遠い日に掲げる青

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バイト先のオーナーへ来月辺りはまとまった休みを貰うかもしれないと伝えた。 いよいよ本腰を入れて、創作する為。 常葉の絵を見て湧き上がった創作欲はうずうずと佑の中で燻っている。 「へぇ、松永くんは本職があるの?」 「いえ、全然、まだ入り口にも立ってない状態で」 ランチも落ち着き、店内に居る客に注意をしながらも、休憩用に淹れてくれたオレンジペコーを二人して飲みながら照れ臭く頭を下げる佑に、オーナーがふふっと眼を細めた。 「そうなんだね。こっちは気にしないでいいから。いざとなれば時短でも出来るから」 「本当すみません」 本当に自分は恵まれている。 周りの人間の助けがこれだけある、なんて優しい世界。脆くて壊れそうなそれを大事に扱わないとバチが当たるレベルだ。 手元からふわりと香る紅茶の色が思い出させるのは常葉の眼。 (今日はアイツもバイトだって言ってたよな…) 『大丈夫、彼氏役とか旦那役じゃないみたいだし。友人役?みたいな』 きちんと仕事内容まで伝えてくれる常葉だが別に信用していない訳でも無い。仕事ならばレンタル彼氏だろうと恋人だろうと旦那だろうとしても全然構わない。 むしろ常葉の雇い先に申し訳無いくらいだ。 あの顔とスタイルならば、絶対に恋人役等が適任だっただろうに。 (苦労してなきゃいいけどよ…) 冷凍していたあさりの剥き身を茹で上がったパスタと絡め、火が通ったくらいにソースを絡める。 スープはキャベツと玉ねぎ、少々のベーコンをくたくたに煮込み、そこへコンソメとトマト缶を全部投げ込みしばらく火に掛けるだけで完成。 (常葉…何時くらいになるんだ) 最後の連絡は夕方五時。 【夕飯くらいには帰れそう】 この連絡を受けて、夕飯を作り始めた佑だが、既にもう時計の針は八時を指そうとしている。 ぐぅっと鳴る腹の音が切ない。 けれど先に食べるのも憚れる。と、言うよりは一人で食べる食事が何と無く味気ない、寂しく感じてしまう佑は、はぁっと溜め息を洩らした。 常葉と居る事で、一人が寂しいなんて子供のようだ。 合鍵も渡している。ほぼ半同棲しているこの状況。 「…一緒に住むとか、ありなんかな……」 …… いやいや、流石にそんな事口に出しては言えない。 そこまであの綺麗な男を縛り付ける様な事は出来ない。 自分の方が年上の男で相手は学生。 もう少し此方がしっかりしなければならない。 女々しいとか、重いとか思われたら嫌だと言う感情が先に立つのは矢張り、 (好き、なんだよなー…) 酔っていたから、出た言葉なんかでは、決して無い。 昨夜も抱かれながら何回も問われた。 その度に『好きだ』と答えるのは苦でも無かったが、こんな何の取り柄もない男に本気になられた常葉はそれでいいのだろうか、と思ってしまう。 (あいつ、ちゃんと意味分かってんのかね…) 別れる時は出来るだけ、すんなりと受け入れる様にしなければ。 昨日安達達と一緒にいる時は別れも感情も湧かなかったと言うのに、常葉に気持ちを伝えた瞬間、こんな事を考える様になるとは、現金な男だと我ながら思う佑がスープの蓋を開けようとした瞬間、 ーーーガチャ と、聞こえた音に扉の方へと顔を向けた。 「ただいまー…」 ぬっと入ってきた常葉の顔色は宜しくない。ついでに言えば、ご機嫌も。 「おかえり、どうした?」 体調でも悪いのだろうか。 常葉の方へと近付き、その顔を伺う佑に広げられたのは両手だ。 「……ん?」 「ハグ、めっちゃハグして」 「おー…」 一体何だ。 脳内に浮かぶハテナマークがわちゃわちゃと賑わうも、そろりと常葉の身体に手を回し、背中を撫でる。 「いや、違くて、ぎゅっとして」 腰の骨を折らんばかりにーーーー。 (…いや、まじで何?) 情緒がおかしい、明らかに。 倒置法を使ってしまう程に常葉の様子のおかしさ。散乱していたハテナマークが知恵の輪の様に絡み合うイメージに佑の眼がぱちりぱちりと開閉される。 「常葉?何、どうした訳?」 取り敢えずこの状況を何とかしたい。 常葉に至っては靴も脱がずに玄関口でこのハグをしているのだ。 今日はひとつに括られた長い銀色の髪。結び目に気を付け、ぽんぽんと後頭部を撫で付ければ、常葉の腕に力が入り、此方の腰骨がイカれてしまいそうになる。 「ぐっ…っ、ばか、痛いっ」 「だってぇー!!」 「だってじゃねーよっ、中身出るわっ!」 「佑の中身なら僕全部受け入れるけど」 ーーーーーきゅん… とか、なる訳無いだろう。 「は?ホテルに連れ込まれそうになった?」 「そう、まじで最悪」 むすりと唇を尖らせる常葉の額から流れ落ちる湯を眺めながら佑はこっそりと肩を竦める。 何とか部屋へと上げた常葉が夕食よりも先に希望した風呂だ。 朝のうちに洗い上げていた浴槽へ湯を溜めるなり、佑も引きずり半ば強引に二人での入浴、狭い湯船に抱き合う形で浸かるいつもの体勢はすっかり慣れたものだが、些か性急さを感じていた。 「もう捕まれた腕とか気持ち悪くてさぁ。もう腕振り払って転げた所も無視して逃げて来たわ」 「大丈夫、だったのか?」 「怖かったー」 「ちげぇよ、相手だよ」 女の子相手に腕を振り払って転がすとは、いくら何でもやり過ぎだ。 「え?大丈夫っしょ、野郎だし」 「え?」 「つか、僕の心配してよ、クソみてーに気持ち悪かったんだけどぉ」 いやいや、 (俺も、男、だけど…)
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