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二日後、昨日持って行った荷物を手に美桜は無事退院した。病院の入り口で合流する。
「お待たせ。楽しみだな〜」
「何そのワンピ初めて見た、かわいーね」
「でしょ、今日のためにネットで買ったの。届け先病院にしたら看護師さんに怒られちゃった」
「ネットショッピング病院に届けんのウケるんだけど」
美桜とこうして外出するのは二週間ぶりくらいだ。今までの普通が全て特別に思えた。美桜はキャリーケースを引いていない方の手を私に差し出した。手を取るとぎゅっと握ってくる。隣で歩いている間は常に手を繋いだ。
空港について荷物を預けて飛行機に搭乗する。約3時間ほどで那覇空港に到着した。ホテルまでは電車や徒歩で30分ほどだった。誕生日だし、と少しいいホテルにしたかいがあって内装はとても綺麗で広い。繁華街からは少し離れているが、目の前が海のオーシャンビュー。部屋は十五階だから眺めは抜群で、天気も申し分ない。私も美桜も沖縄にきたのは初めてだった。日本にこんな海が綺麗な場所があったのか、と思わず窓に張り付き景色を眺めた。
「すごいね愛生ちゃん、綺麗な海」
「うん、ヤバいね」
「泳ぎたい!」
「さすがにまだむり」
「えー、残念。さ、早く行こ!」
今日の美桜はいつも以上にテンションが高い。楽しそうにしてくれて嬉しいけど。ホテルを出て、その日は一日観光に回った。夜は疲れ切って二人してすぐに眠りについた。
二日目は美桜が行きたがっていた美ら海水族館へ行った。イルカショーを見たあと、美桜は大水槽の前で立ち止まった。
「美桜ちゃん?」
「あたし、生まれ変わったらお魚になりたいなあ。綺麗な海を泳いで旅するの、どこまでも自由に」
美桜が水槽を見つめる瞳は悲しげで、でも美しかった。でもどこか遠くに行ってしまいそうで、消えてしまいそうで、握っていた手を引っ張って強く抱きしめた。
「っわ、なになに愛生ちゃん、苦しいよ」
「あ、ごめ…」
「変なの」
はっとして体を離すと、美桜は眉を下げて笑った。先を歩く美桜の背中を見つめて、魚はそっちのけで美桜を夢中で追いかけた。美桜の一瞬一瞬を目に焼き付けたい。いっそこのまま時間が止まればいいのに。
夜はホテルでディナーをした。おめかしした美桜は、上品な赤色のドレスワンピースがよく似合っていた。テーブルマナーが身についていてよかったと初めて思う。コースが出され終えると、テーブルに二つのホールケーキが運ばれた。何で二つ、というように驚いた表情の美桜と目が合った。それぞれプレートには、HappyBirthDayの後に、MIOとAKIの文字が筆記体で書かれていた。美桜へのプレートをサプライズで頼んだのは私だ。ということは。
「もしかしてサプライズ被り?」
「だね」
二人で笑い合う。まさかここで被るとは思わなかった。
「愛生ちゃんが準備してくれてると思わなかった」
「合同誕生日って言ったの美桜ちゃんじゃん」
「そうだけどさあ、愛生ちゃんのが先に誕生日じゃんか」
「それは関係ねーもん」
今日一日で一番笑った。二人ともヒーヒー言いながら大爆笑していると高級ディナーの雰囲気を乱していそうで、人差し指を唇に当てて、シーっとした。
「お誕生日おめでとう、愛生ちゃん」
「おめでとう、美桜ちゃん」
一つを二人で分けて、余ったケーキは箱に入れて持ち帰らせてくれた。食べ終わると、美桜が何かを取り出して私に差し出した。
「プレゼントも被ってたらどうしよ、ないと思うけど」
てのひらサイズの小さな小包。中を開けると、透き通ったピンク色の、ガラス細工のような、桜の形をしたピアスが入っていた。
「それ、私の手作り。ガラス工房みたいなところで作ったの」
