分かった。 痛いと思っていた、噛まれた項もーー。 だからと言って、 「やらねーってば」 「えー残念。僕結構気持ち良かったから、もう一回くらいは、って思ってたんだけど」 「他を当たってくれ…」 「お誘いも断ったのにぃー」 ーーあぁ、 『皆の誘いも断ったんだから責任取ってよー』 そっちの意味も含まれていたのか。 「それは俺の責任じゃないだろ」 「ちぇ」 ぷくりと頬を膨らませ唐揚げを齧る常葉は本当にもう一回やるつもりだったのか。 この飄々とした雰囲気と軽いノリの態度から真意は分かりづらいが、二度目等あっては堪らない。 伊達に彼よりも数年多くは生きていない。 人生経験は自分の方がそれなりにあるのだから、懸念はあるのだ。 (癖になったりしたら、たまんねーっつーの…) 敢えてそんな面倒な道を選ぶ様な真似はしない。 残ったビールを全部飲み干し、ぷはっと息を吐いた佑は焼きおにぎりを運んで来た店員に今度はハイボールを注文した。 「大丈夫?飲み過ぎないでよぉ」 「おう」 男で快感を得る、なんて。 ***** 『ちょっと、時間があったら店に来なさいっ』 安達から誘われ、店へと足を運んだ休日。 待ち受けていたのは背後にごぉぉぉぉぉぉぉっと黒い空気を纏った、顔だけでなくマッチョの陰影も濃い店主兼友人。 (…俺、何かしたっけか?) ただならぬその雰囲気に開けた筈の扉を閉めようとした佑だが、 「さっさと入ってきなさいよっ!!いつまでも入口に居ると邪魔よっ!!!」 怒れるオネェは怖い。 スライディングも鮮やかに店内に流れ込み、カウンター席に着席。まだ客が居ないのが幸いだ。 「何飲む?」 丸太だな、と目の前で組まれている腕に刮目しながらも、佑が取り合えずビールを注文すれば細身のグラスに注がれたそれがテーブルに置かれた。 「あんた、知ってるの?」 「何が?」 此処に呼び出された理由もこの安達の機嫌の悪さ。 主語の抜けたこの問もさっぱり意味が分からない。 首を捻って見せれば、露骨な溜め息も追加され、益々佑の頭には疑問が植え付けられ、ハテナマークを量産させる。 その様子に、一瞬眉を潜めた安達はふぅーっとまた溜め息。 「由衣ちゃんのことよ」 「由衣?」 今頃になってその話題が出てくるとは。 「由衣がどうかしたのか?」 「…誕生日の次の日にあんたに振られたって、周りに言いふらしてるみたいよ」 「…………ほう」 口付けたビールの苦みが増した気分だ。 ごくっと飲み干し、つまみに出されたサラミを摘まむ。 「何だかんだあの子とは大学からの付き合いでしょ?共通の知り合いだって多いから、あんたが余計な事を言う前に、自分から発信したんでしょうね、都合の良い様に」 ぎりっと拳を握りしめ、奥歯を噛み締める安達のこの荒ぶった黒いオーラは怒りからだったのか。 「……そっか」 「そっかじゃないわよっ、あんた悔しくないのっ!!?」 「えー…あー…そりゃ、まぁ…」 ある事無い事言っているであろう由衣に腹が立たない訳ではない。聖人君子でも無ければ、ガンジーを崇拝している訳でもない。 だが、それ以上に感じてしまうのはこの安達の動向。 他人の為に感情を左右し、自分事の様に憤ると言うのは何だか照れ臭いものを感じてしまう。 大学時代は野球に燃えていたこの男。 いくらマッチョなオネェにジョブチェンしても、こう言う熱い根本的な所は大学時代から変わらない彼の長所だろう。 「でも、俺別にどうでもいいかな」 「―――…は?」 ぎろりと睨む眼光と地を這うくらいの低い声が男そのもの。 いつものしなっとした柔らかさが微塵も見えず、ごきゅっと佑の喉から不可解な音が鳴り、慌てて首を振った。 「いや、違くて、俺と由衣の共通の知り合いって言うけど、俺が重要視してる付き合いのある人間なんて限られてるし、多分そいつらは由衣よりも俺の事信用してくれると思うんだよな」 安達みたいに… 最後の方は照れ臭さから口籠ってしまったものの、相手には伝わったらしい。 ひしひしと肌からも伝わっていた禍々し空気がすーっと引いて行ったのが感じ取れた。 「…まぁ、そう?あんたがそう言うなら、いいんだけど。そりゃあたしだって他の人に聞かれたら訂正はするけどさぁ…」 真っ赤に塗った唇を尖らせ、そうぶつぶつと納得はしていない風な物言いではあるが、耳も唇に負けないくらいに赤くしている安達に、こっそりと笑う佑はまたビールに口を付けた。 (正直、もうどうでもいい話だしな…) でも、世の中とは、そう甘いモノでは無いらしい。
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