【3】全て忘れたかった女

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【3】全て忘れたかった女

 ネットの噂話で聞いた事がある。 『BAR Special Fortune』  それは都市伝説だと言われていたり、何でも無い普通のBARだったとも言われている。  でも、不思議な事にホームページや地図、所在地が明らかにされていない。やはり都市伝説なのだろう。  私、中川美嘉(みか)は、ずっと探していた。   多分、辿り着けるはずもないであろうその場所を。  その日は久々に友人とショッピングに出かけいて、別れた後だった。高めなヒールに靴擦れも出来、少し歩き疲れていた。   慣れない事するもんじゃないな・・・と屈み込んで絆創膏を踵に貼った。その時だった。  小さなビルの隙間から、BARらしき建物が見えた。私は、見慣れないそこに引き寄せられるように歩き出した。  こんな裏通りに・・・。  辿り着くと、看板には『BAR Special Fortune』の文字。  まさかね・・・。  と思いつつも、こんな小さな裏道だったら見つからない訳だよねって、妙に納得してた。 「いらっしゃいませ」  ドアを開けると、『中村』というネームプレートの男性のバーテンダーが迎えてくれた。  奥には、先客の若い女性。フワフワした少し茶色い髪に、白いニット。  こちらをチラリと見たかと思うと、彼女はホログラムのように半透明になって消えてしまった。  ああ・・・。    驚きはしたけれど、何せ私の喜怒哀楽の感情は、あの時からほぼストップしてしまっていたのだ。  目の前で何が起こったのか脳内処理は出来ているが、私の平坦な感情は動く事は無かった。  彼女は霊体なのだろうか?  悪意は感じられない気がすると、それだけ思っていた。  バーカウンターに座った私が、 「何か、赤ワインと柑橘系のカクテルを、お任せでお願いします」  そう言うと、 「かしこまりました」  と、彼。  シェイカーを使わず、グラスに氷を入れると、次に水、レモン果汁、ガムシロップを注ぎ、マドラーで混ぜ。赤ワインを静かに注ぎ、スライスレモンを飾る。鮮やかな手つきで。     「お待たせしました。  アメリカン・レモネードです」  グラスの上の層はワインの深い赤紫、下の層は、爽やかなレモン色で、コントラストが綺麗だ。 「カクテル言葉は、 『忘れられない』  です。」  その言葉に、胸をギュッと掴まれたような思いだった。 「あはは・・・。  何も思い出せないのに・・・」  我ながら、乾いた笑い声だった。  そのカクテルは、とても飲みやすくて美味しくて、でも甘くて酸っぱかった。 『中村』さんが言った。 「こちらに導かれて、そしてマナさんが見える、ご縁のあるお客様には特別なサービスがございます。  利用されるも、されないも、お客様次第ですが。いかがなさいましょうか?」  そんな怪しげな誘いにも動じる心が私には無く、 「ええ、ぜひ・・・」  無表情な言葉で、私はそう言った。  気づくと私の後ろにプロジェクタースクリーンのような物が用意されていた。  フワリ、と『マナさん』という彼女が現れた気がした。 「これから、このスクリーンにお客様の『鍵』となる映像が映し出されます。  ここにいらっしゃる特別なご縁のあるお客様と私達だけに見えるビジョンです。  お客様にとって、どうか幸せの『鍵』でありますよう・・・」  言って彼が一礼した。  ぼんやりとそのスクリーンを見てると、どこからか謎のノイズ入りの映像が映し出されて来た。  プロジェクター本体はどこにも無い。  そして、言葉では無い強烈なメッセージ。 『こんなに苦しいのなら、いっそ全て、忘れてしまえたらいいのに・・・』  スクリーンには、  忘れてしまっていた『彼』が映し出される。  私の記憶には、『彼』の事と、あの日の前後の記憶が全て抜け落ちてしまっていた。  グルグルと黒い感情が呼び起こされる。  恐怖と、悲しみと、後悔と、  深い、孤独・・・。  すっかり忘れていた、  叫び出したいような、激しい感情に引き摺り込まれて、  自分ではどうしようもなく、深い、深い、底の無い真っ黒な海に落ちて行くようだった。  もがいてもがいて、息が出来ない・・・。  手を伸ばした。 「大丈夫ですか?」  と、手を差し伸てくれたのは、彼、中村さんだった。  ハッと呼吸が戻る。荒々しく息をしながら。 「はい・・・」  と答えた。 「もう、大丈夫です・・・」  はあはあ、と、荒く呼吸をしながらスクリーンを見ると、今度はさっきまで見えなかった映像が映し出されて来た。  『彼』のビジョンが映し出される。  深く深く、温かく、愛しい感情が呼び起こされる。  そうだ、あれは3年前。  その日は久しぶりなデートに私も浮かれてお洒落をしていた。  いつもより素敵な、夜景の見えるレストランで食事をしていると。 