1mも無い

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そこには、値引きと表記されてはいるが、中にはいくつもの食器や陶器。 おもむろに手に取って回し見しても、まだすぐに使えそうな、とても綺麗なものばかり。何らかの理由があり、店頭に並ぶ前にこうして叩き売りされているのかもしれない。 箸もあったりと、中々のバリエーション振りにしばし思案する佑はその中から、取り出したのはマグカップだ。 猫の尻尾を模った取っ手が着いている真っ白なカップだが中を見れば、薄っすらと見えるのは猫の肉球。コーヒーや紅茶を飲み干せば、浮き上がる仕様になっているそれ。 (可愛い…) 千三百円が五百円にまで値引きされたお買い得商品だ。 バリエーションも色々あり、猫だけでも黒猫、三毛猫、そしてライオン、虎、豹と可愛らしい尻尾があるものの、購入したのは矢張りこの白い尻尾のカップ。 (常葉って感じもあるしな…) 佑の家にあるカップはひとつのみ。 コーヒーを飲む際、そのカップは佑が利用し、常葉は湯呑を使用していたのだが、流石に持ち手の無いそれは熱がダイレクトに伝わるのだろう。 『あつ…』と呟く姿に勝手に来ておいて…と咎めたくなる反面、若干胸を痛めるものはあった。 「仕方ない、仕方ない…」 それに置いてあるだけでも可愛いし、良しとしよう。 次はいつ来るかも、連絡先すらも知らない男の為、マグカップを購入してしまった自分に疑問も持たず、夕飯は何にしようかと考える佑はふわりと空を見上げた。 ぐっと日が沈むのが早くなり、寒さと共に闇を滲ませる空気はもうすぐ冬を呼ぶ。 ***** それから二週間、購入したカップは使われる事無く、棚に置きっぱなしにされている。 意外にも意外、あれから常葉が佑の元へ来る事は無かった。 窓の外とたまに見ても見かけず、バイト先にも表れる事無く、至極穏やかな日々。 友人である津野が来て、たまに愚痴っていく程度だ。 先日絵本のコンテストにも応募は済んだ。本日も無事バイトを終え、ふぅっと息を吐くと上着に顔を竦めた。 (寒くなったな…) そう言えばマフラーは去年酔っ払った際に何処かに無くし、安達からグダグダと母親の如く説教を受けたが今年は購入した方がいいのだろうか。 飲み過ぎには注意せねば。 そんな事を考えていれば、スマホに届いたメッセージはナイスタイミングの安達から。 【暇なら遊びに来なさいよ、他のメンツも誘うから】 その御誘いにしばらく斜め上を見上げ腕組みした佑だが、 (――まぁ、息抜き、に…) 飲むのが駄目なのではない。飲み過ぎるのが駄目なだけ。 折角作業も終わったのだ。 明日、明後日も休みが入っている。 建前にしては十分すぎる程。 【行く】 素早く返事を打ち、佑は早速足早に駅へと向かった。 ***** 「…安達、何お前何で坊主…?」 店の扉を開けた先に居た、久しぶりに会った友人はショートベリーのオネェから坊主頭のオネェになっていた。 然程変わらない風貌ではあるが、そんな佑の問いに安達自身は不機嫌そうに眉を潜め、眉間には硬球がめり込んだのかと思う程の深い皺。 「美容室に頼んだ色が全然イメージと違うくてぇー。染め直すのも面倒だし、一気に刈ってやったのよ」 「へぇ、俺はまた高校球児にでも恋したのかと思ったわ」 「いやねぇ、あたし犯罪は犯さないわよぉ。しかも年下なんて絶対にタイプじゃないものぉー」 津野と岡島も既に到着しており、軽く挙げた手の反対側にはしっかりとグラスが握られている。 珍しく定時上がりからの直帰だったのか、まだ六時を過ぎたばかりだと言うのに、スーツ姿の彼らは安達とは違い、既にご機嫌だ。 「おい、松永、こっち、ここに座れっ」 「はいはい…」 津野が自分の隣の椅子をばんばんっと叩き、促されるがままに佑はそこに座ると早速生ビールを注文。 安達の逞しい腕から注がれたそれはすぐに佑の手元に運ばれ、軽く乾杯を終えるなり、一気に体内へと収められた。 「はー…うまい…っ」 食道を通り、冷たい液体が体内に入り、染み渡っていくこの感覚。 夏ならばもっと旨いのだろうが、労働の後の一杯と言うのも何とも言えない格別感があると言うもの。 「はは、もうすっかりおっさんだよな、俺等も」 「本当だよねぇ、風呂上りのビールとかもう欠かせないもん」 津野と岡島の笑う声に、安達も自分の顔をぺたりと触ってみせた。 「分かるわー。最近肌が変わって来たのが分かるのよぉー。やっぱり若い時の手入れと一緒じゃダメなのよね…メイクしたまま寝ちゃうとすぐに荒れちゃうし」 正直その気持ちはよく分からんが、確かに若い時とは違う。 特に最近は比較できる相手が居ただけに、自分の衰えも直視出来たと言うか、現実を見せらた気がする。 まぁ、それが常葉と言うのも比較相手には不適合だと言う事は分かってはいるが、それでも… (体力が…違う、とは思うよな…) 巡るめく記憶の中にある常葉との情事。 挿れる側、挿れられる側と違いはあるものの、すぐにバテた佑とは違い、瞬時に復活、次のラウンドに備える事が出来るあの男の若さに恨めしく思った程だ。 その上すぐにキスを強請るのも若さ故の特徴なのだろうか。 自分達が二十歳くらいの時はそんなものだったかと思い出すも、何ら思い出せないのだから、これまた比較のしようもない。
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