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【4】女性恐怖症
気づいたら、俺、西原拓実は、知らない裏路地に迷い込んでいて。目の前には『BAR Special Fortune』という看板の店があった。
古めかしく雰囲気のある佇まい。
大学生で二十歳になったばかりの俺には、ちと大人っぽ過ぎる。でも少し背伸びしたい気分で憧れる。
好奇心と冒険心で、俺は、そのドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
落ち着いたトーンで『中村』というネームプレートの男性バーテンダーが迎えてくれた。
ピアノジャズが静かに流れる。
おっとなー!!
奥の席には、先客の若い女性。
フワフワの茶色い髪と、白いニットシャツ。
見ると。フッと、彼女がホログラムのように消えた・・・。
「わわっっ・・・!!!」
俺は、驚きのあまりのけ反って、勢いで倒れ込んだ。
「大丈夫ですか?」
言って『中村』さんが手を差し伸べてくれたが、俺は自力で立ち上がり。
「大丈夫です・・・」
と強がってみた。
「彼女は、マナさんと言います。
どうやら、お客様は、ご縁があったようですね・・・」
言って、彼は意味ありげに微笑んだ。
待て、・・・意味が分からないんだけど・・・。
このバーテンダーの中村さんにも『彼女』が当然かのように見えているらしく・・・。
ここは、どこだ・・・!?
俺は、どこに迷い込んだんだ!?
奇妙ではあったけど、恐怖感は無く。ただただ不思議に思っていた。
俺は、好奇心からか何なのか、自分でも分からなかったけど。カウンターに座り、ドリンクメニューを見ていた。
結局よくお酒の事は分からず、
「何か、オススメはありますか?
甘すぎなくて、アルコール度数もそこそこのもので・・・」
と聞いた。
「かしこまりました。
こちらはいかがでしょうか?」
言って中村さんがメニューから選んだのは『アフィニティ』という琥珀色のカクテルだった。
男でも可愛過ぎなくていい。
「じゃあ、それお願いします」
カクテルというとシェイカーを振るのと決まっていると思っていたけど。俺がBAR初心者らしく色々聞いてみると、作り方は他にも色々あったらしく、中村さんは詳しく説明してくれた。
カクテルの技法にはビルド・シェーク・ステア・ブレンドなどがあって、カクテルによってそれぞれ作り方が違うらしい。
今回の『アフィニティ』はステアという技法で、ミキシンググラスとストレーナーという器具を使う。
ミキシンググラスに氷と材料を入れバースプーンで混ぜ、氷を取り除く為にミキシンググラスにストレーナーをセットしグラスに注いで作る。
まあ、正直俺には何やってるのかよく分からなかったけど。
鮮やかな手つきに、同性ながら、スマートで大人な男性に見えてカッコいいなーと惚れ惚れした。
程なくして中村さんが琥珀色の液体のグラスを差し出して言った。
「お待たせしました、アフィニティです」
一口飲んでみると、
スッキリとしてて意外に飲みやすい。
「いいですね、これ・・・」
けど喉を通ったアルコールが案外強かったらしく、内側から体がジワジワと熱くなって来た。
「カクテル言葉は、
『触れ合いたい』
です・・・」
中村さんのその言葉を聞いた瞬間、俺は、この人に全て見透かされたような気がして、
「ははは・・・」
と乾いた笑いを漏らした。
中村さんが言った。
「こちらに導かれて、そしてマナさんが見える、ご縁のあるお客様には特別なサービスがございますがいかがでしょうか?」
確かに、俺は何かに大きな力に誘導されるようにここに来たんじゃないか?と、根拠も無いのにそう思えた。
「はい・・・」
気づくと俺の後ろにプロジェクタースクリーンのような物が用意されていた。
「これから、このスクリーンにお客様の『鍵』となる映像が映し出されます。
ここにいらっしゃる特別なご縁のあるお客様と私達だけに見えるビジョンです。
お客様にとって、どうか幸せの『鍵』でありますよう・・・」
言って彼は一礼した。
そのスクリーンを見てると、どこからか謎のノイズ入りの映像が映し出されて来た。
プロジェクター本体はどこにも無い。
そして、言葉では無い強烈なメッセージ。
『怖い、怖い・・・。
そんな欲望に満ちた目で俺を見ないでくれ・・・!!』
クラクラと、目眩のように世界が揺れる。
スクリーンには、あの時の、小学5年生の時の俺が映り、
次には担任の女性教師が映し出された。
彼女は若くて綺麗で優しくて、生徒の憧れの先生だった。
何となくだけど、俺は自分でも彼女から気に入られてるような自覚もあったし、密かに嬉しくて自慢でもあった。
ある日、視聴覚室に資料を頼まれて持ちに行った時だった。
教室を開けると、カーテンが閉まっていて、彼女が待っていた。
