1mも無い

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佑の中で思う事は、兎に角帰って欲しいと言う事。 大体こんな夜中近くに当たり前に来て謝罪させて欲しいなんて、非常識にもほどがある。 ついでに林檎を片手で握りつぶし、『100パーセントジュースよ』なんて十八番芸を持つ筋肉オネェの言う通りになってしまったのも癪過ぎる。 大体色々悩み抜き、色んな思いを抱えて来たのかもしれないが、女がこんな所に一人で来るなんて。 ――ー危機感は無いのか。 どこかズレた事を思いながら、ぎりっと唇を噛み締める佑だが、取り合えず今出来る事と言えば、ただひとつ。 「あの…遅いし、帰って貰ってもいい?」 と、言うかお願いします。 「謝罪はもういいって、言うか、大丈夫だから…油断してると終電だって、」 あくまでも言葉を選び、相手を傷つけない様に。 傷付けられたのはこちらだと言うのに、何故に此処まで気を遣わねばならぬのか。 解せないにも程があるが、扉越しにそう優しく声を掛ければ、 「…開けて、くれないの?」 「……………」 いや、無理だって…。 しかも、ぐすっと聞こえる啜る音は明らかに泣いているのでは? 冗談じゃない、ご近所さんに見られたらどんな男と勘違いされる事か。女を泣かせる程度の浮名ならいいが、DV男なんて異名は御免だ。 しかし、だからと言って家にほいほいと上げていいものか。 『ああ言う思考回路の持ち主って、普通の人が想像もしないような事するでしょ』 (そうだよな…、うん、まじで…) 今、この時点で若干可笑しい事をしているのだから。 安達の助言を思い出し、さてどうしたものかと頭を抱える佑の顔色は宜しくない。 「ねぇ、佑、佑ったら」 再びドンドンと叩かれる扉。 びくっと肩を揺らす佑。 第三者が見たならばホラー意外の何物でもない。 いい加減苛々も溜まって来た。 本当に何でこんな女性になってしまったのかと憤りも集まる。もしかしたら、距離を置かれた友人達に和解したと、とりなすつもりなのかもしれない。 「…あーもう…」 サンダルを履き、チェーンは掛けた侭、ゆっくりと開錠し扉を開ける。 「佑、」 開けて貰えたの思ったのか、ぐいっと扉を向こうから開けようとする由衣だが、チェーンのガシャっという音に阻まれ、少ししか開かない隙間から、露骨に眉間に皺を寄せた表情を見せた。 「何で、開けてよ…私ちゃんと謝りたいから来たのに…」 「いいよ、大体謝罪だって必要無いって言ってんじゃん」 我ながら抑揚の無い声だと思うのだから、他人が思わない筈がない。 何の感情も見えないその声音に傷付いた風に俯く由衣の身体が小さく震えるが、もう此方は付き合ってはいられないのだ。 「まじで帰って。で、もう来ないで」 「どうしてそんな事言うの?付き合ってたんだよ、私達…それなのに…私…本当に佑に、」 「だから、どうでもいいんだって。お前にも悪い事したと思ってるし、お前だって俺に悪い事したと思ってるんならそれで相殺でいいしっ、いい加減ウザいっ」 若干語気が荒くなってしまう。 持田の時は穏やかな気持ちで謝罪を受け入れる事が出来たのに、矢張り自分勝手な気持ちの押し付けは迷惑でしかないのだ。 「佑ぅ…一度でいいの、開けて…」 「いや、もう…」 ほら、勝手にこんな時間に来て、迷惑だって言ってもこんな所で立ちっぱなしで泣いて。 確かに少しワガママで甘えん坊な所が可愛いと思っていた頃もあるけれど、 「邪魔、なんだけど」 ぐっと拳を握った佑に聞こえて来た声は扉の向こうから。 でも、由衣より遠い。 そして、聞いた事のある耳障りの良い、それ。 「物理的にも精神的にも、邪魔でしょうがないんだけどぉ」 また聞こえた声に弾かれる様にチェーンを外し、由衣が居るにもかかわらず、外を覗き見れば、階段を上がったばかりの、ビニール袋を片手にやたらと足の長い男が一人、ぎろりと眼を細めていた。 「……とき、わ」 「あ、こんばんは、佑さーん」 ひらりと手を振り、にこりと佑へ微笑むが、すぐにその眼は由衣へと向けられると、また侮蔑を含んだ色に変わり、ちっと舌打ちまで。 見下すその眼はいつもの透明度は無い。 「聞こえないの、邪魔だってば」 「わ、私…?」 びくっと肩を震わせながらも、しっかりと目の前の男の顔を凝視するのは半ば本能のようなものだろう。 どんな場面でもいい男は、チェックしておきたい。 散々開けろと叩いていた扉が開き、当初の目的を達成したと言うのに、こちらを見ないと言う由衣にうんざりしそうだが、それは此方も似た様なものかもしれない。 常葉の声が聞こえたと言うだけで、反射的に扉を開けてしまったのだから…。 「由衣、」 「え、あ、た、すく、あの、」 ようやっと此方に顔を向けた女にきっぱりと伝わる言葉は一体何だろう。 深呼吸ひとつ。 「帰って。二度と来ないで欲しい」 辛辣な位が丁度いいのかもしれないが、酷く心が痛んだのはきっと理由なんて無いのだ。 呆然として佑の言葉を受けた由衣を押しのけ、佑の部屋に入る瞬間、 『これ以上しつこいならケーサツ呼ぶからぁ。さっさと帰れ』 そんな追い打ちを掛けた常葉は今、当たり前の様にベッド脇に腰掛け、家主の淹れるコーヒーをテレビを見ながら待っている。 やっと出番を迎えたあのカップ。 一応と拭き上げ、温めたそれに佑はコーヒーを注いだ。
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