遣らずの雨

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次は、次こそは… もっと自重せねば。 全て拭き終えたグラスを棚へと並べながらも、溜め息が洩れる中、 「松永くん、オレンジペコーを淹れたんだ、飲むかい?」 おやつにクッキーもあるよ、と掛けられたオーナーの優しい声と香ってくる匂いに、一瞬泣きそうになるのだ。 ***** 今日はサークルの飲み会があるから、と常葉からマメな連絡が入っていた為に店を出ると真っ直ぐ家に戻る。 夕方の冷たい空気に風まで吹けば、そう遠くはない冬の訪れを感じ、佑は心許ない首を竦めた。 (そだ…やっぱりマフラー買おう…) 最近になって他人のマフラーが気になってしまう。 隣を通り過ぎるカップル達も手を繋ぐだけでは飽きたらず、ぬくぬくとマフラーに顔を埋めているのを見ると羨ましいとすら思える。 と言う訳で、佑の脳内で決定された明日の計画は髪を切ってマフラーを購入する、だ。 意外と飲むのが好きなあの男の事、飲み会の次の日と言うのを考慮しても常葉から連絡があるのはきっと昼過ぎになるだろう。 早速スマホで行きつけの理容院を予約し、佑はいつものスーパーへと。 半額惣菜は無かったものの、二十%引きのレバニラと豆腐と納豆を購入。ついでに買い物カゴへと入れた鯵の開きは冷凍用だ。 (そういや…まだ常葉に絵本の事言ってねーや…) 家に戻り、手を洗うなり早速鯵の開きは冷凍庫、レバニラはレンジへと放り、あたためを押すと次いでポットをセット。 上着をハンガーへ通しラックへ掛けると、冷蔵庫から取り出したペットボトルの水を一口飲み、ふむっと考える。 今度会った時でいいか。 事細かく連絡は欲しいと言われはしたが、これに関してはメールで話すよりもきちんと伝えたい。 昨夜は結局酔い潰れ、今朝はセックス優先にしてしまった事が今更に恥ずかしい。 (何やってんだか…) これでは自慰を覚えたての中学生と変わらない。 こんなんでいいのかと思いながらも、レンジの上に置きっぱなしにしていた家の鍵を見詰めながら、佑はもう一度溜め息を吐いた。 「…あら、あんた」 本日有難い事に貸切。 急な予約だった為、色々と用意もあり、忙しくなるだろうと知り合いの仲間内から数人ヘルプを頼んだのは正解だ。 若い男女笑い声に混ざり、性別不明の野太い声が店内に響く。 そんな賑わう店内に入って来た青年は、ひらりと安達に手を振り、カウンターへと近づいてきた。 「こんばんはー」 「…はい、こんばんは」 銀色の髪から覗く紅茶の様な、蜂蜜の様な、淡い眼の色。 先に盛り上がっていたテーブル席の方から、 『おい、こっちこっちー』 『やぎー、早く来てぇー』 なんて声を掛けられているが、それを『あとでねー』と、笑顔で一蹴すると再び安達へ向き直り、カウンター席へと腰を下ろした常葉はふふっと笑みを見せた。 「……なるほどねぇ」 「え?何?あ、僕取り敢えずビールで」 「はいはい」 グラスにビールを注ぎ、目の前に置く。 きめ細かい白い泡がグラスから溢れんばかりの勢いに、そこへ口付ける常葉の伏せられた長い睫毛は嘘の様な天然物。 付け睫いらず。 ぱみゅぱみゅな人も嫉妬するであろうそれに羨ましいわね…と、腕を組む安達だが、そんな事に気を取られている場合では無い。 「うちの店を幹事に推薦してくれたのはあんたかしら?」 カウンターに肘を突く安達の腕は本日も質の良い筋肉に覆われ、にこりと微笑む唇は本日購入したばかりのリップが鮮やかに色付いている。 至近距離で見ずとも迫力あるものだが、矢張り近ければ近い程見えない圧が強い。 「バレた?」 しかし、そんな安達に笑顔を見せ、こてっと首を傾げる常葉からは得体の知れない違和感を感じる。 「いやさー、飲み会行くとは言ってたけど、ダルいなーって思って。けど、一応は約束じゃん?だったら、和さんのとこがいいなーってお願いしたんだよねぇ」 「なるほどねぇ」 「当日だって言うのに、店も予約してないとか、めっちゃトロいよなぁ」 「ふふ、そうね」 「取り敢えず、ささやかだけど売上貢献?みたいな」 「まぁ、ありがとう」 きゃ♡っと身体をくねらせる安達だが、 「いいよ、佑の友達だもん」 その言葉にぴくっと柳眉を顰めた。 「…あんた、佑と付き合ってるの?」 「そう、恋人ー」 結構ラブラブだよ、と笑う常葉からは悪意や邪気は感じられない。 だが、この常葉の美貌に若さ。 しかも絶対的に異性愛者の筈。 初めて佑と常葉が出会ったであろうあの日も、常葉は一緒に来ていた女の子と一緒に二人で抜けようよ、なんて話をしているのが聞こえていた。 だからこそ、あの日佑と常葉が同時に消えているのを見ても、そこまで不審に思う事も無かったのだ。 佑自身も何も無かったと素知らぬ顔して言っていたのに。 「何よ、結局あたしの勘は当たってたんじゃないの」 むんっと胸を張られると大胸筋が今日も素晴らしい動きを見せ、シャツがはち切れんばかりだとビールを飲みながらちらりと見上げる常葉はくすっと眼を細める。 「やっぱ和さんは気づいてた感じ?」 「…あんたとは思わなかったけどね」 やれやれと肩を竦めるも、安達の眉間の皺は未だ解かれる事は無い。
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