独り旅

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 二〇一五年、八月一〇日。米国のニューヨーク州にあるセントラルパークにて銃弾テロが発生。犯人は二人組での犯行で爆弾を腰に巻き、手には自動小銃を持ち無差別に周りへ打ち続けた。被害は死傷者二五人、負傷者五〇人の大きな被害となった。日本から観光で来ていた男女二人も巻き込まれ、女性の死亡が確認された。  とあるニュースより抜粋ーーー。   田原勇司  当時の私の彼女は無口だった、嫁になってもそれは変わっていない。何かを話しかけても素っ気ない言葉が返ってくる、それが日常だった。だが、言葉では表さずとも私を愛で満たしてくれていた。それがプロポーズした理由だった。  結婚式はお金が貯まってから先に旅行だけ、と約束をしてからは私がアメリカに行きたいと言い嫁が同意してくれた。旅行は計画をしている時から始まっている、観光地、泊まるホテル、交通機関を調べている最中も当日を想像して心が躍った。嫁はそんな私を見て笑顔で包んでくれていた。  一緒に買い出しに出かけている時も幸せだった。私の左側にいる嫁は手を繋ごうとはせず、購入リストを書いたメモ帳を私に見せてくれていた。はしゃぐ私を後ろから眺めてくれる、私にとって理想の嫁だった。 そんな嫁を喜ばせようと私はアメリカの至る地域を調べ尽くした。  私の計画はこうだった。  一日目。メルローズアヴェニュー、ハリウッドで観光と買い物をする。  二日目。ディズニーランドパークで日中遊び、夜は飛行機でニューヨークへ。  三日目。タイムズスクエアで観光をした後にセントラルパークで余韻に浸る。  アメリカは大きすぎて一回の旅行では良さを伝えきれないが、これを機に旅の良さを知って貰えれば私に着いてきてくれる事だろう。  計画を立てている楽しさは旅行の前日まで続き、当日になってもそれは消えなかった。いや、滑走路から空へ飛び立つ飛行機の如く一層増していた。  一日目はとてもが付くほど順調だった。元々高円寺や吉祥寺に遊びに行く事も多かった為に嫁も楽しそうにしていた。やはりアメリカ、規模が日本とは桁違いだった。そんなはしゃぐ私をリードに繋いだ犬のようにうまく扱う嫁は良いパートナーだった。夜のホテルでは珍しく嫁が先に寝ていた。私はそんな嫁の隣に入り込み、頭を撫でた。嫁は少し目を開くと、微笑んでからまた眠りについた。私も促されるように睡魔に身を委ねた。  二日目はアメリカの規模の大きさに圧され、計画通り行かない事を体感した。世界中の人が集まる国ではアトラクションも、そこにある行列も想像を遥かに超えていた。日本にはない目の付いた赤い車のアトラクションは惜しくも逃したのでいつかまた来よう、と二人で残念そうに話した。移動の飛行機では嫁が隣で寝息を立てて寝ていた。私は嫁の寝顔を見るのが幸せで、寝る事を忘れてずっと眺めていた。ニューヨークに着く頃には私も眠りに落ちており、二人して眠い目を擦って夕食をとった。  三日目はまるで前日の夜に見ていた悪夢から醒めていないかのような最悪だった。思い出したくもないが、決して忘れる事は出来なかった。残念だが、タイムズスクエアの事は覚えていない。  今でも鮮明に覚えている。一日目、二日目を敢えてハードスケジュールにしたのは、セントラルパークのベンチでゆっくりとした時間を過ごし、この旅行を振り返って海外にいると体感して欲しかったからだ。嫁の疲れた足を休ませるベンチ、心を癒す緑がそれにはうってつけだと思った。ベンチで飲み物片手に一息つく嫁の横顔が脳裏に焼き付いていた。  次の瞬間だった。近くのゴミ箱が突如鼓膜が痛いほど大きな音を出して爆発した。幸い私達は無事だったが、近くを歩いていた数人が倒れている。周りの人達はパニックに陥っていた。それは私も同じだった。その直後、遠くから歩きながら銃を乱射する二人組を見つけた。ゲームの世界では考えられないような迫力、そして圧倒的恐怖に腰を抜かしてしまった。嫁は私の手を引いて二人組がいる反対側へ逃げようとする。こんな時でもしっかりしている嫁に対して私は、何とも情けない。  そして、一発の銃弾が嫁の腕を撃ち抜いた。  あの時、私が立ち上がり共に走っていれば。  もしかしたら嫁は生きていたかもしれないのに。  痛みで腕を押さえ、蹲る(うずくま)嫁を見て私は涙が溢れた。そうしている間にも二人組はこちらに近付いてくる。徐々に大きくなっている銃声に紛れてパトカーのサイレンが聞こえた。私は安堵した、これで二人組も警察が捕まえ、大人しくしてくれると。  だが二人組はパトカーを見るなりそちらに銃を構えた。周りに見境なく撃ち続けていた時とは違い、一つの獲物を狙う狩人のような形相に私は目を奪われた。我に返った私は周りを見渡す。先程まで綺麗な緑と楽しそうに歩く人々の姿が一変、赤と緑のコントラストと芝に横たわる大勢の人々だった。程なくして私達は警察に包囲された。