推して、愛して。

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 連絡通り、翌日から美桜はまた姿を出した。バイト先に来た美桜は、いつも通りチェキで私を指名して、テーブルに呼ぶ。 「四日ぶり?そんなにあいてないのに毎日会ってたせいですごい久々な感じするね」 「そーだね、久しぶり〜」 「あ、そうだ。はいこれ」  美桜は荷物入れから白い紙袋を取って、私に差し出した。 「なに?」 「旅行のお土産!」  見てみて、と楽しそうに笑う。その幸せな表情に、私の腹の虫が治らない。 「いらない」  何も考えず口に出た。自分でも聞こえるか聞こえないかくらいの声量で。 「え?なんか言った?」  顔を覗き込む美桜に、ばっと顔を上げて目を合わせた。 「こんなのいらない!」  美桜が持っていた紙袋を右手で地面に叩き落とす。 「…はるちゃん?」  美桜の声ではっと我に帰った。とっさに周りを見ると私の方を向いてざわついている様子だった。最悪だ、やっちゃった、最悪。 「ごめんね美桜ちゃん!怪我ない?お土産ありがと〜もらうねこれ!ちょっと体調悪いから今日は戻るね。またねっ」  地面に落ちた紙袋を拾って、必死に笑顔を取り繕った。できてたかわかんないけど。とにかくこの場から離れたい。美桜の、みんなの前から逃げたい。その一心で、小走りでバックヤードの更衣室へと逃げ込んだ。  ロッカーの前でしゃがみこんで膝に顔を埋める。どうしよう、どうしよう。うまく息ができない。今まで完璧に“はる”でいられたのに。何があってもここでは“はる”としてやってきたのに。美桜といるとろくなことがない、本当に最悪。うざいうざいうざい。  幸いにも平日の昼過ぎで客は少なかったけど、数人には見られた。もしこれで、広まったり噂が立ったりして、好きでいてもらえなくなったら、嫌われたら。はるとして生きてはいけなくなったら。“私”だけでなく“はる”も存在意義がなくなってしまうのではないかという不安と恐怖に押しつぶされそうになる。 「はるちゃん、どうした。なんかあった?」  スタッフの高橋さんの声がして顔をあげると心配そうな表情で私の隣にしゃがみ、背中をさすった。 「ごめんなさい、ごめんなさい…」  どうか許して、はるでいさせて。すがるように高橋さんの袖をキュッと掴んだ。 「大丈夫だから。今日はもう帰りな。お疲れ様」  その大丈夫は、もう来なくて大丈夫の意味なのか、さっきのことは大丈夫の意味なのか。私には安心できる言葉ではなかった。  言われた通り、着替えて家へと帰った。玄関で靴を脱いで部屋へ入ると力が抜けたようにベッドへ倒れこんだ。そのまま、いつ間にか眠りについていた。
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