木守柿にも似た

5/5

2996人が本棚に入れています
本棚に追加
/93ページ
相変わらず綺麗な男だ。 笑顔も変わらず人懐っこさを感じさせる。 しかし、玄関に居ると言うよりは、開け放った扉の横に、廊下側居る。決してこちら側に入ってくる事は無い。 それには何か強い意思が見え隠れしているようだ。 文字通り、線引きをしているのかもしれない。 ーーー他人の家には入らない、と。 「あ…」 覗き込んだベッド下。 ころりと転がる何かに向かって手を差し入れ、掴んだそれをみれば英語のラベルの貼られた掌サイズの瓶にこれだ…と小さく呟いた佑は玄関へと向かう。 「これ?」 「あ、そうそう、それ」 「良かった」 ガラス瓶故、落とさぬ様常葉へと渡し、ありがとうと笑顔を向けられれば、佑もぎこちなくではあるが、ふっと眼を細めた。 普通、だ。 思った以上に普通に話せている。 複雑では無いのかと自身に問えば、そりゃ少しは複雑な気持ちはあるものの、これで何処かでばったり会ったとしても幾分か穏やかな気持ちになれるかもしれないと言う期待が無い訳でも無い。 昨日みたいな醜態は無いだろう、と。 「じゃあね」 「あぁ」 ひらりと手を振る常葉に佑も右手を上げ見送るが、 「あ、そうだ」 ふと足を止め、くるっと方向転換した常葉がぐっと距離を詰め、肩を掴んだと思った瞬間、そのまま佑の部屋の玄関へと押し込み後ろ手に扉を閉めた。 急な常葉の行動に眼を見開いた佑は声も出せずに、ぎょっと見張った眼にふふっと笑顔が映る。 「佑」 「な、に?」 意識したい訳じゃないが、こんな至近距離で常葉の端正な顔を久しぶりに見た。ドキッとしない訳も無いがそれを気取られる訳にもいかない佑の心情は色々とぐちゃぐちゃだ。 さらりとした銀色の髪が触れそうなくらいに近い。 「僕さ、やっぱり幸せ見つけるよ」 「ーーは…?」 「何かムカついてしょうがなかったけど、少しスッキリした」 「何が、」 一体何だと瞬きする佑に常葉の柔らかい声が落ちる。 「いつ何処で見つかるか分からないもんだけど、誰にも負けないくらい幸せになりたいなって思うよ」 綺麗な笑顔に柔和な声。 でも、その琥珀色した眼に自分は映っていない、何処か遠くを見つめる眼差し。 動けない、声が出ない。 それでも常葉は進んでいく。 「だから、佑も」 キラキラとした声。 色褪せた言葉。 遠くに見える、笑顔。 ーーーーーー幸せで居て。 ゴミも片した。 掃除機も掛けた。 シャワーも浴び、バイト先に向かう準備も済ませた。 あと数分で向かわなければ。 しかし、ぼーっとしたままの佑はテーブルに広げたままの絵を眺める。 常葉が描いた、それ。 (やっぱ…好きな絵なんだよなぁ…) はぁっと溜め息を洩らし、それらを紙袋へと入れるとしっかりと封をし、押し入れの奥へと。 きっともう見る事も手に取る事も無い。 『少なくともあんたの独りよがりじゃないといいわね』 安達に言われた言葉が脳内で木霊す。 (独りよがり…あぁ、まじでそうかも…) 確かにその通りだったのかもしれない。 常葉に自分が必要か、なんて考えて、大人の立場から自分が身を引くべきだと勝手に解釈、行動して。 全部彼の為。 ーーーーじゃなくて、結局は自分の為。 後戻りできなくなるのが怖くて、いつか常葉に『こんな筈じゃなかった』と言われるのが恐ろしくて、見たくないから。 でも、結局どうだ。 常葉から『幸せで居て』なんて言われたら、 (お前が居ない幸せって何処にあるんだよ…) 悲しみしかない。 幸せになって、なんてどんな便利な言葉だ。 そんな色も形も無い、目にも見えない抽象的な便利な言葉に相手を任せようだなんて、身勝手にも程がある。 すんっと鼻を鳴らし、最後にと洗面所で顔を洗う。 鏡に映った顔は酷く色味も悪く、眼に覇気が感じられないが、もしかしたら最初からそうなのかもしれない。 常葉が居たから、楽しかったんだ。 確かにそこに幸せはあった。 常葉の整髪剤も無くなり、歯ブラシも捨てた洗面所。 極端に物が少なくなり、ガランとして見えるがひとつだけ、 (女々しい…) 常葉の為に購入したブラシだけは、未だそこにある。 幼い頃、父方の祖父母の田舎の家に遊びに行った時、柿を収穫した。 庭になっていた大きな柿の木は鈴鳴りに実っていた。数日掛けて少しずつ収穫し、そろそろ柿の時期も終わり、と言う頃。 意図的に残された実がひとつ。 あれは取らないのか、と子供心に不思議に思っていた佑に、 『最後の一個は木に残しておくんだよ』 『来年また美味しく、たくさん実りますように、っておまじない』 甘い柿を剥いてくれる祖母がそう笑いながら言っていたお呪いは木守柿と言うらしいと大人になって知った。 だから、このブラシは捨てられなかったのかもしれない。 (おまじない…とか、ウケる) また関係が戻れるなんて、意識下で図々しくも期待していたのだろうか。 そっとブラシを手に取り、ゴミ箱へと向かう佑はもう一度鼻を鳴らした。 くだらないのは、本当に自分だったのだ、と。 (結局…) 本当に終わりを告げたのは、常葉の方だったと言う、情けなさにも佑はなんとも言えない気持ちになるのだ。
/93ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2996人が本棚に入れています
本棚に追加