遠い日に掲げる青

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考えてみるも、想像が付かない。 想像もつかなければ、感情も湧かない。 テーブルの脇に置いておいた震えるスマホに入ったメッセージは、想像通り常葉から。 【何時くらいになりそう?今日から三日間泊まるからー】 「………いつも勝手に来てる癖に」 勝手に佑の家のベッドの上でごろりとスマホを打っているのであろう。 ――――文句のひとつも言わないで、待ってるとか、 「あたしぃぃぃ、次の恋見つけるわ、頑張るぅ!!」 「そうよっ!!男なんてその辺にゴロゴロしてんだからっ!!」 「本当っ!!?デカ過ぎて固定資産税かかりそうな背中を持ってる男がいいわっ!!」 聞こえてくる声にだいぶ情緒はおかしいけれど、立ち直るのも時間の問題だなと友人達と目配せする。 ―――流石にそんな男がゴロゴロしてたら嫌だな、と。 タクシーに乗って、家路に着き、鍵を探す前に自宅の扉は開かれた。 「おかえりー」 「た、ただいま」 出迎えに眼を丸くする佑を、目を細めて笑う常葉はいたずらが成功したかの様に満足そう。 「たまたまベランダ出てたら佑がタクシーから降りるの見えたからさ」 なるほど…。 自分の知らない所で常葉から見られていたのが、何だか気恥ずかしい気もするも、酔いの回った頭ではそこを考えるのも億劫だ。 「和さん、大丈夫だった?」 「あぁ、まぁ、なんとか」 「失恋しちゃったんだ、かわいそうー」 脱いだ上着をハンガーに掛け、水を一杯と思った所に常葉から『はい』っと渡されたのはミネラルウォーターのペットボトル。 意外と気が利く男だなと改めて感心しつつ、それをひと口飲み、ほっと息を吐けば、見計らった様にちゅっと与えられたキスに佑は目元を染めた。 簡単にシャワーを浴び、時計を見ればもう既に次の日を跨いでいる。 (バイト…早く寝ないとキツいかも…) 明日も普通にバイト。 本当なら安達に付き合った時間を創作に活用したかったのだが、 『おい、今から付き合えよ…』 久々に聞いたドスの効いた男の声に『喜んで』と、反射的に頷いてしまったのは佑自身だ。 やれやれと頭をタオルで拭きつつ、部屋へと戻ればさっきは気付かなかった匂いにくんと佑の鼻が動く。 「あ」 「あ、スッキリした?」 スケッチブックを前に筆を持った常葉。 香ってきた匂いは水彩絵の具だと気付いた佑はそろりとそちらに近付いた。 「佑からもらった設定資料見てて描いてみたんだけど、どう?」 色を与えられた絵は命を与えられたのと同じ。 「う、わ…」 主人公が数人、色んな角度でそこに居る。 淡い碧色のワンピースの少女も居れば、ある少女のワンピースは黄色。 意外と可愛いと思ったのは、真っ黒のワンピース姿だ。 ふっくらとした甘い肌にはピンク色が似合う。 髪色も何通りあるのだろう。 茶色から黒、黄色に、まるでいろとりどりの花をあしらったかの様なカラフルな髪色だってある。 背景まで描かれた物には、少女と出会うであろう動物達も命を与えられている。 動き出さんばかりの彼等は表情もひとつひとつ違う。 (あー…) 「…お前…本当に凄いんだな」 月並みなセリフしか出てこない。 何が絵本作家希望だ、語彙力が皆無過ぎる。いや、皆無と言うよりは、本当の才能を前に無かった実力が露見された、この感じ。 「佑が戻る前に暇だったからさ、僕も戻る前に資料集作ってみた。佑のイメージ似合う色とか、服とか、選べるように」 自分の学校が終わってから、この部屋に帰ってこれを作っていたのだろうか。 何枚もあるスケッチブック、ほとんどのページが既に埋め尽くされているのを前に、佑は唖然とそれを見詰めた。 心地よいと思っていた酔いもすっかり冷めた。 けれど、指先と顔に篭る熱。 (俺、めっちゃやらねーと…) 才能も実力も無い、だったらもっと必要なのは努力だ。 これに追い付くにはどれほどの時間が必要なのか、理解出来ないのが恐怖でしかない。 けれど、 (俺ってラッキーだよな…) そう思うのもまた事実。 こんな才能溢れる男が近くにいる。しかも協力してくれる。 「常葉…」 「ん?」 「…全部好きだな、これ」 この才能に嫉妬しないのかと聞かれたら、それは当たり前にする。ジャンル違い、畑違いとか関係無く、羨ましいと思う。 でも素直に、常葉の絵は心から惹かれるのだ。 自分の書いた作品に常葉の絵で彩って貰いたい、のではなく、常葉の絵と一緒に賞賛出来る作品を作りたい。 「絵、だけ?」 「あ、いや…」 「そういや、僕佑から好きとか聞いた事無いんだけど」 「そ、うだったっけ?」 むぅっとむくれる常葉は可愛らしい。 その可愛らしいの中には、きちんと感情がある。 「もしかして僕ってディルド扱い?」 こんな綺麗な絵を前になんて事を言うんだ。 子供の前で情事の話を聞かれている気持ちになってしまう。 それくらい常葉の絵は神聖な物だと錯覚している佑はそろりとスケッチブックをテーブルへと置いた。 「好き、だよ」 「何が?」 「常葉が、好きだ、って」 今更こんな中学生の様な告白もどうだろう。 いや、むしろ告白なんてした事の無い佑に正解なんて最初から知りもしないのだが、今はこれが精一杯。 「本当?」 「おう…」 耳まで真っ赤になった男に、常葉の唇がゆったりと持ち上がり、その意味も知らない佑はそれを受け入れた。
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