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口から噴き出たビールは少量だが、残りは鼻へと。
「ぐぁ、は、鼻っ、ビールが、いてぇぇ!」
「ちょ、何やってんのよ、あんたっ」
「お前がいきなり、んな事言うからだろうがっ!!」
安達からペーパーナプキンを受け取りながら、恨みがましい眼を向ける佑の心臓は違う意味で煩い。
「何よ、この界隈でのジョークでしょぉ?」
ーーお前のは冗談にならねーんだよっ!!
恐ろしい界隈でしかない。
鼻から流れ出る生温くなったビールを拭き取り、咳き込む佑の眼は涙目だ。
「じゃあ、何なのよ」
「絵本の、コンテストの佳作に引っかかって…今度持ち込みしてみないか、って誘われたんだよ…」
ついでに近くにあったダスターでテーブルを拭けば、
「え?そうなのか、すげーじゃねーかよ」
何処か上擦った、素の安達の声。
「んー…やっぱ、嬉しくて…ちょっと報告に…」
そうなると今度は照れ臭い感情がぶわっと顔に集中し、赤くなっていくのを感じる。
限られた友人のみが知っている佑の夢。
それを表立って応援してくれた訳では無いが、馬鹿にされた事も否定された事も無い。
それだけに少しでも進んだ現実は、佑にはにかんだ笑みを与え、その様子に安達がふんっと息を吐いた。
「まぁ、やっと進んだのね」
「ほんの少し、だけどさ。それでも評価された文字見たら、感動してさ」
ぐいっと残りのビールを飲み干し、うひっと笑う佑に仕方ないわねーと肩を竦めた友人が冷蔵庫から取り出してきたのは白い箱。
「これ、うちのダーリンがくれたんだけどね」
「……へぇ、何これ」
「ケーキよ、ケーキ」
「ケーキ?何でまた」
「あたし達の出会って一ヶ月記念だーってっ!もうカッコいいー!素敵だわぁ、トーマスって最高じゃない!!?」
「悪いが機関車しか出てこんのだけど」
一体何処のトーマスだと存じ上げない男の存在に首を捻る佑だが、白い皿に乗せられたケーキにフォークを添えられる。
「ひとつだけあげるわ。ささやかなお祝いよ」
「ーーーーへ?」
「結構有名なケーキらしいから。心して食しなさいよ。はい、かんぱーい♡」
ついでだと有難迷惑なウィンク付きのお気に入りワインまで用意してくれた安達に若干の胸焼けを覚えながらも、じわりと温かくなる胸をそっと隠す様にフォークを手に取った佑は、目の前のチーズケーキへと差し入れた。
不意にスマホが震えたのは、それから一時間後の事。
段々と増えた客を相手にしながらも、安達の他愛無い話にうんうんと相槌を打っていた時だ。
「…あ、悪い、電話だ」
元々そんなにアルコールに強い訳では無い佑がすっかりご機嫌よく画面をタッチ。
「はいはーい、」
誰かを確認する事も無く、軽いノリで出てみれば、
『…佑?何処に居んの?』
訝しげに聞こえてくる声に、はっと眼を見開いた。
「え…?常葉…?」
『そう。何処にいる訳?』
もう一度そう問われ、ぽわっとしている頭を取り敢えず回転させる。
「えーっと…安達んとこ」
『安達?あー…和さんのとこかぁ』
いつもよりも低い声に聞こえるが、それは電話越しだからだろうか。
「何、お前どうしたんだよ」
『家に行ったら居ないから、心配して電話したんだよ』
「心配って、お前…」
二十五の男に言う言葉では無い。
大体まだ二十一時前。何を思って心配何かしているのだろうかと、ふっと息を洩らしたが、ん?と首を傾げた佑はスマホを握り直した。
「お前こそ家って…俺の家に来てんの?」
『そうだよ』
「……課題は?」
確か課題期間に一週間ほどあると言っていた筈。
まだ三日目の今日、一息吐きにでも来たと言うのだろうか。
そんな佑の心を読んだのか、『サボりじゃねーから』と聞こえる。
『終わったの』
「ん?」
『課題、終わらせたから佑んとこ来たんじゃん』
「え?早くね?」
思った事をそのまま言葉で伝えると、電話の向こうから聞こえたのは溜め息だ。
『あんな課題くらいなら二、三日あれば十分だよ。ってか、飲んでる?』
「そりゃ、まぁ、」
だって、今日は、と言い掛けた所でその言葉は遮られた。
『今から行くから、そこに居て』
ーーーーは?
佑の返答も聞かずに切れた通話。
ツーツーっと聞こえる電子音にスマホを覗き込むも、すぐに待ち受け画面へと変わり、暗くなった画面には間抜け顔が写った。
(ーー来る?ここに?)
しばし、ぼーっと常盤の言葉を反芻する事数十秒。
(やべぇ…出ないと…)
ガバッと顔を上げた佑の顔は真顔だ。
こんな所に常葉が迎えに来たとなっては、安達に何を言われるか分かったもんでは無い。
五つも年下の、しかも学生の美形な男に手を出しているなんて、格好のネタ過ぎる。
ハイエナに新鮮なインパラを放る様なものだ。
荷物を纏め、上着を羽織る。
安達が客の相手をしている間にこっそりと金を挟んでおこうと伝票に手を伸ばそうとした佑だが、
「あ、そうそう」
タイミングが良いのか悪いのか、戻ってきた安達がにやりと笑う。
「あんた、恋人って何処の男なの?」
「ーーーーへ…」
「冗談で言ったのよ、勿論」
ーーーー恋人ね、しかも、抱かれてるとみたわ
「でも、あんたの反応見てたら、当たっちゃったんだなーって思って。あたしの推理力舐めないでよね」
何を推理力を鍛えているんだ。
お前が鍛えるのはその筋肉だけでいいんだよ。
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