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一人で考えて、一人で悩んで、勝手に決め込んで常葉を突き放して――。
全部この男の為だったけれど、本人にしてみれば一体何が起こったのか分からない事だらけ。
二十歳と言う文字だけで大人だから大丈夫だろうなんて、そんな事は無い。
綺麗すぎる男だから、次なんてすぐに見つかるんだから、とか、
「佑は、僕を何だと思ってんの?」
「うん…」
大事だと思っている――。
「確かに、僕も受け入れたけどさぁ、でも、やっぱり納得いかなくて、モヤモヤするし」
「うん…」
同じ事をされたら、多分きっと誰でもそう思う―――。
「それに、佑見てたら分かるじゃん、まだ僕の事好きだな、って」
「そ、っか…」
それはそれで何て羞恥の極みだろうか。
だったらあの別れ話は一人芝居どころか、猿芝居もいい所。あの覚悟の別れ話は茶番劇として見られていたんだなと思う佑の顔がどんどんと赤に染まっていく。
「あー…違うかな」
「何が…?」
「信じていたかった、の間違いかな…」
くしゃりと笑う常葉の笑顔が綺麗だ。
これ以上一緒に居て、絶対に手放したくないって思ったのは、この笑顔。
―――でも、違う。
「常葉、」
「うん」
泣きたいのを我慢している笑顔なんて、させるべきじゃない。
ぐぅっと胸の辺りから破裂しそうな息苦しさ。
それは喉の辺りまでせり上がり、開いた唇から言葉になって、
「好きだよ、」
はらりと。
「何でこんなに好きになったのか、分からんけど…俺は常葉が好きだよ」
たった数か月で変わってしまった。
俺の人生自体はチープな物語だったのに、何も無い平坦なモノだったかもしれないけれど、常葉が居る事で笑ってくれる事で色づくならば、
「常葉にとって、幸せか、分かんねーけど、やっぱ好きだ」
春を待って、花が散るのを見て、空を見上げて、枯葉を蹴り上げる。
他愛無い普通の日々でも佑は幸せだ。
「やっぱりそうじゃん…本当ふざけんなよ…」
「そう、だな…ごめんな…」
常葉らしからぬ強張った動きで腰に両手が回され、ぐっと引かれる。密着する身体は互いに冷え切って暖かみなんて皆無だが、
「アネモネを…描いてたんだ」
「アネモネ…?」
何だ、それ。
クリオネのはとこくらいのモノだろうか。
「冬の花で、課題で今日ギリギリまで学校まで行って描いてた…」
「…う、ん?」
「紫の、アネモネを選んだんだ…」
佑の身体を抱きしめる力が強くなっていく。
痛みを感じる程のそれだが、今の佑には心地良さすら感じてしまう。これで腰骨の一本くらい折った所で本望だ。
(常葉が、いる…)
その事実だけでもう泣いてしまいそうに唇が震えるのだから。
「信じて、良かった…」
「…………」
それは、常葉も同じ。
首筋に当てられた唇から伝わる振動。
「もう、色々と後から…聞かせて貰うからさ、」
「…あ、そう…」
「取り敢えず、もっといっぱい好きって言って欲しいなー…」
「…はは」
路地裏で聞こえる笑う声と白い息と、共に降り出した雪を好きな相手の肩越しに見るだなんて、こんな事これから先一生見る事は無いだろう。
どんっと置かれた牛乳パックを前に岡島が、ん?と首を傾げ、視線を友人へと向ける。
「何よ、あんた牛乳が無いとケーキ食べれないんでしょ?」
「いやいや、そこじゃなくてさっ」
「え?牛乳あったのかよっ、松永買いに行かせたのにぃ?アイツ怒るぞーっ」
だよね、と不安そうに眼を細める友人等にふんっと鼻で笑う安達は違う意味で眉間にしっかりとした皺を作り出す。
「いいのよ、アイツは腹が痛くなったから先に帰るらしいわ」
「え、まじで!?」
「大丈夫なの?」
「大丈夫でしょ」
だって、
(あのガキが一緒なんだからーーー)
ケーキにナイフを入れながら、思い出すのは今日の夕方の電話。
店電に掛かってきたと言うのもあり、予約だったら光の速さで断ってやろうと思っていた安達は電話を取るなり、眼を見開いた。
『和さん?僕、だけど分かる?』
「ぼくぼく詐欺?悪いんだけどぉ、あたしのダーリンは我輩って言うのよね」
『元彼の話とか興味無いんで、早速なんですけど佑の事でお願いがあって』
それは簡単なお願い事。
ーーそちらで集まるなら、何らかの理由を付けて佑を外に出して欲しい、と。
前回の失態もあり、仕方無いと引き受けたはいいものの、不安がなかった訳では無い。
(本当、上手くいくなんて確証もないのにね)
けれど、先ほどスマホに入っていたメッセージから見るに、上手くいったのだろう。
【ごめん、今日は帰る。埋め合わせは今度するから】
佑からのそれと、もうひとつ。
【ありがとう】
常葉からも。
ケーキを切り分け、岡島の前へと出せば、涎を垂らさんばかりに待っていた彼はいただきまーすっと元気良くフォークを刺していく。
「溢すんじゃないわよ」
「お前はおかんか」
ひひっと笑う酔っ払いの津野にも同じようにケーキを取り分ける安達はふっと唇を持ち上げた。
「誰がおかんよ。そうねぇ…キューピットって呼んでもらおうかしら」
「何だそれ」
似合わねーっと笑う津野も早速とケーキを食べていく姿を前に、こっそりと溜め息を吐く安達の眼から見える色は鈍い光。
まぁ…
(今度佑に何かあったら、ただじゃおかねーけどな、クソガキが…)
佑達が来る前に店に立ち寄ったあの男から礼は貰ったが、それとこれとは別だ。
ぐっと盛り上がる大胸筋。キューピットとは程遠い男は店の奥に飾られた紫の花の植木鉢を見詰めるのだ。
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