四方から構えられた銃を見て、二人組は持っていた銃を遠くに滑らせた。すると、私達の方に寄ってきた。  彼らはこう言ったんだ。片言な日本語で、しかしはっきりと。  「さようなら」と。服を捲りあげた彼らの腹には無数の爆弾が括り付けられていた。  私は隣で蹲っていた嫁に突き飛ばされた。次の瞬間、私は爆風に飛ばされ、後ろへ転がった。  現実には数秒間だったろうが、私には一晩深い眠りに落ちた感覚に近い程気を失っていた。正気を取り戻すと、何も聞こえなくなっていた。どうやら鼓膜が破れたのだろう。  ふと自分の体を見ると、転んで汚れた服に傷だらけの肌。  そして、近くには見覚えのある指輪が付いた指。  それからの事はよく覚えていない。だが、静寂の中数メートル先には煙の上がる公園と、その中心に三本の大きな黒炭が転がっている景色が瞼の裏に焼き付いていた。  私はまた気を失い、病院に運ばれたらしい。最早何を聞かれても、何を見せられても何も感じなかった。周りの医者や警察官を見ても何も感じない。目は虚ろ、まさしく虚無感が私の心を支配していたと思う。  その後は日本に帰り、家路に着いた。いつも2人で通っていた道を見ると、悪夢が現実な事に気がついた。呼吸が苦しくなり、涙が溢れてどうしようもなかった。道の脇に崩れ落ち、嗚咽を漏らした。周りからの視線なんて気にならなかった。そんな余裕は微塵もなかった。  次の日、会社に退職する旨の電話をした。取り合った上司は気まずそうに、踏み込んだ事は言わずにいてくれた。  そして私は寝室の証明にネクタイをかけた。  君の純白のドレスに包まれた姿を見たかった。  君の笑顔に、優しさに、強さに包まれていたかった。  君のいない人生は耐えられないや。  「愛しているよ、笑美」私はそう呟き、椅子を蹴った。  飛行機ほど高く綺麗ではないが、情けない私には丁度良い高さだ。   田原笑美 手記  八月三日  またしても夫は急に旅行に行くと言い出した。私は海外は怖くて行きたくないのに、あんなに目を輝かせられたら何も言えないじゃない。結婚の話だってそう。まだ出会って長くないのに婚姻届を突きつけてきて、何を生き急いでるのかしら。言い出す事だってまるで子供だわ。  でも、そんな夫を見ていると気持ちが明るくなる。  八月四日  今日は二人で必要な物を買いにお出かけをした。  夫は目新しい物を見るとすぐに欲しくなっちゃうの。その度に私は必要な物を見せて思い出させてあげなきゃいけないのよ。全く、私と出会う前はどうやって生活していたのかしら。やっぱり財布の紐は握らせちゃ駄目ね。  八月五日  今日は二人で荷造りをした。遠足の前のわくわくって言うのかな。柄にもなく私もはしゃいじゃった。  夫はそんな私を見てにこにこするから、恥ずかしくてあまり見せたくないのだけれど。初めての海外だもん、少しくらい良いよね。  八月六日  明日は初めての海外へと飛び立つ。私は今でも少し怖いの。でも、そんな私を気にして夫は色々調べて計画をしてくれていたみたい。ここにはこんな所がある、こっちには、って。永遠と聞かされる身にもなってよね。お陰で退屈しないから良いけど。  八月七日  何年振りかの飛行機はとても怖かった。そんな時に夫は手を握ってくれて、大丈夫だよ、って笑ってくれた。  何だかんだ頼りになる所、好きよ。  八月八日  世界はとても広い。アメリカはとても大きい。日本とはスケールが違うわ。  可愛い服だっていっぱいあったの。日本人の私に合うサイズの服はあまり無かったから残念。まあ、当然っちゃ当然ね。  ハリウッドもこれぞアメリカ、って感じの雰囲気でとても楽しかった。  夫は一〇〇枚も写真撮っちゃったって言ってたけどね、私は三〇〇枚も撮ったの。あなたの計画は大成功ね。  八月九日  夢の国、名前の通りだったわ。全てが大きいなんてずるいじゃない。一日中見上げながら歩いて、まるで田舎者だわ。  アトラクションだってあんなに並ぶとは思わなかったわ。カーズ、乗りたかったのに。  これだけ動き回ってもずっと楽しくて時間を忘れられるのだって夫のお陰ね。  最初は怖くてあまり乗り気じゃなかったけど、世界に目を向けるって本当にすごいことだったのね。  もう飛行機の移動だって怖くない。夫が隣にいてくれるって考えると何だか安心するの。  日本に帰ったらたまには愛してるって伝えようかしら。  緋色に染まった手記はここで終わっている。  現在  「…という訳で。長くなってしまいましたが、話はここまでです。私は強い奥さんに生かされ、今も歩かされています。どうか皆さんも命の尊さを、価値を少しでも理解していただければと思います。」  ある高校での演説を終えて、男は深く礼をした。左手の薬指とネックレスに付いている二つの指輪は強い輝きを放っていた。
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