さらばアネモネ

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さらばアネモネ

「あんた達…大変な事になったわ…」 「どうしたの、安達。筋肉量でも減った?」 「あー体脂肪が増えたんだろ。加齢で」 「プロテインのストックが切れた事に気付いたか」 ウィスキーの入ったグラスを掴み割らんばかりに力を込める安達の顔色はよろしい物ではない。 その様子を心配そうに見つめる岡島と、すっかり酔いも回ったのか、ヘラヘラと笑う津野、その隣では少し赤くなった顔をおしぼりで冷やす佑。 見当違いもは甚だしい、好き勝手に言ってくれる三人に『何を悠長な事言ってんのよっ!!』とカウンターを叩くその拳はメロンパンよりも大きいかもしれない。 「クリスマスが来るのよっ!!あんた達に相手が誰も居ないのは良いとして、あたしにクリスマスに誰も相手が居ないとか、何これっ!!!」 「知らねーよ」 いやぁぁぁぁっと顔を覆う友人を前にやれやれと溜め息を吐く三人だが、 「まぁ、僕はあんまりクリスマスとかにこだわらないからなぁ…」 ケーキが食べれればそれでいいや、なんて笑う岡島に津野も大きく頷く。 「そうだよ、クリスマスがどうとか気にもしねーよ」 「やだぁ…社畜に落ちた男ってこうなるのねぇ…健康診断は毎年受けなさいよ」 「うっせーわっ!!」 ひっそりと口元を覆う安達は、はぁっと大きく溜め息を吐いた。 「じゃ、そう言う事で何時に待ち合わせする?」 「待って、どう言う事?」 普段おっとりとした素早い岡島の疑問。 佑も、はぁ?っと顔を顰めるがそんな事この筋肉の前には何ら関係の無い事。 「あんた達だって暇でしょ、仕方ないから野郎だらけのクリスマスパーティーに紅一点のあたしも加わるって事で」 大学時代だってよくやったじゃない、なんて腰に手を当て言ってくれる安達に三人の視線が絡み合う。 確かにこの四人、悲しいかなクリスマスを過ごす相手等居ない。だからと言って野郎四人で集まるのは如何なものか。 次の日は普通に仕事だ、絶対に影響が出てしまう。 「つかさ、クリスマスとか稼ぎ時じゃねーの、お前…」 「何好き好んでリア充見ながら酒作らないといけないのよ、まじもんで爆発させるわよ」 …うん。 やはり大人しく家で過ごすのが一番では、 「頂き物の中々手に入らない純米大吟醸酒とヴィンテージ物のウィスキーも用意してあげるわよ。ケーキはそうねぇ、最近テレビに出てた洋菓子店からでもいいわね」 「「よろしくお願いしますっ!!!!」」 おほほほと高笑いする安達ところっと寝返った岡島と津野をじっとりと見遣り、肩から力が抜けるのを感じる佑は少しだけ眼を伏せた。 (まぁ…コイツらと居る方が…逆に落ち着くかもな…) 安達の店を出て友人とも別れ、帰路に着く佑は白い息越しに空を見上げる。 安達から余計な事を言った、と謝罪された時は何の事か理解出来なかった佑だが、理由を聞いた瞬間、すとんと小気味良いほどに納得出来た。 ーーーー幸せで居て。 「幸せかぁ…」 去年は当たり前の様に由衣と過ごしたクリスマス。 今年は常葉と居るのかもしれない、なんて思っていたが結局は一人だ。 勿論安達を責める気はさらさら無い。 むしろ、言えなかった事を代弁させてしまった気がして、申し訳ないと思ってしまったくらいだ。 その上、あの筋肉を縮めてしゅんとされる方がどちらかと言うと不気味で仕方がなかった。 (常葉は…) 誰とクリスマスを過ごすのだろう。 気にはしない様にと思っても、考えてしまうのは未練がましい佑の往生際の悪さを自覚させる。 (自分から手放したのにな) 自虐ネタにもならない。 けれど、もしかしたら安達はそれを見抜いて一緒に居てくれると言う案を出してくれたのかもしれない。 そう思えば、やはり気を遣わせてるのかと自己嫌悪にもなる。 ーーーだめだな… マイナスにしか考えられない。 絵本にも集中なんて出来ていないまま、あれから一度もペンを握っても居ない。 だから、考えているのだ。 (来年は、就職活動だな…) もう履歴書は購入している。 そう遠くない現実は、すぐそこに。 ***** ニコニコと朝からバイト先のオーナーの機嫌が良い理由が知れた。 「いやぁ、クリスマスイブとクリスマスを使って、嫁と旅行をする事になってね」 「いいですね、何処行くんですか?」 「北海道なんだけどね」 聞けばそこが新婚旅行先だったと言う。 「だから悪いけど三日間お休みさせて貰うけど、大丈夫かな?」 「はい、構いませんよ」 にこっと笑う佑にオーナーもほっと安堵の息を吐くと、あぁ、そうだ、と厨房にある引き出しから封筒を取り出した。 「これ、良かったら」 差し出された封筒を受け取り、中を確認するとチケットが二枚。 「レストランでの食事が付いたホテル宿泊券なんだけどね」 「えっ、」 ホテル名を確認すれば誰もが知る高級ホテルの名前に佑の肩がびくりと跳ねるも、流石にこんなお高いチケットは頂けない。 「い、いや、いいですよ、奥さんと行って下さいよっ」 「いや、実はこれ今年まで、つまり今月までに使わないといけないんだ。でも、ほら、僕らは旅行の方が楽しみでね」 良かったら使って欲しいんだ、と佑の両手にそれを掴ませるオーナーから、体温とほわほわとした穏やかで優しい気持ちが伝わる。 「あ、りがとう、ございます…」 そこまで言われてはもう返せない。 礼と共に頭を下げ、チケットを譲り受けた佑はしばしそれを見つめた。
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