遠い日に掲げる青

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『えっ!!!!???』 電話の向こうから、お手本の様な素っ頓狂と言われる声が常葉の耳をつんざく。 『あ、青柳くん、本当に!!?』 「本当だって。取り合えず恋人だろうが婚約者だろうがするからさぁ、仕事回してー」 三連休と言う蜜月もあっと言う間に終わり、本日からまた学業の日々を送る常葉はそう告げると、ぱくりと唐揚げを頬張る。 『え、急に何で…?あんなに嫌がってたのに…体調悪くない?あ、もしかして恋人に振られた?』 「あー僕なんか違うとこに所属したくなっちゃったー。前にスカウトされたんだよねぇ、おたくと違う事務所ー」 『あああああああ、ご、ごめんっ!!有難う御座います、青柳くんは彼氏役とかにすごく需要があるんで助かりますっ!!!!』 電話越しで見えない相手に頭を必死に下げているであろう担当に、やれやれと肩を竦め、 「じゃ、そう言う事でまたね、佐野っち」 電話を切るなり、また食事へと向かう常葉のそれは本日も弁当だ。 「何だよ、えらくバイト頑張るじゃん」 「んー金貯めようと思って」 日替わり定食の中でも人気の親子丼ならぬ、親子うどんを啜りながら、へ?と眼を丸くする村山に常葉はうっそりと笑う。 「一応僕さぁ、色々と事情があって金には困ってないだけど、それだと佑って納得してくれない気がするんだよなぁ…」 「は?納得?何が?」 何、何の話? 益々訳が分からんと首を傾げる村山は置いといて、常葉の脳内には昨夜の佑がふわりと思い出される。 常葉の家に上がり込むなんて、言語道断。貯金に余裕が無いから、引っ越しをするならばまずは貯蓄の佑に対し、自信ありげに胸を張った常葉はふふっと微笑んだ。 『じゃ、僕が出す』 『何を?』 『金ぇー、うち色々あって祖父から遺産分けて貰ってるんだよね』 そんな年下の男に十年物の梅干し並みに顔を歪めた佑の顔はかなりインパクトがあった。 『…ふざけんなよ』 聞いた事の無い低い声も。 (つまりはおんぶに抱っこが嫌って事なんだよな、あの人…) 引っ越しはいつになる事やら。 舌打ちのひとつもしたくなる常葉だが、それでも口八丁手八丁で騙し討ち、だとか、強行手段に持っていかないのは理由がある。 (そう言う変に頭硬い佑も好きなんだよなぁ…) 甘い水があるのに、そちらにわーいと両手を広げて、飛び付き甘んじようとしないあの姿勢。 常葉と佑、それなりに年が離れている事も関係しているのだろうが、そうした彼の考えは嫌いじゃない。 「あーあ」 「だから、どうしたんだよ」 「いやー」 ずずっとうどんが美味い村山の頬がほくほくと色付く。 ーーーお風呂えっちっていつ出来るのかなぁ、って。 「ーーーぐっ、ふっ!!!!」 常葉の衝撃的言葉の後は災難しかない。 学習した村山は同じ轍は踏まぬとばかりに、ぱぁんっと小気味よい音を鳴らしながら口元を左手で覆った。 その反動なのか、口から何かがまろび出る事は無かったものの… 「あ、すげぇ。何それジャパニーズ宴会芸?」 してやったりの村山の鼻から出て来たうどんに隣の席で同じ物を食べていた生徒の食欲が失せたのは言うまでもない。 製麺機、など言われる事も誰も知らないのだ。 ***** 通帳を確認したところ、学生時代からコツコツと貯めた現在の貯金額、五十三万。 どこのフリーザ様だ。 (五十三…うーん…) 店内のテーブルを拭きながら、脳内で思案するのはシチュエーション。 軽トラを借りるなり、それなりに上手く工夫すれば引っ越しは出来る。 引っ越し先にもよるが敷金礼金だって贅沢しなければ払えるだろう。 だが、それでもゆとりが無いと思うのは心配性だからだろうか。 これから先何があるか分からない、不測の出来事なんて当たり前では? 引っ越しあるあるでもしかしたら家具だって欲しくなるかもしれない。 「やっぱな…生活も考えたら、もう少しだよなぁ…」 常葉にも負担は掛けたくない。 学生にたかるような真似だってしたくはない。 薄々気付いてはいたが、どうやら上流家庭に所属されているらしいあの男と金銭感覚が合わないのは仕方ないとして、それでも大人の男としての意地は張っていたい佑は肩を落としながら、はぁ、っと溜め息を吐いた。 でも、 (ちょっと…楽しみ、かも) 昨日の休みは一日常葉と色々な物件をネットで検索、チラシを眺めたりと、まったりとした時間を過ごす事が出来た。 風呂は二人で入れるくらい大きい方がいい、部屋はひとつでいいけどキングサイズのベッドは必要、と主張する常葉と、風呂にこだわりはない、入れれば良い。でも二人で暮らすならば部屋は二つあった方がいいのでは?一人になりたい時だってある筈、と主張する佑は音楽性の違いで解散するバンド程合わないが、それでも楽しい時間だったと思える。 顔を引き締めるも、口元がうずうずと上がっていくくらい。 心が安定しているからか、最近は筆の進みも良い。 常葉の絵を見ながら、わくわくとした昂る気持ちをそのままに文章に反映出来ている様な感覚は、佑の表情も柔らかくしてるようだ。 「ねぇ、そう言えば来年の展覧会の話聞いた?」 「あ、聞いたぁ、やぎくんが辞退するってやつでしょ?」 ーーーーやぎ、くん?
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