それはまるで美桜自身のようだった。繊細な質感、美しい色、上手にかたどられた形。美桜のことも、このピアスみたいにずっとそばに置けたらいいのに。ぎゅっと胸が締め付けられて、泣きそうになるのを堪えた。
「ありがと美桜ちゃん、大事にする」
「うん、喜んでもらえたならよかった」
その場で付けると、似合ってるよ、と美桜は笑った。
ディナーを終えたあと、美桜が少し散歩をしようというので浜辺へと出た。夜の海は昼間とは違った幻想的な美しさがある。空には東京では見られないような満点の星空があった。美桜と再会したあの日、こんな星空を見てから死にたいって思ってたな。美桜と出会ってなかったら妄想だけで終わっていたことが、現実に叶えられた。美桜の力や存在って本当に大きい。ヒールを履いて砂浜を歩くのは難しい。手を広げてバランスを取りながら歩く美桜が振り返って私の名前を呼んだ。再会した時のような、優しい声で。
「愛生ちゃん」
「ん?」
「知ってるんでしょ、あたしの病気のこと」
わからないように接していたつもりだった。でも気づかれていたみたい。美桜はこうやっていつも私の何かを見透かしている。私は静かに頷いた。
「やっぱり。愛生ちゃんってわかりやすいよね」
「えー、そう?ポーカーフェイスだけどな」
感情はあまり表に出さない方だった。“私”を出さないためにも。でも美桜の前ではずっと“私”だった。自分でも気づかないうちに、感情が出せるようになってたのかな。美桜は流木を見つけるとそこに座り、私を隣へと誘った。
「どこまで知ってるのかわかんないけど、全部話すね。ずっと隠しててごめんね」
電灯などもない浜辺を照らすのはホテルの光と月だけだった。薄暗い中で美桜の表情もはっきりとはしない。美桜は海を見つめて話し続けた。
「白血病になったのは、十八の時。大学に入ってすぐの頃。治療のために休学して、七ヶ月間抗ガン剤治療をした。毎日の検査、毎日の薬、その副作用、地獄だった。こんな思いしてまで生きるなら死んだほうがマシだって思うくらいね。でも家族の支えがあってなんとか乗り越えて、治すことができた。大学にも通えるようになって、サークルに入って、新しい友達ができて。普通の日々が楽しくて、健康でいられることが幸せで、頑張ってよかったって、生きててよかったって思った。でも、愛生ちゃんと再会したあの日、再発が見つかった。結構進行しちゃってたみたいで、何もしなければあと半年持てば良いほう、治療しても治る可能性は五〇%って先生に言われた。あと一ヶ月で、完治って言われる二年だった。家族もみんな泣いてた。あたしは何も感じなくて、実感がなかったのかな。気づいたら高校に向かってた。そしたら愛生ちゃんがいた。しかも、愛生ちゃんが死のうとしてたときに。不思議だね、本当に偶然。神様が、死ぬまでの時間を愛生ちゃんと過ごすように導いてくれたような気がした。だからその時決めたの、愛生ちゃんと生きようって。残された時間、愛生ちゃんと一緒に、やりたいことを全部やろうって。またあの苦しい治療をするくらいなら、残された時間を思いっきり生きようって。あたしの勝手に愛生ちゃんを巻き込んでごめんね。それなのにずっと事情を隠しててごめんなさい。話そう話そうって思ってるうちに、愛生ちゃんが生きることに前向きになってきてくれたように思って、話せなかった。せっかく愛生ちゃんが生きることを選んでくれてるのに、死ぬ話なんてできなかった。でも、あのとき愛生ちゃんが死ななくてよかった。愛生ちゃんに会えてよかった。あの時愛生ちゃんに会えてなかったら、あたしがあの場所で死んでたかもしれない。今あたしが生きてるのは、愛生ちゃんのおかげだよ。一緒にいてくれてありがとう」
美桜は満面の笑みを私に向けた。その表情は、初めて美桜と話したときを超えて、今までで一番綺麗だった。堪えていた涙が溢れ出す。
「みおちゃんっ、みおちゃん…っ、うぅ、死んじゃやだよ、ずっと一緒にいたいよぉ」
