遣らずの雨

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休み時間になり、相変わらず髪を触りながら微笑む常葉に段々と違和感を感じる村山がそろりと口を開く。 「髪…どうかしたのか?」 「へ?」 「触り過ぎだろ…何、妙な性癖でも出来たのか?」 捌ききれない性癖を生み出したとあれば、聞かなかった事にしよう。友人のそんな話を聞く程お人好しでは無い。 そんな拭いきれない不安を抱える村山だが、ふふっと常葉は眼を細めた。 「佑が、髪ブローしてくれた」 「…………」 「慣れてないって言いながらもさぁ、必死でドライヤー当ててくれて、櫛入れてくれたんだよねぇ」 惚気だった。 (え、普通の惚気?単なる惚気ってどう言う事よ、いや、俺がどうしたって話かもしれんけど、え?惚気?) オチも無ければ、感心するとこすら無い。 お前はドライヤー当てられたかもしれんが、こっちはお前らの話に当てられるって誰得でもねぇし、上手くもねぇ。 人の情緒がどうたら言っていた村山の情緒もかなり不安定を辿る中、常葉の話は続く。 「百均の安い櫛しか無いって焦る佑も可愛くて」 「………へぇ」 「流石に髪を結ぶのは出来ないって言うし、時間も無くなったからこのままで来たんだけどさぁ」 「………ふーん」 「でも次模写だっけ…結んでおかないとかな…」 そう言いながら鞄を漁り始める常葉に、ようやっと村山は溜め息を洩らした。 怖い、普通に怖いと思おうのは自分だけなのだろうか。 振り幅が凄すぎる。 男女の付き合いにおいては、あんな除湿機を常に背に負ぶっていた様なドライな男が、こんなにも同性の年上に夢中になるとは。 (マジで…恋愛してんのか…) 面白半分でも興味半分でもなく、純粋な恋。 話を聞く限りではあちらの家に転がり半同棲の様なものを強制的に行っているようだが、色んな意味での相性の良さもあるのだろう。 (へぇー…) どれだけ続くが見ものだと思っていたが、此処に来てようやくと言うべきか、常葉のお相手である佑にちょっと会ってみたい。 会うとまでは行かなくとも、見るくらいには。 彼のこの熱量と相手の熱量に差はあったりするのだろうか。 (ま、まぁ…青柳だしな…) そんな事を考えながら、こっそりと村山は肩を竦めるのだった。 「そういや、色々荷物をあっちの家に置いてんの?」 「まぁね。でもブラシはいつも鞄に入れてんだけど、たまたま忘れてさ。佑の借りたけど。佑が潔癖症じゃないから良かったぁ」 なんて言いながら手櫛で髪を纏めていた常葉の元に、くすくすと可愛らしい笑顔でクラスメイトの女が近付いた。 「やぎー、良かったらブラシ貸そうか?手櫛じゃ纏まらなく無い?」 「あたしも持ってるよぉ、使う?」 何も言っていないにも関わらず、近寄ってくる女性達は流石と言うべきか。 わらしべなんかしなくても生きて行ける男が此処に。 画材を机に並べる村山が羨望の入れ混じった眼でやれやれと隣を一瞥する。 しかし、 「え?無理。人が使った櫛とかぜってー嫌だし」 は? 『佑の借りたけど』 ーーーーーカランっ 村山の手から落ちた鉛筆は芯を折りながら床へと転がったーーーーー。 (ま…、) マジ怖ぇ… ***** 【来週の火曜日に午前10時からいかがでしょうか】 届いたメッセージにごくっと喉を上下させた佑は早速承諾の返信を打ち込む。 初の出版社への来訪。 ドキドキと鳴る心臓にスマホを当て、深く息を吸う。 (来週、か…) 半分夢見心地だった気分が一気に現実味を増すこの感覚。 一体何を言われるのか全く想像はつかないが、プロの編集者からの生の声が聞ける不安と期待は半端では無い。 急な申し出にもかかわらず、快く休みをくれたマスターにも感謝しかない。 洗ったグラスを拭き上げながら、昂る気持ちを抑える佑だが、ふと窓ガラスに映った自分を凝視。 「髪…切った方がいいか…?」 すっかり伸びた髪の長い部分は首筋を這っている。 耳にも掛かり、よくよく思えば飲食店にもこの長さは不適切なのでは。 今度の土日はオーナーの都合で臨時休業のこの店。 その間に髪を切り、少しは清潔感だけでも上げておいた方がいいかもしれない。 (あと…) タートルネックは必須だ。 そろりと指を這わす先にあるのは、首筋の噛み跡。 本日も見事に噛まれたそこは一応の応急処置として湿布がしてあるものの、人様にお見せできる様な物では無い。 (常葉め…) 常葉だけが悪いのでは無いのは分かっている。 朝だって一回だけと言った自分が盛り上がり、結局三回戦やってしまった事は大反省すべきだろう。 キッチンの床なんてまるでワックスを零したかの様な有様になっていたのも羞恥でしか無い。 しかし、すっかり噛み癖がついてしまったのか、それとも元々そんな性癖を隠し持っていたのか、セックス時の常葉の噛み付きには中々困ってしまう。 それだけではなく、佑自身もその噛み付きによって快感を得る様になってしまったのだから余計に困ると言うもの。 「変態みてぇ…」 いや、もしかしたら既に変態の領域へと足を踏み入れ新雪を汚さんばかりに走り回っているのかもしれない。 何故なら、 (飛ぶかと思った…) 腹を摩れば、思い出されるあの快感。 息も出来ない程に辛いと思ったのに、だ。 あれからしばらく動けず、常葉から子供の様に抱かれ、ぐずぐずと泣きながら身体を洗ってもらうと言う醜態まで晒してしまった。
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