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次の日から、美桜のお見舞いに来ては毎回父を訪ねた。それも一日一回ではなく、朝昼晩、取り合ってもらえるまで何度でも。バイトやライブがない時は一日病院にいて、父と話す機会を伺った。父は確かに多忙なこともあり、何かと理由をつけられて最初に訪ねた時以来一度も会ってさえくれなかった。
「愛生ちゃん、なんか最近疲れてんね。大丈夫?ライブとバイト続いてるでしょ。Twitterの更新がんばってるんだもんね」
「んー、まあね。ファンの人喜んでくれるし」
「愛生ちゃんのライブ、俺も見にいこっかな〜」
「は?来んなし」
「あははは〜ですよね〜、俺帰りま〜す」
病室ですれ違った後日、空は美桜に強制されながら私に謝罪した。本当に反省している様子だったし、美桜に言われたこともあって、許すことにして美桜を介してちょこちょこ話すようになっていた。まだ気に食わない奴だとは思うけど、多分めちゃくちゃ自分の気持ちに素直な奴なんだろうなって話してて思う。
「退院したら一緒に行くから。空絶対ハマるだろうな〜、多分おとちゃん推し」
「あー、わかる。おとが一番美桜ちゃんっぽいもん」
「えー、あんな美人じゃないよ」
もうお見舞いに来て、一週間が経つ。ただの検査入院ではないことは私でもわかった。でもやっぱり美桜は話そうとはしなかった。
「じゃあそろそろ帰るね。また明日」
「ん、ありがとう」
病室を出ようとすると、愛生ちゃん、と呼び止められた。
「がんばれ」
美桜はそう言って手を振った。手を振り返して病室を出る。美桜には父とのことを話していない。でも私が今何かと向き合おうとしていることを、美桜はなんとなく気づいているのかもしれない。美桜って、そういうところあるから。そのまま三階のカウンターへ向かった。
「すみません、逢坂の…」
「はい、お呼びしますね」
看護師はもう最後まで言わなくても私が誰であることをわかっていて、父を呼んでくれるようになっていた。ここでこうするのも二十回目くらいか。断られるのも同じ数だけど。
「お待たせしました。西館四階の逢坂研究室までお願いします」
「そうですよね、わかりました…え?」
ペコっと下げた頭をバッと起こしてカウンターに手をついて前のめりに看護師を見ると、その勢いに押されたように驚いていた。はっとして体制を元に戻し、もう一度会釈をした。今、研究室までって言った?てっきりいつも通り時間が取れないと言われるとばかり思っていた。何の心変わりか、それともめちゃくちゃ暇なのか。話ができるのは一週間ぶりだ。今度こそ聞き出さなきゃ、次は一ヶ月後とかになるかもしれない。研究室の扉をノックして返事があると、中へと入った。
「患者の病気を教えてください、お願いします」
「まだそれか。しつこいぞ、毎日毎日。私は暇じゃないんだ」
「わかってる、でもどうしても知りたいの。他に方法がないの」
父がはぁと溜息をつく。今日もここの空気は薄い。
「どうしてそこまでするんだ」
「…大切な人なの。その人は初めて私を…、愛生を、認めて、受け入れて、必要としてくれた」
父は黙ったまま私の話を聞いた。頷くことも、追い出すこともなく。私は話を続けた。
「ずっと苦しかった。パパにもママにも、お姉ちゃんにも認めてもらえなくて、必要とされなくて、この家族に愛生は要らないって思って生きてた。家に居場所がなかった。だから外に出たの。何にも縛られず、自由になりたかった。でもね、たまに思い出すんだ。みんなでご飯を囲んだこととか、小さい頃に連れてってもらった遊園地とか。この家に生まれて、人生って最悪だなって思ったけど、それでも、パパもママもお姉ちゃんも、ずっと、嫌いにはなれなかったよ。みんなの笑顔があったお家が大好きだったから。ねえパパ、愛生は要らない子だった?出来の悪い、期待外れの子だった?家族は愛生のこと、嫌いだった?」
「…愛生…」
言葉と共に涙も溢れた。こんなこと話すつもりじゃなかったのに。手で涙を拭うと、マスカラが黒く滲んだ。
「お前が家を出て、連絡も取れなくなって、私も母さんも真心も、本当に心配したんだ。でも、それは私たち家族に原因があることもわかっていた。だからどんな理由であれ、お前がこうして私の前にまた戻って来てくれて、本当に、嬉しいんだよ。生きててくれて、よかった」