「もー、そんな泣かないでよ。せっかく可愛くお化粧してるのに」
美桜は私の頭を優しく撫でた。涙で滲んでよく見えなくても、美桜の頬を伝う涙の粒が月明かりに照らされたのがわかった。
「愛生のほうこそだよ、今生きてるのは美桜ちゃんのおかげ。あのとき美桜ちゃんと会えてなかったら、美桜ちゃんに必要とされてなかったら、愛生はいないよ。美桜ちゃんが愛生を見つけてくれたから、認めてくれたから、美桜ちゃんと生きていたいって思えたの。美桜ちゃんがいなくなった世界でなんて生きていたくない、美桜ちゃんがいなきゃ生きていけないよ」
縋るように美桜を抱き寄せた。水族館の時よりも強い力で抱きしめると、美桜も私の背中に腕を回した。
「そんなこと言ってもらえて嬉しい。あたし幸せ者だなあ」
お互いの気持ちを確かめるように抱き締めあった。全身で美桜を感じる。暖かい、生きてる。美桜はここにいる。
「美桜ちゃんのおかげで世界が変わった。こんなクソみたいな世界で生きるのも嫌で、クソみたいな自分も嫌で、ずっと早く死んじゃいたいって思ってた。美桜ちゃんに会ったときも死ねなくてめちゃくちゃウザくて。でもね、美桜ちゃんと過ごすうちに、いろんなことが変わった。こんな愛生でも誰かを大切に思えるんだなってわかった。人の幸せを願うことができるんだなって思えた。自分を偽ることなく、“私”として人と関わることができた。絶縁してた家族とも向き合うことができた。愛生は一人じゃないって思えた。美桜ちゃんから教えてもらったことがたくさんあるよ。愛生の世界は、美桜ちゃんでできてるんだよ。美桜ちゃんと生きられるなら、この人生も捨てたもんじゃないって思えるの」
美桜は私の肩に顔を埋めた。ずっずっと鼻をすする音と、波の音だけが聞こえる。それはまるで、世界に二人しかいないようにも思えた。
「愛生ちゃん、あたし、あたしね、本当は死にたくない。怖いよ。あたしもずっと愛生ちゃんと生きていたい」
初めて美桜の心からの叫びを聞いたような気がした。私は背中をさすることしかできなかった。
「美桜ちゃん、すき、だいすきだよ」
「あたしも、愛生ちゃんのことがだいすき」
ゆっくりと体を離すと、そのまま引き合うように唇を重ねた。お互いが生きていることを確かめるように、頬や額に何度もキスをした。
「ふふ、愛生ちゃんかわいい」
「美桜ちゃんこそ」
涙でボロボロになった顔を見合って笑った。
好きに種類がある、とよく言う。でも私たちの想いは、友達とか、恋人とか、そんな括りのどれにも当てはまらない。もはや言葉にできる関係を超えていた。ただお互いが誰よりも大切で大事で、それを表すのに好きという言葉しかなかっただけだ。きっとこれは私たちにしかわからない。でも確かに想いは通じ合っていた。
一度部屋に戻り着替えてからまた浜辺へ出て、美桜がやりたいことの一つに挙げていた花火をした。花火を持って砂浜を走ったり、打ち上げ花火をしたり、残された時間を忘れて楽しんだ。冬の澄んだ空気の中でする季節外れの花火は、夏の花火よりも綺麗に見えた。最後に残った線香花火がパチパチと光る。
「美桜ちゃん、はいこれ」
「ヒトデ?」
水族館で買ったヒトデのマスコットキーホルダー。本当はいるかにしようと思ったけど、こっちに変えた。
「誕プレは当日に渡すから、今はそれね。…美桜ちゃんは魚よりそっちの方が似合うよ」
「ん?最後聞こえなかったー」
ヒトデにした理由は波の音でかき消されたみたいだった。
「誕プレなにがいー?」
「んーとね、大量のチョコ」
「なにそれ、世界中のチョコかき集めるわ」
「あはは、期待してる」
花火の火が砂浜にポタリと落ちる。それを見て少し泣きそうになった。部屋へと戻って一緒にお風呂に入ってから、抱き締めあって眠りについた。
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