【指揮者】

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【指揮者】

「それじゃ酒の(さかな)は、『ホラーにおける怖さとは何か?』とかでどうかな? 同意してくれる人は、投票の参加費としてグラスを空けてくれ」  イレンが四人に問うてから一気に喉を潤し、少し遅れて一同が硝子(がらす)の酒杯を傾けていく。イレンは喋り始めた。 「よし、俺から話していいか?  ボヒズが野太い声を発しながら片腕を上げ、その腕をだらりと垂らしながら一瞬の挙手をする。  (たくま)しいのに酔うの早すぎよ。でも、話は聞きたいわね。  ラヴラがボヒズへ、笑いながら話を促した。  俺あなんと言っても、直接的な刺激が怖さの真髄だと思ってる。大事なのはわかりやすい状況・わかりやすい展開、それでいて、わかっているのに怖い要素だ。いや、『わかっているからこそ怖い』とでも言った方が正しいか。──流れる血に飛ぶ悲鳴、追ってくる殺人鬼と不調な車。一人づつ確実に、時には複数名が一気に死ぬ。血祭りなんてもんじゃねえ、噴水のように吹き上がり続ける血潮に、海老(えび)のように跳ねる人体。芸術的とも言っていい。スプラッタホラーこそが、怖さの指標だと思うね。  ボヒズが満足気に語り終えて、懐から細長い電子機器を取り出す。その先端を口に咥えては、葡萄(ぶどう)の匂いがする水蒸気を辺りへ吐き出した。ラヴラが手で空を煽り、眉を僅かにひくつかせる。  ボヒズの言う通り、スプラッタは怖さの一つだと思うわ。でも私は、『驚きと怖さを完全に同一化する』ことには反対よ。人を心の底から震え上がらせるのは、やっぱりどこまでいっても、人の想像。未知の恐怖こそが、『知性を粉々にする恐怖の塊』と思う。例えば……そうね、毒を持つ生物や食べ物を、毒入りと知らない人は怖がらないでしょ? 逆に、毒入りと知っている人は警戒する──でもあくまで、警戒止まり、知性の防衛線がある限りわね。ところが仮に、毒がないとされるものが、毒以上に有害なものとして、身の周りにあふれ出したらどうかしら? 定義できない脅威が、対抗手段なしで襲ってくる。まるで宇宙の深淵に飲み込まれるような未知の体験こそ、コズミックホラーこそが、怖さなんじゃないかしら?  ラヴラが熱心に語り終えて、懐から小さな正方形の包みを取り出す。やがて頬にキャラメルを頬張った。その様子を見ていたコオルが、頷きかけていた首を止める。  おいおい皆、聞き入りすぎだよ。  ラヴラが言っていることは、半分わかる。けれども、ことホラーについての会話で僕は妥協できないね。話を聞く限りラヴラが主張する『想像』は、僕にはどうにも、語り手ありきの創作性が優先されているように感じとれてしまう。つまりは想像の弱点、個人個人によって解釈の違いが生まれる可能性──言うなれば、一貫性を持たせないといけないワンクッションが、恐怖を和らげてしまう可能性として残る訳だ。そうだな……。例えば今言った、想像の共有化を図るのではなく、恐怖そのものの共有化──抽象的な表現になるけれど、『伝染していく死の可能性』とかはどうだろう。古くから呪いや恨み、呪術的な要素が仕込まれた手紙やメール、電話なんてものが怖がられてきたのは、『身近にあって伝達が可能な危険』があるからさ。伝言ゲームだってそうだ。最初の決まった言葉から、最終的には意味のわからない言葉になる、そこに面白味がある。最初から想像で最大化された恐怖よりも、徐々(じよじよ)に広がる恐怖。人々の間で、終わりのない打ち上げ花火のような、際限のない恐怖の伝達が発生すればどうだろう? 身近でいて身近でない、都市伝説や怪談のようにね。つまりモダンホラーこそ、怖さの醍醐味だと僕は思う。  コオルが得意げに話を終えて、懐から薄い長方形の容器を取り出した。容器が傾けられて、広げられた片手へラムネが落ち、そのまま飲み込まれる。黙っていたツユキが口を開く。  コオルの意見に半分賛成で半分反対かな。確かに、想像や恐怖は共有されるからこそ、感情として人々を揺さぶる。でも何も、感情だけが人を動かすとは限らない。時には気まぐれで、時には法則で、時には偶然で、人の感情なんてものは左右される。だからこそ、考えてみて欲しい。いや、考えられるべきなんだ。例えば、どうして殺人が起きて、どうして状況証拠が残っていて、どうして登場人物は事件に巻き込まれているのか。共有化されていない犯行動機に反比例するかのような、共有化されていく出来事。それらが複雑怪奇に入り乱れては、DNAのように思考回路へ螺旋を描いて絡まる。その絡んだ紐のような体験が、一本の真実へと引っ張られた時、人は形容しがたい快楽と恐怖を味わうんじゃないかな。ミステリホラーを怖さの一種として提案するよ。  納得げに話を終えたツユキが懐を漁る。少しして諦めたように広げられた掌から、粉々になっていた飴の包みが現れて、哀愁を漂わせた。その掌に、葡萄味・キャラメル味・ラムネ味のガムが、それぞれ一枚ずつ積み重ねられる。イレンが目の前の光景に微笑みながら、ゆっくりと喋り出す。  それぞれのジャンル好きが伝わってきて、素晴らしい内容だ。一旦の最後を回されて緊張するけど、俺も語らせて貰おう。皆は今、『ホラーにおける怖さとは何か?』について満足げに、あるいは熱心に、あるいは得意げに、あるいは納得げに、思い思いの考えを語ったね? 例にならって言うなれば、それらは好きなことに対する執念とも言える。執念……そう、執念。くどいようだけれど、良い響きだと思わないかい? 執着しては離れない心、物事にとらわれ魅了された心。提案してみて正解だった──だからこそ一つ、想像してみて欲しい。この場で怖い話が苦手な人が一人でも、俺ら全員の話を聞いていたら、コテージから飛び出していくだろうという突飛な妄想を。また一つ、想像してみて欲しい。善意で集まった執念が、第三者から見た時に、狂気の塊だった場合のことを。最後に一つ、想像してみて欲しい。狂気の渦が人の群れとして、様々な時代を流れ、幾重もの書物や伝説となって残り、現代科学で証明できない出来事を呼び起こしてしまった場合のことを。狂信的でいて現実味を帯びない、形容しがたい恐怖の渦。悪魔じみた咆哮に、四つん這いで走る人体。それらを敬い崇め、たたえ続ける集団。知性ある人類が、知性を持ちながら狂う。俺はカルトホラーを怖さの一種として推しておくよ。
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