父の声が震えているのがわかった。顔を見上げると、隠すように私を抱きしめた。父に抱きしめられたのは、遠い昔の記憶にある。記憶と共に感情も蘇る。パパ、大好きだったパパ。優しかったパパ。大きな体が私を包み込む。
「ごめん、ごめんな愛生。酷いことを言った。私も母さんも、お前の将来のためだとあの頃は思っていた。でも間違っていた。誰もお前のことを不必要だなんて思っていない。愛生を含めて、四人で家族だよ。ずっと」
「パパ…、パパあ…!」
泣きじゃくりながら父の背中に腕を回した。父も私を一層強く抱き寄せた。
暫くして落ち着いた後、二人でソファに腰掛けて父が淹れてくれた苦めのコーヒーを飲みながら、話の続きをした。
「それで、その患者の名前は」
「天馬美桜。十日前くらいから入院してるんだけど、愛生には検査入院としか教えてくれないの。でもそれって嘘だよね、ただの検査入院じゃない」
「ああ、天馬さんか…」
父は美桜の名前を聞くと神妙な面持ちをした。
「わかるの?教えて、お願い。あの子にできることはなんでもしたいの。愛生が今生きてるのはあの子のおかげだから…こうしてパパと会えたのも、話せてるのも」
「…患者のことは言えない。きっと彼女も何か理由があって愛生に話してないんだろう。それを私が無責任に言うこともできない」
医師が患者の情報をその家族以外に漏らしてはならないのは当たり前だ。プライバシーに関わる。倫理的なことはわかる。でも今はそんなことは言ってられない。
「パパ、」
訴えかけるように父の目を見つめた。父は困った表情で、顎に手を当てて考え込む様子を見せた。しばらく沈黙が続いた後、仕方ない、というように溜息をついた。その顔は、ふっと小さく笑ったようにも見えた。
「…彼女は過去に急性骨髄性白血病を患っていた。一度は完治したが、昨年再発が見つかった。しかし彼女は治療を望まなかった。お前も少なからず医療を学んでいた身として、この先は分かるだろう」
頭が真っ白になる。まさか、美桜が。いつもニコニコしてて、元気で明るい、あの美桜が。ずっとそれを抱えていたなんて、想像もしていなかった。私もかつては医療に携わろうと勉強していた。叶うことはなかったが、知識はそれなりにはついている。白血病、そしてその再発。それは美桜が今どういう状況かを示すのには十分な情報だった。
「美桜ちゃん…、美桜ちゃん、嘘でしょ、やだ」
治療を望まない場合、病気の進行度合いなどにもよるが、余命は半年から一年ほどだ。いつ再発したのかはわからないが、美桜と再会してから少なくとも四ヶ月は経つ。病気の進行は年齢が若いほど早い。最近になって見られていた、食欲や体力の低下はそれによるものだと考えられる。病魔は着実に彼女の体を蝕んでいるのだ。両手で顔を隠すように涙を流した。父は背中をさすってくれた。
「愛生。今日は家に帰ってきなさい、母さんにも話してあるから」
本当は今すぐ美桜に会いたい。でも今会ったら泣いてしまいそうだからやめよう。私より辛いはずの美桜の前で泣くのはダメだ。家族団欒という気分にはなれなかったが、一人でいるのが嫌で父の言葉に甘えることにした。
久々の実家。やっぱりでかい家だな、あんな激狭ボロアパートとは比にならない。さあ、と父に促されてドアを開けると、玄関で母と姉が待っていた。
「愛生ちゃん…っ!」
「愛生…、おかえり」
「…ただいま。ママ、お姉ちゃん」
母は涙ぐんで私を抱きしめた。姉は深く頷いて、私の頭を撫でた。私も母を抱きしめ返して、姉に微笑んだ。父はそれを見守っていた。ああ、私にも家族があった。かつてここは私にとって広いだけで冷たい独房のような場所だった。それが今じゃこんなに暖かい。大事なのはどんな場所かじゃない、どんな人といるかだと実感する。これも全部、美桜がいなきゃ気づけなかった。美桜がいなきゃ今こうして、家族で鍋を囲むこともなかった。この気持ちを早く伝えたい、早く美桜に会いたい。早く明日に、と思いながら、出て行った時からそのままになっていた自分の部屋で眠りについた。
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