毒を以て毒を制す

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毒を以て毒を制す

人間誰しも多かれ少なかれ欲と言うモノはあるだろう。 この男にだって人並に欲はある。 社交的ではないけれど、せめて片手位の気の置けない友人が欲しいだとか、皆が知っている様な大学行きたい、だとか、大学行ったはいいけどやっぱり絵本作家になりたい、だとか、でもお金は欲しいから融通の利くバイトをしたい、だとか、恋人が欲しい。 鍵っ子だったから、出来た恋人と結婚した暁には出来るだけ子供との時間をとってやりたい。 そして自分が作った作品を是非読ませたい。 尤も、これはただの現実が入り混じりながらの妄想とでも言うべき欲。 実際、先月申し込んだ絵本の部のコンクールには見事落選。 半年務めた本屋は、先日オーナー兼店長の不倫が発覚。奥方が乗り込み、一緒にバイトをしていた女子大生に掴みかかると、それを止めようとした店長と共に張り手で応戦後、二人に対して言い逃れ等出来ないであろう証拠の写真と慰謝料請求の書類を叩きつけた。 そして、本日店は畳まれた。 バイト先も失うと言うこの結果。 何だか踏んだり蹴ったりだなと、とぼとぼと向かった先は大学時代からの彼女のアパート。 今日は彼女の誕生日。本当はバイトだった為に行けないと断っていたのだが、結局今日は、いや、今日から休みになってしまったのだから会わない理由が無い。 先週購入していたネックレス片手に、急に行って驚かせようなんて思ったのが悪かったのだ。 彼女のアパートに差し掛かった頃、向こう側から歩いてくる人影に思わず身を潜めてしまった男の眼に映ったのは、ふわりと長い髪を靡かせる自分の彼女と見知らぬ男。 二人笑い合いながら、腕を絡め合っている。 「うち寄ってくれるでしょ、誕生日なんだよぉ?」 「マジでいいの?今日彼氏は?」 「大丈夫だよぉ、バイトらしいし」 「そうなの?」 「て言うか、二十五にもなってバイトとか。正直いい大学出てるから将来有望かなぁなんて思ってたけど全然就職する気も見えないし、もういいかなぁ、って思ってるんだよね。顔もスタイルもパッとしないし」 「何それ、俺の方が全然スペックいいじゃんっ」 「そう、だから誕生日プレゼントだけ貰って別れてもいいと思ってるし。まー君との関係がバレたところで怖くもないよぉー」 「あはは、任せろ、守ってやるよ」 そんな会話をしながら、まー君とやらとアパートの階段を上っていく二人の後姿を見詰める男は、それが見えなくなるとそろりとその場から離れた。 ―――松永佑(まつながたすく)、二十五歳。 手ごたえの無い絵本作家を夢見る無職となり、ついでに誕生日サプライズで訪れた彼女から寝取られたと言うサプライズを受ける羽目となり、踏んで蹴られて金属バッドで打たれた、そんな気分に溜め息すらも零れない。 ***** 「ちょっと、佑っ、あんた飲み過ぎじゃないのっ!?」 女性の様な口調だがしっかりと喉仏の存在をアピールしてくれる野太い声は、佑の数少ない友人の一人、安達のもの。 「あぁ?うっせーな…もう、別にいいじゃねーかよっ」 「何言ってんのっ、いくら由衣ちゃんに振られたからって酒に溺れるのは感心しないわよっ」 「金払ってるの、俺だけどぉ!ここの売り上げに貢献してんだけどぉ!!」 真っ赤な顔と据わった眼で必死に酒の入ったグラスを掴む佑の、なんとも滑稽な姿。 ぴちっとしたカットソーから覗く鍛えられた上腕二頭筋に掛かれば、佑の抵抗等可愛らしいものかもしれないが、仕方ないと溜め息を洩らす安達は肩を竦めた。 「もう、今日だけよっ」 綺麗にネイルアートされた指がすっとチーズを出してくれる。 「酒だけじゃなくて、固形物も入れておきなさい。私の店でぶっ倒れるとか、冗談じゃないからね」 飲み過ぎるなと言いたいのだろうが、心にダメージを負い弱っている今、その見え隠れする優しさがじわりと染みる。 「安達ぃー、やっぱいいやつだよな、お前っ。ムキムキオネェだけど、人間としては本当に尊敬してっからなっ」 「はっ倒すわよ」 大学時代はこうでは無かった筈の安達は客から呼ばれるとすぐに、『はぁーい♡』としゃなりしゃなりと向かう。 人間何があって、ああなるのか不思議な所だと失礼ながら思った事もあったが、それでも安達との付き合いを辞める事等考えた事は無い。 人の眼や常識に囚われず、この店を立ち上げた友人は言った事は無いが、本当に尊敬しているから。 (俺も…何かもっと吹っ切れる何かが来るのか…?) 夢は絵本作家。 好きな子と結婚して、穏やかで幸せな家庭を作る。 カウンターに突っ伏し、グラスの中の氷を見詰める。 カランと解けていく、それ。 (好きな、子…) いかん。 今になって涙が溢れそうだ。 優しくて可愛らしい由衣は本当に自慢の彼女だった。一時は大手に就職が決まったものの、それを蹴ってしまう形となった佑に驚きながらも、にっこりと微笑みながら、 『ゆっくりやりたい事考えよう、現実的にも、ね?』 なんて言ってくれていたのに。 純粋に悲しい。 将来的には結婚と言う文字まで意識していた。 (やばい…マジで落ち込みそうだ…) あはははは、っと背後から聞こえる若い男女の声がまるで違う世界の声の様に遠くから聞こえる感覚。 チーズを摘まみ、口内へと運ぶ。
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