さらばアネモネ

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――――――は、? 恐る恐る、 本当にゆっくりと声のした方へと振り向く佑の眼に映ったのは、自分よりも高い身長に銀色の髪。 いつも少しだけ顎を上げ見ていた、さらりとした手触りが心地よい、それ。 そこから覗く顔立ちは誰がどの角度から見ても文句のつけようのない極上品のパーツ揃い。 「……え、と、きわ…?」 何で? どうして? 何してんの? どっから来た? 何の活用だが、そんな言葉がぐるぐると脳内を回る佑だが、ずいっと近づいてくる常葉をじっと見詰める。 けれど、常葉はそんな佑の前に身体を入れると真っ直ぐに目の前の由衣へ口を開いた。 「佑が好きなのは、僕。そして、僕が好きなのも佑。分かんない?あんたはもう佑の話から外れてんの」 「え、は、話…?」 透る耳触り良い、はっきりとした声の常葉と違い、訝し気な強張った由衣の声。 しかもこの構図、デジャヴ過ぎる。 そうだ、あの時。 由衣とその友人らから詰められた時、常葉が前に出てくれた。 あの時と似たこの感じを思い出し、ぐっと唇を噛み締める佑は、その勢いのまま常葉の腕を掴み、思い切り引っ張った。 「由衣っ、ごめんっ」 「たす、」 「もう、気持ちが本当に無い、だから、」 「…っ、」 「頑張って、ほしいっ」 それだけを告げると、佑は常葉の腕を引っ張り、またね、なんて言葉も残さずくるりと歩み出した。 これで最後、本当の本当に終わりだ。 楽しい事だって沢山あった彼女との時間だったけれど、もうそんな思い出も必要はない。 頑張って欲しいとは思えるが、幸せであって欲しいと、願ってあげられるだけの余裕はない。 そんなものは全ては、 「佑、ねぇ、佑ってば」 この男の為だけだ。 少し離れた先にあるツリーのイルミネーションも見えもしない、飲み屋街の路地裏。 薄暗いだけの、少し鼻に突くカビに似た匂いがするも、皆がツリーや自分達の恋人や家族に夢中になる中、ここならば人目にも付かないだろう。 右手が熱い。 常葉の腕を掴んだ、その手。 ぐぐぐぐぐっとぎこちない動きで背後に首を動かす佑は思う。 (もしかして、幻覚、だった、とか、) 幻覚だったら、それはそれで[ヒトコワ]なんてタグが付きそうな話だが、黙った侭付いてきてくれた男の存在は現実味が無い。 だって、あんな場所で会うとか、絶対に、奇跡でもない限り―――。 イルミネーションにも負けない顔面がすぐそこに。 「何で…、常葉が…」 「は?」 本物だ。 矢張り生身の常葉だ。 少しだけ唇を尖らせる仕草、むぅっと眉間に皺を寄せたその表情。 (可愛いし…) いや、違うのだ、問題はそこでは無い。 常葉が居ると言う問題の前に、聞きたい事がある。 「どうして、此処に…?」 「佑に会いに」 「そうじゃなくて、よく俺があそこに居たのが分かったな、って話で…」 こう言った言葉のキャッチボールも二回目の様な気がするが、ドキドキ感が違う。 掴んでいた常葉の手を解放し、体温が離れていくのが酷く寒い。 「……まぁ、色々」 ーーーー色々とは。 一瞬目を泳がせた常葉の動きを見逃さなかった佑は怪訝そうに顔を顰めるも、はぁっと息を吐くと互いに対峙する形に身体を向けた。 いつまでも此処に居る訳にはいかない。それにまだ聞きたい事だってある。 (さっきの意味は、) 牛乳の入ったビニール袋を掴む手に無駄に力が入り汗ばみ、若干不快感もあるがそれでも佑はごくっと喉を上下させると、掠れそうになる声を絞り出す。 「あのさ、」 「うん」 「えーっと…、その、」 だが、いざとなると何を聞いていいのか分からないと言う、最悪の思考。 頭が回らな過ぎる。 ふっふっと浅くなっていく呼吸にも内心びびっている。 常葉が居る。 そこに居るだけで、胸がいっぱいになってしまうとか薄暗い路地裏に似合わない少女漫画展開に爆笑モノ過ぎる。 「僕は、佑に会いに来た」 「っ…へ、」 「もう一度話がしたくて、気持ちが知りたくて、佑に会ったら意地でも本音を聞き出そうって」 「………」 肩を竦めて、ふふっと笑う常葉の笑顔はまるで何年も見て居なかったようだ。 少し痩せた? 目の下、もしかしてまた隈? 唇も、よく見たら少し荒れているのでは? 手を伸ばしたのは、無意識。 だから、その手を握られた瞬間、びくっと大きく肩を揺らした佑にまた聞こえる笑い声。 「聞き出す前に、佑全部言っちゃうんだもん。佑はやっぱり僕の事好きじゃん」 「ーーーーそ、れは」 「でもさ、佑」 握られた手がぐっと轢かれ、至近距離で琥珀色が見える。 自分の顔が映る、濃い蜂蜜のような、どろりとした色。 「ああいうのは、ちゃんと僕に言ってよ、何で人に言っているのを聞かなきゃいけねーの?言えないくらいに恥ずかしい事な訳?」 「違う、け、ど…!」 「なんで?僕全然真剣に見えなかった?軽薄な事した?頼りなかった?ウザい?」 「ぜ、全然…っ、んな訳、」 「じゃ、何?才能があったら一緒に居れない意味って何?本当分かんねー。好きになった時間が短いから?」 意味が分からないーーー。 憤りすらも感じる常葉のその表情は、何故叱られたのかまるで理解出来ない子供のよう。 悪い事をしてしまったのか、と問う不安を滲ませたそれ。 何故、どうして、なんて一番聞きたかったのは常葉ではなかったのだろうか。 そうだ、きっとそうだったのだ。 常葉からしてみれば、何ら意味が分からなかったんだ。
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