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「あ、あの、」
しかし、背中に掛けられた声に、少しだけ顔を向ける。
ぎゅっと両手を握る持田の姿。
「少しだけ、いい?」
声は緊張気味に聞こえるも、しっかりと自分を見詰める眼差しに常葉はわざとらしく首を傾げた。
「うん?何?」
「花、今日運んだ花って…生徒さんが描く為に各自好きなのを選んだんだよね…」
「うん、そう」
「何の花、選んだの…」
段々と青を雲が覆い、風も強くなった気がする。
もしかしたら明日辺りは雪かもしれない。
寒いの嫌だなぁ…
そう思う常葉は、ゆっくりと口を開く。
「アネモネ」
風に靡く銀色の髪。
抑揚の無い声は透明度の高い空気を伝い、はっきりと聞こえた。
「そう、素敵な…花だよね、」
「何それだけ?」
「あ、えっと、あの、ねっ」
再び歩き出そうとする常葉を引き留める声が響く。
「貴方には関係無い、全然関係無い話かもしれないけどっ、」
「はぁ?」
何が言いたい訳?
いい加減少しずつ湧き出る苛立ちに常葉が顔を歪めるも、
「ま、松永くんは、好きな人がいるんだよっ!」
「……は、」
「もう、脈は無いとか言ってたけど、好きなんだってっ」
「…………」
「由衣には何もしてあげる事が無いけど、その子の事考えるだけの好きが松永くんにはあるんだよね、本当、何て言う、か…」
「…………」
「そ、それだけっ」
「え、」
じゃあね、と真っ白な息とそれだけ告げ車に乗り込んだ持田は走り出す。
ぽかんと口を開けた侭の常葉に見向きもせず、まさに言い逃げに近い状態。
小さくなるエンジン音とその車を見送る常葉の険しい表情がそれを物語る。
「……何、だ?」
本当に一体何だったんだ?
あの女何?
いや、でも、
それよりも、
(好きな、人?)
佑に好きな人が居るなんて、
「何であの女が知ってんだ…?」
言われた意味も、この状況もよく分からない。
何でこんな所に突っ立っているのか。
冷たい風に皮膚が痛い。
(戻ろう…)
校舎へと戻り、何してたんだよ、と文句を言う村山を軽くあしらい、向かうは食堂。
今日はピラフとサラダだと張り切って食券を購入する友人の隣で常葉はコーヒーだけを購入し、近くのテーブルへと。
「うまそー!海老ピラフ!」
コーヒーを飲むだけの常葉の前の椅子に座り、早速とばかりに大口を開け、ぱくりと頬張る村山は、うーんっと身悶えながらその味を噛み締め次々と進めていく。
「午後から花描くのかー。何か本当基本過ぎる感じがするけど」
カチャっとスプーンと皿が当たる音。
「期限は三日って言ってたな、まぁそれ過ぎたら冬休みだもんな。合格貰わなかったら冬休みに描き直すって噂もあるけど、冗談だよな、流石に」
「どうだろうな」
「てかさ、お前…クリスマスって予定ある?」
「どうだろう」
「へー…誘われるかも、ってか」
「いや、もう誘われてる」
「…そ、っか」
今度はスプーンが皿に置かれる音が聞こえた常葉は目の前の皿を見遣る。
まだ半分残っているピラフに、村山へと視線をズラせば、じぃっと自分を見詰める眼と視線がかち合った。
「…何?」
「…お前こそどうした、んだよ、さっきから」
「は?」
「コーヒー苦いのか?」
「何で?」
「だって、お前、」
ずっと渋い顔してるじゃんかーーーーー。
『メリークリスマスぅ』
『今日はイブですね、素敵な計画とか立ててますか?』
『今からでもデートに間に合う!そんなプランをご紹介いたしますっ』
『勇気を出して告白するチャンスですよっ!』
余計なお世話だ。
テレビに向かってこの世の不満を全て集結させた様な表情の佑から打楽器なみの舌打ちが聞こえる。
今日から三日間の休み。
そう、とうとうやってきたクリスマスイブだ。
朝っぱらから安達のメールで始まり、そうだったと呟いた佑が思い出したのは友人達と集まる本日の夜の予定。
結局イブもクリスマス当日もリア充を直視しないと言うあの男は店を二日間休みにすると言う暴挙に出たらしい。
(商売も何もねぇな…)
【今日はクリスマスパーティーだからねっ、ついでに明日も集まれる奴は集まりなさいよっ】
今から圧を掛けておこうと容易に分かるこのお誘い。
無駄に力の入った安達にきっと成す術は無いだろう。
筋肉で物理的にも黙らされそうだ。
ふあ…っと欠伸をし、テレビを消した佑は取り敢えず掃除を始める。
折角の休み。
年末に向けて細かい所まで綺麗にしたい。
「断捨離もするか?」
誰に問う訳でも無いが、一人そう呟く佑は要らぬ雑誌を集めると、紐でくるりと固定。
服は捨てる程も無い。
「あとは、」
ーーーあとは…
ちらり、と無意識に眼が向いた先にはクリアファイルとノート。
壁際にあるカラーボックスに立て掛けたそれを手に取るとおもむろに中身を取り出す。
全て、常葉の絵。
「どうすっかなー…」
ノートには途中まで書かれた物語、主人公はそこから動けていない。
きっともう進む事の無いそれ。
「完成…させたかった、よな」
ぽろりと溢れた本音は、嫌味なくらいに自覚させる。
常葉と共に、常葉の絵に命を与えて与えられて、一つの作品を完成させてみたかった。
他の誰とでもない、常葉と。
「まだ好きなんだよなぁ…」
溢れる言葉は全て素直な気持ち。
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