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ぱちっと眼を覚まし、見慣れた天井をぼんやりと見詰め、左側ある重みと温もりにゆっくりと顔を向ければ赤く腫れぼったい眼を閉じた佑が居る。
(…佑、だ)
むくっと起き上がり、ベッドが軋んでも起きる気配は無い。
ゆっくりと額に掛かる前髪を指先で撫でても、びくりとも動かない。
肩や首にある噛み跡に、至ところに散らばっているキスマークの数も尋常じゃない。
うん、やり過ぎた。
(いやいや、仕方なく無い?)
だって久々の佑だったのだ。
半ば無理矢理タクシーに乗せ、向かった先は常葉の家。
正直今まで誰も入れようと思わなかった自宅に初めて招いた恋人は最初で最後、佑のみだろう。
両親が借りている一軒家とは言え、今管理しこの家を仕切っているのは自分。ご両親の家だから…と躊躇する佑をこれまた押し切り、寒いーと甘えて見せれば風呂まで入ってくれたのだから、常葉はこっそりと満面の笑みすら浮かべてしまった。
勿論その後はたっぷりと甘い時間を過ごさせて貰ったのは言うまでも無くの見ての通り。
(ちゃんと恋人になれた…)
むふっと口角が上がるのも仕方が無い。
近くにあったゴムで髪をひとつに括り、出来るだけ振動が伝わらぬよう、半裸のままベッドから抜け出す。
充電し忘れていたスマホを除き見ればアプリに届いた幾つものメッセージと着信にやれやれと前髪を掻き上げた。
【今からでも合流しない?】
なんてメッセージから始まり、
【やぎが来ないとつまんなーい】
【彼女居ないなら、今年は二人っきりで会おうよ】
大体こんな感じで埋まるスマホの画面。
さくっとそれらを削除し、一番上にあるメッセージに眼を通す常葉はふぅん…っと小さく呟く。
【大事になさいよ】
誰からだなんて改めて確認せずとも分かる。
「当たり前だろうーが…」
誰に向かって言っているんだか。
もうこの先佑の手を離す事なんて欠片も考えていない。
例えいつか佑が嫌だと言っても今更だ。
「無理無理ってなー」
チェストからシャツとスウェットを取り出し着込んだ常葉は自室を出るとキッチンへと。
佑がいつ起きても良いようにとパンと簡単なサラダ、インスタントタイプのスープを用意。
今日までは休みだと言っていた。
ゆっくりと此処で過ごすのもありだろう。
それに正直言ってしまえば、まだ足りていない。
(仕方無いよねー、健全な男の子だもんなぁ)
昨夜だって佑が息絶え絶えにストップを掛けるから終了しただけに過ぎない。
昼ご飯はもうちょっと精の付くものを食べさせるべきだなと思う常葉と佑の歳の差五歳ほど。
「やっぱな…社会に出てるだけ佑の方が物事よく見てるよな…」
だからこそ考え過ぎて今回のように面倒事になったのだろうが、佑が揺るがないだけの社会的信用も欲しいところ。
話を聞けば、今度の展覧会が引き金になっていたとは。
『お前の将来考えたら…当たり前のことだろ?』
申し訳なさげに浴槽の中で項垂れていた佑は非常に可愛らしく、年上の恋人のいじらしい考えと仕草にきゅんとしてしまった常葉だが、それでも…。
(僕のこと考えてくれてんのは嬉しいんだけどさぁー…)
「ちょっと僕の事みくびり過ぎじゃね…」
はぁ…っと溜め息を吐く中、ポケットの中で震えるスマホを取り出し、ディスプレイの名前を確認。
「…もしもし」
『あ、やぎ、おっはようー!!』
「はよ、何どうしたの?」
冬休みだからか、心無しか声が弾んで聞こえるのは気の所為では無いらしい。
『な、お前さ、スキー行かね?スキー!』
「楽しそうだな、村山」
くすくすと笑う常葉だが、期待感を前面に押し出してくる友人はもう気分はゲレンデ上で爽快に転がり落ちているのだろう。
『いや、だってさー!サークルの仲間で入場割引とリフト券のタダ券持ってる奴居てさー』
「折角だから行こうか、って?」
『そそ!あー…それに、さ、その』
「何?」
急に強張った村山の声。
『お前…今、フリー…だろ?そのー…新しい恋を始めるのもありだろ?だったら出会いの場に赴かないとだなぁ、』
「僕、ちゃんと佑と付き合ってるけど」
『え、』
しばしの沈黙の後、えぇー…っと小さく唸ったのは村山だ。
『別れたんだと…思ってた…』
「まぁね。一時期ちょっとそれっぽい感じにもなったけど」
『え、じゃ、何…?お前…来ない、の?』
「行かないね。必要も無いし。てか、特にスキーも好きじゃないし」
自分用にコーヒーを手淹れでドリップしたそれをずずっと飲んで行く常葉から洩れる、ほっとした溜め息。
「基本的に寒いの嫌なんだよね」
『んだよ…お前連れてったら先輩も喜んだのによぉ』
「はは。大方僕を連れてったら、入場料だけでもタダにしてやる、とか言われたんだろ」
『そう、言う訳、じゃ、ない…けども、だな…』
ーーーーそうらしい。
本当に嘘の付けない素直な男ではあるが、簡単に足元を見られた上にそれに乗っかるとは迂闊過ぎる。
だが、
『まぁ…そっか、良かったな…』
「ーーは?」
『何つーか…女相手に適当に遊んでるよりも、そっちのがお前っぽいかなーって…』
「…あ、そう…」
ふふっと笑って見せれば、向こう側でも笑う声に似た息遣いが聞こえた。
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