カップは事前に温める

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――――分からん。 想像もできない女性を考えていても仕方が無い。 重々しい溜め息を吐き、ゆっくりと眼鏡を持ち上げた教師はへらっと首を傾げ笑顔の常葉にまた息を吐く。 「わ、分かった…じゃ、取り合えず、流石に永久就職って言うのは体裁が悪すぎるから、そうだな…専任挿絵作家って事で…」 「いいっすよ、それでぇ」 「お前の親御さんも…納得はしてるんだよな」 「勿論。ライスシャワー用の米を田植えから頑張る勢いで応援してくれてますー」 「はいはい…」 出来たら五、六キロくらい詰めた米を投げつけてやりたい。 新しい用紙に力無い文字で挿絵作家と書かれていくのを見遣る常葉はふっと眼を細めた。 ***** 指導室を出ると廊下で待っていたのか、村山が渋い顔を惜しみなく常葉へと向けている。 「あれ、待っててくれたんだ」 「鞄押し付けた奴が何言ってんの?」 「そうだっけ、ありがとー」 村山から鞄を受け取り、早速スマホを取り出した常葉を横目で見遣る村山の眼は胡散臭い人間を見ているお手本通りの表情。 「お前さぁ…あれ何の真似?」 「あれって?」 「…すっげー頭弱そうな受け答え、って言うか、」 ――――聞こえていたんだ、 なんて、驚くような事は無い。 にやりと笑う、常葉と言う男は―――。 「あー、あれくらい馬鹿ってればこの後何か言っても無駄って分かるっしょ」 よいしょっとブランド物のトートバッグを肩に掛け、歩き出した背中を追いかける村山は、『はぁ?』と眉を顰めた。 「一々煩いんだよ、アイツ等さぁ」 「煩い?進路指導が?」 「うーん、ほら、何て言うか、学校の名前を広める材料が欲しいって言うのが見えるっつーか、クソって言うか」 歩んでいく廊下の壁に飾られている油絵やデザイン画、水墨画も並ぶのを横目で流し見する。 「大手企業に就職しろだの、建築業界から誘いが来てるだのって、いい加減ウザくて」 「マジで?お前…すげーな…やっぱ展覧会の絵が眼を惹いただけあったな…」 企業や資産家の眼にも止まりやすいと言う展覧会。噂だけでは無かったのだと改めて思う村山からしてみれば、今の常葉の状況は羨ましい以外の何者でもない。 「俺なんて色んなデザイン会社とかゲーム会社の説明会とか言ってるけど、難しそうなんだよなぁ」 そう思えば、常葉の待遇等、 「誰が僕の絵を認めてくれたって、佑が認めてくれないんじゃ意味ねーだろうが」 「――――…あ、」 「僕は僕の為に描くんだよ、佑が気に入ってくれるように」 ふわりと笑う様は神々しいばかりの笑顔。 耐性の無い人間や常葉のビジュアルだけを見る人間ならば、それだけで腰が砕けて課金しそうになる物なのだろう。人形の様な銀色の髪、白くきめ細かい肌とスラリと長い手足、スタイル。 蜂蜜をどろりと溶かした、琥珀色の眼。 けれど、その眼に映るのは、 (あの人だけ、って事ね…) これだけ自分の存在意義をただ一人の相手に託すのも珍しい。 しかもこの高スペックを持ち合わせていると言うのに、勿体ないとすら思う村山だが、それも一瞬の事。 「お前って本当…あの人の事好きだよなぁー…」 独り言の様に呟かれた声に、ふっと笑った吐息が聞こえた気がした。 ***** こんな飲み屋には不釣り合いなのでは? そう思うくらい景観を損なう位置にある絵本の隣にはカンパリやウォッカが並べられている。 (悪目立ちしてんなー…) 一体何故こんな店にこんな淡いパステルカラー満載の絵本があるのか、なんて愚問だ。 「安達…あの本もうちょっと目立たない所に置けねーの…めちゃ目立つじゃん…」 「何言ってるのよっ、目立ってなんぼでしょうがっ!!たまに既婚者の人が来て、可愛い絵本ー♡子供に買ってみよう♡とか言ってるんだからいい宣伝じゃないのっ」 そう言われたらそうなのだろうが、先に立つのは気恥ずかしさ。 腕や背中を這うむず痒さに佑は、うぅっと背中を丸めた。 「俺も姪っ子に買ってやったら兄嫁が喜んでてさぁ、何か変にこっちの方が優越感凄いって言うかっ、感動、するって言うか、」 佑の隣で上機嫌にビール片手にそう笑う津野だが、酔いも回ったのか、時折ぐすっと鼻を啜る音を響かせる。 「僕も三冊買っちゃったよー、一冊の予定だったんだけど本屋に行くたびに買っちゃって」 えへへと笑う岡島も珍しく興奮気味にそう口早に捲し立て、佑もその様子に勿論悪い気なんて全くない。 しかし、 「つかさ、でもあの絵本、絵はお前じゃないんだな」 「あ、まぁな…」 「あ、僕もそれ思った。すごく綺麗な絵を描く人見つけたんだね。松永の物語に合う、相性のいい人が居たんだねー」 津野と岡島からの問いに、思わず水割りを噴き出しそうになった佑は何とかそれを飲み込む。 (そうだよな…コイツ等には常葉の事言ってないからなー…) 安達は最初から数には居れてない為、問題は津野と岡島、この二人。 じっ… 「あ?何よ?」 「いや…」 正直言ってしまえば、こんな容姿までイメチェンを測り、あちらの組合に加入した安達を受け入れた友人達。 だったらこの際、男を恋人にした自分くらい受け入れるのは容易い事なのでは? 声に出してしまえば安達からスターダストプレスのひとつでも掛けられそうな物言いだが、しばし考える事数分。
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