さらばアネモネ

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そして今、色を塗り重ねている。 『え、じゃあ…今日はどうすんの?仲間内でクリスマスパーティーだって、集まるって言うの…』 「パス。面倒だし、家に帰ったら寝たい」 『えー…女どもがうるさそう…』 「クリスマスなんだから家族と過ごせば?普通はそうだろう?」 『お前に言われたらぐうの音も出ねーよ』 本場帰りの言葉は重い。 電話越しに溜め息を吐きながら、肩の傾斜が激しくなったであろう村山の姿なんて簡単に想像が付く。 けれど、申し訳ないが今友人の事まで気に掛けている暇は無いのだ。 「じゃ、僕忙しいから」 『わかったよ…でも今年一回くらいは誘いに乗ってくれよな』 「いいよ、分かった」 ぴっと手際よく画面をタッチすると、すぐに電源ごと落としたスマホを常葉はバッグへと投げ込む。 このままでは普通に数人から恨み節やお誘いが掛かってくるだろう。 やっと落ち着いたと目の前の絵を見詰める。 アネモネの花を選んだのは適当に、ではない。 アネモネの花言葉は、 『恋の苦しみ』 『見放された』 『見捨てられた』 『嫉妬のための無実の犠牲』 何とも自分にぴったりな言葉が叩き売りされていたから。 常葉と書いてアネモネと読んでも可笑しくないと思う程の言葉の羅列。 だからこそ、アネモネと選び、全ての感情をこのキャンバスに埋め込もうと思っていた、のに。 ーーーペタ… 色を塗り重ねていきながら、常葉は感情も一つ一つ埋め込む。 そして、佑への想いも。 幸せで居て欲しい、と思うからこそ、話もしたくなければ、もう会いたくもない。 名前を見ただけでも、どきりとしてしまうのが酷く腹ただしくもある。 もっと色を重ねければーーー。 もっと埋め込んで、表に出ないくらいに。 だからこの絵は物足りなく感じるのだ。 力強さも、儚さも無い。 生きている感じがしない。 数種類ある黄色の絵の具をパレットに出し、また色を作りながら、微妙な色合いの影色を作り出し、また重ねる。 重ねて、乗せて、ナイフで伸ばして、また筆をーーーー。 『貴方には関係無い、全然関係無い話かもしれないけどっ、』 ふと思い出した女の声にびくっと筆が揺れた。 『ま、松永くんは、好きな人がいるんだよっ!』 『もう、脈は無いとか言ってたけど、好きなんだってっ』 『由衣には何もしてあげる事が無いけど、その子の事考えるだけの好きが松永くんにはあるんだよね』 (佑の好きな、人…) あの女は何故、あんな事を聞いたんだろうか。 いきなり、何の脈絡も無く、 『何の花、選んだの…』 なんてーーー。 常葉の琥珀色した眼がくるりと動き、ゆっくりと見開かれる。 筆を乗せたままのキャンバス。 じっとそれを見詰めていた常葉がゆっくりと顔を上げた。 何故、紫のアネモネを選んだんだっけ… 二日酔いは原因である酒で迎え撃つ。 大人は人生の裏アカは、こうして経験値を上げる、らしい。 戦場じゃないか。 「はい、かんぱーいっ!!」 クリスマス当日。 朝よりかは幾分かマシになった顔色で安達を始め、津野も岡島も元気良くジョッキを掲げる。 ちなみにつまみも昨日と同じく各自好きな物を持ち寄り、ピザだの鳥の丸焼きだの、バジルの添えられたカプレーゼだのと今回はクリスマス色の強くなっていたりする。 岡島待望のケーキは安達が気に入っている洋菓子店の予約競争を勝ち取ったらしい特製クリスマスケーキ。 そんなに甘い物が好きだと言う訳でもない佑でも、気になってしまう艶々としたブルーベリーの色合いと香り。ほんのりと香ってくるアルコールの匂いに大人向けなのが感じられる。 「今日もしかしたら昼間に運命の出会いがサンタのプレゼントとしてあるんじゃないのかって期待したけど、駄目だったわ」 「そりゃサンタは子供の味方だからな」 「成人も性別もある意味人間としても色々超えた男に与えるのってプレゼントじゃなくて、生贄っつーんだよ、それ」 しゃなりと腰をくねらす安達に津野と佑のツッコミは容赦無い。 勿論友人だから、と言う関係性が前提にあるからこその軽口だが、あ゛あ゛ん?と突き刺さる鋭い眼光と一回り大きくなった気がする肩周りの筋肉にすっと視線をずらす二人はちびりちびりとグラスの酒を舐める。 「ねぇ、たす、」 「あ、ねぇ安達ー」 そんな中、ケーキを前にヨダレを垂らさんばかりの岡島が安達の声を遮り、真っ直ぐに手を挙げた。 「何よ」 「僕ケーキの時は絶対に牛乳なんだけど、ある?」 「え?牛乳…やだ、無いかも」 ばたばたと冷蔵庫の中を見遣る安達は、 「切らしてるわね…」 と、呟くとすぅっと振り返る。 「ちょっと、佑」 「あ?」 きょとんと赤い顔で新しい酒瓶を抱える佑ににやりと真っ赤な唇が弧を描いた。 ーーーありがとうございましたー 「さ、さむっ…!」 首を竦めながらコートのパーカーを被る佑の手にはビニール袋に入った牛乳が。 「何で、俺が…」 安達に頼まれたおつかい。 岡島の為のそれは何故か佑の名指しで、寒い中こうしてコンビニへと出てきたのだ。 安達は何となくだが岡島に甘い。 きっとあの丸いフォルムが可愛らしく庇護欲をそそるのだろう。
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