遣らずの雨

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いや、無理だろ。 若い子のノリで一時の感情に流されてはいけない。 顔出し動画しかり、カップルチャンネルしかり。 握られた手をぎゅっと握り返し、ふんぬぅっと勢いよく顔を上げる。 ここは大人たるもの、きちんと言い聞かせねばならぬ。大体今迄が流され過ぎなのだ。その辺の素麺並みに流されるとか、どうなのだろう。 果肉の入ったつぶつぶみかんのジュースの最後まで取れないみかんの粒程には粘りをみせたい。 「常葉、やっぱ、」 「…うん」 「…………」 何、そのしょぼん顔。 普段すっと通った眼に緩やかな眉がぐぐっとヘタレたその表情。胸を押さえ、ストレッチャーに乗せられた自分が脳内を高速で通り過ぎる。 (あああ…もう…か、っ、かー…っ) ――――可愛い… 握り直した常葉の手を引っ張り、安達の店の隣の路地へと引き込む。 薄暗いそこに光はわずか。 店が隣接している為に裏口用のドアなんかもあるが、そんなに頻繁に使用している訳ではないだろう。 自分よりも背丈のある身体を壁に押し付け、細い首に手を伸ばし、半ば強引に唇を当てれば一瞬常葉の身体がびくっと揺れた気がするも、すぐに佑の腰に回された手。 押し当てるだけの唇が薄っすらと開くのを感じ取り、角度もずらされ、入り込んでくる舌に興奮が高まる。 (大人、とは…) みかんの粒程も無いらしい。 こんな路地裏で濃厚なキスをするものなのか。 自問自答するも答える者等、当然居ない。 仕掛けたのは自分だが、深くなるキスを受けながら酔っ払っていた頭がまたふわふわと思考を遮る。 「佑、ね、帰りたい」 「……自分から強請っといて…」 唇を離した瞬間に、帰りたいとは何事。 呆れ気味に恨めし気な声を出す佑の頬にひんやりとした頬が当てられた。 「だ、って、此処じゃ体位が限られるし…」 いや、全然出来るんだけどさ、駅弁とか…、と付け加えられたらさっと大通りに出てタクシーを捕まえるしかない。 再び常葉の手を引っ張り、身から放たれる得体の知れない佑のオーラの圧により、捕まえたタクシーに乗り込んだはいいものの、途端に身に襲い掛かる疲労感。 「…佑、眠い?」 「いや、何か、酔いが…」 「はは、初めて会った時みたいじゃん」 くすくす笑う声が振ってくるのが心地良い。 車の振動も相まって、気分が高揚する。 タクシー代を払わないと。 もぞりと鞄の中を漁ろうとするも、腕が上がらない。その上、いい香りがする方へと鼻を寄せれば、暖かい体温がたまらない。 「寝たら?」 「いや、大丈夫…」 眠い訳ではない。 気持ちが良いと言った方が正しい。 常葉が言っていた。 『佑さんの傍に居ると落ち着く』 なるほどな、と少し癪だが納得出来る。 暖かい体温と柔らかい香り。 それだけで常葉が傍に居るのだと分かる現実に、ふふっと思わず笑みが洩れる佑は珍しく隣の肩にすんっと鼻を寄せた。 ***** ――――むくり、 起き上がってぼーっとしたまま、眼を擦する。 「…………あ?」 隣を見ればがっちりと腰に手を回した常葉がすやすやと吐息を立て、起きる気配はまだない。 「あー…はいはい…」 一瞬何故コイツが此処に? なんて思ってしまったが、思い出してしまえば答えは簡単だ。 ついでに言えば、昨夜は結局二人して家に着くなり寝てしまった、と言う事も思い出され、佑はこそりとベッドから抜け出した。 流石に十一月に入り、朝は冷える。 エアコンを付け、スマホで時間を確認。まだ七時前と言う事にほっと息を吐くと、そのままポットの水を入れ替え、湯を沸かす。 「コイツも学校だよな…」 冷蔵庫から卵を取り出し、簡単に目玉焼きを二つ。 きんぴらもあった筈と冷凍庫から取り出したそれをレンジへと。 ぼりぼりと腹を掻きながら、今度はクローゼット替わりの押し入れから服の入ったケースを取り出した。 佑も知らない間に置かれていた常葉の服。 ここで着替えていくのか、それとも一度自宅に帰るかは分からないが、用意だけはしておいてもいいだろう。 沸いた湯でコーヒーを淹れ、ウィンナーを焼きながら飲んでいれば、 「たすくー…?」 聞こえた声にほいほいと向かう。 「おはよ」 「はよ…え、朝?」 「そうだよ、朝」 コーヒー飲む?といつものカップを持って見せるも、常葉は窓とスマホを見るなり、どこか呆けていた表情はむすりと膨れっ面へ。 「何、どうした?」 「だって…朝って…まじかよぉ、えー…エッチしてなくね、僕等」 (何だ、そう言う事…) それで朝からむくれたと言う事なのか。 やれやれとキッチンに戻るも、背後からの声は諦めが悪い様子。 「たすくー、今しよう、エッチしよー」 「しねーよ、それよかシャワー浴びてこい、学校だろうが」 しかも背後からのタックルに皿によそっていたウィンナーが転げ落ちそうになる。 「えー…昨日の佑からのえろえろちゅーにちんこ痛かったのに…」 「何言ってんだよ、お互いすぐに寝たから仕方ない、」 そこまで言って、佑は顔を上げ背後にいる常葉の顔をまじまじと見詰めた。 「―――お前、」 「何?」 「もしかして、課題…徹夜、とかした訳?」 「―――…別に」 ふいっと顔を背け、誤魔化す様に佑の肩に額をぐりぐり当ててくるが、これは明らかにビンゴだろう。 (つまり、は…) 佑に会う為に早く課題を終わらせようと、徹夜続きで頑張った、と―――。
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