さらばアネモネ

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さて、今の自分に必要の無い物を頂いてしまった。 バイト終わり、家路につきながらコートのポケットから封筒を取り出す佑の眉間に寄る深い皺。 元々佑にあげようと思っていたのか、ご丁寧に『松永佑様』と名前まで書いてある。 (誰と行くっつっても…) 相手等居ないのに。 (しかもこれ…クリスマスには流石に予約できねーだろうしなぁ…) そんな事を考えながら無意識に洩れ出る溜め息と共にもう一度ポケットへと突っ込み、いつものスーパーへと向かうが、 「え…」 本日は諸事情によりお休みさせて頂きます、の張り紙の貼られた入口で佑はがくりと肩を落とした。 このまま帰ろうかとも思ったが今日に限って家の中には何も無い事を思い出し、仕方ないと鞄を抱え直す。 目指すはもう少し先にあるスーパー。 まだ歩かないと駄目だがこれもまた仕方ない。 滅多に行かない場所なだけに周りにある風景も新鮮だ。 (へぇ…こんな所に花屋もあるのか) 通り過ぎる際に眼に入った花屋にちろりと視線を向けた佑に口があっと開いた。 「持田?」 「え、あ、松永、くん」 花を抱えていた店員も大きく眼を見開き、佑の名前を呼ぶ。 由衣の友人でもある持田とこんな所で出会うとは。 思わず立ち止まり、相手もまじまじと佑を見詰めるも、へらっとぎこちなく愛想笑いに似た笑みを見せた。 「ここ、で…働いてたんだ」 「う、うん、もう二年目かな」 持田もふふっと表情を和らげてくれた事に内心安堵し、そっかと返せば、うんと聞こえた小さな声。 「……松永くん、あの、由衣の事って」 「あぁ…何か大変なんだって?」 「そうなの…」 「そ、う」 俯くその表情は読み取れないが、矢張りあまりよろしい状態では無いらしいのだけは理解出来る。 「じゃ、また…」 あまり聞かない方が良い事だらけだろう。 余計な事に首は突っ込まない。その為には何も知らない方がいい。 軽く手を挙げ、この場から離れようとする佑だが、あの、と掛けられた声にびくっと肩を揺らした。 意外にも大きな声。 何だ?と眼を見張れば、持田が真っ直ぐに此方を見上げ、ぎゅうっと手の中の花を抱きしめている。 「松永くんは、由衣と会って貰う事って、出来ないかな…」 「……は?」 何言ってんの? 思わず口を突いて出そうになった言葉を飲み込み、顔を引き攣らせる佑に、持田の顔は歪む。 「わ、分かってるの、勝手な事言ってるな、って…。だけど、その…今の由衣って見てられなくて…」 「はぁ…」 見ていられないから、佑に見てくれ、と。 「と、もだち、とかも…減っちゃって…誰にも頼れないみたいで…」 「そう…」 此処に安達でも居れば、 『そんなの自業自得って言うのよっ、何甘えた事言ってんのよっ!!立ち上がりなさい、馬だって生まれてすぐ立ち上がるのよっ!!!』 くらいの事、ハイヒールでコンクリートを打ち壊さん勢いで吐き捨てるであろう。 はぁ…っとこめかみに痛みまで出てきたようだ。 「あのさ、悪いけど俺もう何も出来ないよ」 「駄目、って事かな…」 「駄目とかじゃなくて、もう由衣とは会えないって言うか」 持田の眼に薄らと漂う水分に罪悪感が湧かない訳では無いが、だからと言って同情する気にはどうしてもなれない。 「俺、好きな人がいて」 「え、」 「いや、もう全然脈とか無いんだけど、その時点でもう由衣とは違う道歩んでると一緒なんだよね」 「……そう、なんだ」 「俺に出来る事ってより、俺がしてあげたい事が無いんだ」 だから、ごめん。 小さく頭を下げる佑に、ううんと頭を振る持田は、ふふっと困った様に笑う。 「そうだよね、ごめんね…」 「いや、本当ごめんな」 「ううん、私こそ…何か私がそばに居ても何も出来ないから焦っちゃって」 えへへっと笑う持田に何と言っていいのやら。 きっと正義感とか、責任感とかそう言うのを抜きにして本当に由衣の事を心配しているのだろう。それが互いにとって正しいとか正しくないとかわからないけれど、友情と言うのならば友情なのかもしれない。 「あ、そうだ。良かったら、これ…」 「何、これ…」 佑のコートから出された茶封筒が持田の前に出される。 「これ、良かったら使ってよ」 「これ、えっ、こんなのいいのっ!?」 「いいけど、それ今年中に使ってな」 「で、でも、これ…松永くんが好きな子と行こうって思ってたんじゃないの…?」 中身を確認した持田が若干青くなった顔で見上げるも、それに緩く首を振った佑はふっと笑って見せた。 「俺はいいから。使わないんだ。どうしようかなって思ってたくらいだし」 「そう、なの…?」 「うん」 じゃあね、と今度こそ手を振り背中を向けた佑はふっと息を吐く。 使われないより、使ってくれる相手が居るだけいい筈だ。 (由衣の事は終わってる…) そう、終わっているからこそ何も思う事が無い。心も揺らがない。 いつか常葉に対してもこんな気持ちになるのだろうか。 (分からんなぁ…) 考えるだけでまだ痛む胸。 想う事もしたくないと争う感情。 でも、きっと。 こんな気持ちも薄れた頃、その時はきっと本当に穏やかな気持ちで過ごせる筈。 それが明日か、明後日か、一年後か、十年後か、なんて分からないけれど、早くその日がくればいいと願うしかないのだ。
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