「結婚しよう・・・」  と、彼がリボンが掛かった小さな箱を私に差し出した。 「え!?・・・」  ドキドキしながら箱を開けると、指輪ケースの中から、大きなダイヤの指輪が現れた。 「うそ、嬉しい・・・」  私はボロボロと涙を流した。  そして、人生最高に幸せな日だと思った。  その時までは・・・。  帰りは彼が車で私を家に送ってくれて。  その途中の交差点だった。  右方向から猛スピードで突っ込んで来る車に、避けられる訳も無く。  激しい衝撃と衝突音。  そこで記憶が途切れた。  私が目覚めると、彼はもう居なかった。    後からニュースで聞いた話だと、彼は私に覆い被さるようにして亡くなっていたようだった。  彼は、最後に私を守ってくれたのだと思った。  自分だけ取り残されたと知った私は、衝動的にシャワールームで手首を切ったけど。すぐに発見され、傷も思ったより浅かったらしく、まだこの世に残される事になった。  ベッドの中、ぼんやりする意識の中で、一人残されるくらいなら、こんなに辛い思いをするなら、 『全て忘れてしまいたい』  と思った。  再び目覚めると、私の中から、彼と事故の記憶が、すっかり抜け落ちていた。  無表情で、無感情な日々が始まって。それでいいと思っていた。  ついこの間まで。  それからしばらく経った頃だった。  部屋を整理していると記憶に無い小箱と指輪ケース。開けて見るとダイヤの指輪の裏側に、S to M の刻印。  胸にチクリと何か棘が刺さっているような。  理由は分からないけど、大事な何かを取り戻さなきゃいけない気がしていた。  そこでビジョンが終わり。  私は全て思い出した。  グルグルと吹き出して溢れる感情。  衝撃と恐怖と、失った悲しみと、  もし、彼に送って貰わなければ。会うのがあの日ので無ければ・・・という、どうしようもない後悔と・・・。  この世に一人きりで取り残されたような、どうしよくもなく深い孤独と・・・。  私はボロボロと涙を流して、その場に崩れ落ちた。 『ごめんね、  美嘉の心を守れなかったんだね・・・』  頭上から、懐かしい、愛おしい声が響いた。  いや、声では無い、思念のようなメッセージだったけど、   何故か彼だと思えた。  やがてキラキラとした温かい光の粒子が私を包み込んだ。 『ごめんね。  僕は、美嘉の未来に一緒にいられなかった。  でも、悲しまなくていいんだよ。  僕は、全て消えて無くなっしまった訳ではないから。  美嘉を、少し遠くからだけど、見守って、ずっと想っているから・・・。  でも、辛かったら、全部忘れていいんだよ。』  私は、声を出して泣きながら、 「忘れない。  こんな大切な、愛しい記憶は、無くしちゃいけなかったんだ・・・。  ごめんなさい・・・」  そう言うと、私はしばらく声を出して泣いていた。  ずっと止まっていた感情が激しく動き出した。  やがて私を包み込んでいた光は、綿毛のように散り散りに消えてしまった。 「大丈夫ですか?」  中村さんがそう言ってハンカチを差し出してくれて、私は頷いて受け取った。 「すみません、ありがとうございます」  しばらくして、私が落ち着いた頃に中村さんが言った。 「申し遅れました。  私は、唯一の『スペシャル・フォーチュン・カウンセラー』の中村陽翔(ハルト)と申します。  ここの場所に導かれ、マナさんが迎えてくれた方は、このビジョンが必要で、幸せの『鍵』になるお客様ばかりです。  どうやら、『鍵』は、見つけられたようですね?」 「はい、大切なものを、取り戻せました。」  私は、そう答えると。  『マナさん』が、フッとこちらを見て微笑んだ、・・・気がした。  なんとなくだけど、マナさんも、もしかするとここで、大事な人を待ってる・・・?  なんて、何の根拠もないけど、そんな事を思った・・・。 「ありがとうございました」  言って中村さんがお店のドアを開けてくれて。 「ありがとうございました」  と、私は深々と頭を下げた。 「ご縁があったら、またいらして下さい」  言って中村さんは一礼して。  私は、 「はい」  と言い、ぎこちなく微笑んだ。  いつか、本当の笑顔を、取り戻せるのかな・・・?  もう、ここに来る事は無いかもしれないな・・・?・・・と思いながら、私はBAR Special Fortuneを後にした。  私が取り戻してしまった、黒い感情。  恐怖と、悲しみと、後悔と、深い、孤独・・・。  それはすぐには消える事は無いけれど・・・。  どうしても切り離せない、忘れてはいけない大切な想いを胸に、  ゆっくりとゆっくりと、  一歩ずつ歩き出そうと思った。  少しずつ、前を向いて、  歩き出そう・・・。 ーto be continuedー
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