1mも無い

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まだまだ賑わう人々の隙を縫う様に早足で抜け、自宅へ一直線。 今日はスーパーにも寄らずに、本屋も覗き見する事は無い。 帰ってまったりとする事しか佑の頭には無いのか、素早い動きは普段の何倍もあると自覚しながら真っ直ぐに前だけを見つめるも、 (ーーーん?) 少し先を歩く周りの人間よりもひとつ抜きん出ている頭に眼が留まる。 それは銀の色。 背中の真ん中辺りまである、その銀色の髪は知人には一人しかいない。 いや、知人と呼んでも良いべきか、と思うがこの際どうでもいい事だ。 今時銀色の髪なんて珍しく無いかもしれない。 でも、あの艶々としたキューティクルを囲っているかの様な遠目でも分かる良質な髪質。 サイドに流した三つ編みの状態でも分かるそれに、疑念は確信へ。 (常葉だ…) 反射的に声を掛けようかと、思った佑だがすぐ隣に誰かの影を見つけると挙げ掛けた手をぴたりと止めた。 じっと見詰めた先に居るのは、常葉とその腕に自分の腕を回す、女性。 (…はー…ふんふん、なるほどね…) つまりはデート中と言うやつなのだろう。 その証拠に常葉がふわりと優しい笑みを向けると、女性は嬉しそうにその腕に傾れる。 それを甘んじて受け、そっと抱き寄せる仕草は見た事の無い姿だ。 ぐでっと寝転ぶ常葉でも、キスだ何だとねだる姿でも無く、駄々を捏ねて甘えるでも無い。 「そっか…ふーん…」 忙しい、と言う事か。 そりゃ自分の家に来る筈も無い。 カップが無駄になったかなとも思うが、誰か来た時にでも役には立つ。 ふぅっと肩を竦め、また上着に首を埋めるも横断歩道で止まったらしい人の波に佑も足を停めた。 前に居る常葉達も間に合わなかったらしく、同じ様に足を止め、何やら談笑する姿は見ていて微笑ましいものだ。 若いとはいいな、だとか、恋人羨ましいだとか、そう言った類では無く、 (………うん?) ーーーーー何だろうか? 変な感じ、だ。 今一瞬何を思ったのか、自分自身の事なのに思いだせもしない。 痴呆か? 思わず自嘲気味に笑いそうになった佑は俯き加減に 眼を伏せるも、周りの足が動き出した事に慌ててすぐに顔を上げる。 信号が青に変わったようだ。 ーーーーーあ、 流れに沿って歩き出そうとした佑の眼に此方を振り向いた常葉が映る。 涼しげな眼が面白い程に見開かれ、動きを停止させた事に女性の方が訝しげにその腕を掴み、揺らす。 それにはっと我に帰ったのか、ぎこちない笑みを浮かべ頭を下げながら歩き出す常葉にまたぷっと吹き出す佑は口元に手を当てた。 (何やってんだ…) 横断歩道を渡り、左へと曲がる常葉達は駅へ向かうのかもしれない。 その瞬間ももう一度振り向いた常葉に、ひらりと手を振り、右へと曲がった佑は帰宅するのみ。 何とも対照的だ。 リア充め、なんて一般的な愚痴を零しつつ、少しだけ寂しい気分になった事は誰にも言うまいと足早に自宅へと戻った。 シャケもきっと焼き頃だろうな、なんて思いながらーーーーー。 ゆったりと浸かった風呂も最高に気持ち良く、立ちっぱなしだった足を癒してくれた。 フライパンで焼いたシャケも旨かった。 簡易で作った味噌汁もそこそこに腹を満たすには十分なもので、デザートにオーナーからお裾分けで貰った梨を剥けば、これだけで満足した一日が終えられる。 すぐにゴロリとベッドに倒れ込み、あー…っと腹から声を出しつつ、身体を伸ばす佑はそのまま欠伸をしながら目を閉じた。 明日は休み。 家の掃除をし、ゴミの分別、ついでに切れそうなキッチンの電球でも変えよう。 風呂の排水溝もそろそろ薬を入れておかなければ。 やる事は意外とあるのだ。 そうやって日々専業主婦も本当に忙しい日々を送っているんだ、なんて店に来る奥様方の話題を思いだしながら、まったくだな、とふふっと口角を上げるが、 ーーーーコンコン 不意に聞こえた音にゆっくりと眼を開けた。 (…何?) 気の所為?と眼を細めると、また聞こえる音。 「……あ?」 それは佑の部屋の扉から。 疲れからか、反応が遅れたがまじまじと扉を見遣り、次いでスマホを確認すれば、もう二十三時になろうとする時間。 一体こんな時間に誰が来たと言うのだろうか。 安達や津野達ならば連絡の一つはある筈。 (酔っ払い…?) そう言えば以前隣の部屋の人間が自室と間違えて入り込もうとしたのを思い出し、またかよ…っと髪を掻き上げながら立ち上がると扉の方へと近寄った。 「…どちら様?」 けれど警戒は忘れない。 もし本当に変な人間だったならば、未曾有の大事故にもなりかねない。 安達達のネタになるくらいならいいが、新聞沙汰は御免だ。 佑の低い声は扉の向こう側に聞こえたのか、ノックの音が止むなり、息を呑む声が聞こえる。 「誰?」 もう一度声を掛け、スマホを握りしめたが、 「あ、あの、私…」 予想もしていなかった高い声音は女性のもの。 しかも、 「…え、由衣?」 聞き覚えのある声は確かに由衣の声。 ぎくりと心臓が跳ねたのは、決して歓喜からでは無い。 (何で…勘弁してくれよ…) 嫌悪にも似た感情から。 だが、そんな佑の気持ち等露知らず、由衣は扉越しにまた声を掛けた。 「あ、の、謝りたくて…」 いや、もう本当にいいから、そういうの。
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