「ありがとう、そこに置いてくれる?」
と、教壇を指し示して、俺がそこに資料を置いている間に、彼女はドアの鍵を閉めた。
『西原くん・・・。
先生の事、好きでしょ?』
振り向いた瞬間、俺は先生に床に押し倒された。
彼女は自分のシャツのボタンを一つ開けると、俺の下半身に触れて来た。
『大丈夫よ・・・』
言って濡れたような、欲望の眼差しで俺を見ていた。
そして、俺の顔に触れると、顔を近づけ、唇を重ねた。
ぬるり、と滑った舌が俺の唇を割って入って来る。
その生々しさに、ゾワっとした。
俺は思わず彼女を突き飛ばし、
震えそうな手で何とかドアの鍵を開けて教室を飛び出した。
寒気がして、ガタガタと震え出した。
自分に起こった事態が把握出来なかった。
あの、可憐で優しい先生が、自分を淫らな欲望の目で見ていたかと思うと、裏切られた気持ちで一杯になって。
ギラギラとした大人の欲望の眼差しが、ただただ怖かった。
俺は、その時から女性に触れるのが怖くなり、
でも周りには気づかれないようにと。そんな素振りも見せずに、調子良く皆に合わせて過ごしていた。
次に見えたのは、大学でのビジョンだった。
大学生になった俺は、そこそこなリア充気取って、髪型やら服にもそこそこ気を遣い、それなりに女子にもモテていた。
でも俺に気のある素振りの女の子には、気づかないフリをしてスルリと冗談で軽く交わして誤魔化して。
男友達からは
『モテる男は大変だな・・・』
なんて、からかわれていた。
当然、女性が怖いなんて皆気づいていないだろう。
次に見えたビジョンは、同じクラスの桜田静河さんだった。
隣の席になったのをキッカケに、話も合うし、最近親密度が増していた。
うん、普通に仲良く話して、友達関係なら大丈夫。そう思っていた。
ある時、観たい映画が一緒だと盛り上がって、一緒に観に出掛ける事になった。
自分の中の『大丈夫』の境界線が曖昧になって来ていた。
映画を観た後、街を歩きながら盛り上がって感想を一通り話し終わった時だった。
しばらくの沈黙と。
そして『話があるの』と彼女が言った。
『私、西原君の事が、好きなの・・・』
と言った。
彼女の右手が、ほんの僅かに、俺の左手に触れた。
その時、自分の手が震えている事に気がついて、とっさに彼女に悟られないようにと、振り払うように彼女の手を避けた。
『ごめん・・・』
俺は、みっともなく走り去った。
全身が震え出した。
まだ、脳裏には、あの欲望に満ちた女教師の目が焼き付いていた。
次に見えたのは、桜田さんのビジョン。
あの時の街の風景そのままだった。
『ああ、振られちゃったか・・・』
彼女は肩を落として、ボロボロとその場で泣き出した。
それを見た時、改めて、俺は彼女を傷付けたと気が付いた。
俺は、自分の事ばかりで、彼女を気遣う余裕なんて無くて、優しく出来なかった。
自分の事が情けなくなったと同時に、なぜか彼女を抱きしめたいような衝動に駆られていた。
こんな事は初めてだった。
そこで、ビジョンは終わった。
今の映像は何だったんだろう。
現実なのか・・・!?
俺は、なぜかガタガタ震えていた。
「大丈夫ですか?」
と、中村さんが気遣ってくれて。
「・・・大丈夫です・・・」
と言ったその時には震えが治まっていた。
中村さんが言った。
「申し遅れました。
私は、唯一の『スペシャル・フォーチュン・カウンセラー』の中村陽翔と申します。
ここの場所に導かれ、マナさんが迎えてくれた方は、このビジョンが必要で、幸せの『鍵』になるお客様ばかりです。
私たちのビジョンが、幸運のキッカケになりましたら幸いです・・・」
『 スペシャル・フォーチュン・カウンセラー』・・・
初めて聞くな、と思った。
「ええ・・・。
これから自分がどうしたいのか、ハッキリ分かりました・・・」
俺がそう言うと、いつの間にか消えたプロジェクタースクリーンの方から、ホログラムのような『マナさん』が現れて微笑み、フッとまた消えた。
・・・気がした・・・!
「ありがとうございました」
と言って、中村さんがお店のドアを開けてくれて、
「ご縁があったら、またいらして下さい」
と一礼した。
俺は、
「はい、ありがとうございました」
と言い店を後にした。
俺は振り返りながら、もう二度とここには辿り着けないんじゃないか?って、何となくそう思っていた。
俺は、大学構内の中庭で桜田さんと向き合っていた。
教室では隣の席にいたのに、ぎこちなく避けられていて。それは当然の事だったけど。
急に離れてしまったその距離感が、自分のせいだという事は何よりも分かっていた。
俺は逃げるように教室から出た桜田さんを呼び止めて、『話があるから』と言った。
「桜田さん、この間は、本当にごめん・・・。
俺、自分の事で精一杯で。
桜田さんの事を傷つけた・・・」
そして、カッコ悪くても、理解されなくても、嫌われても仕方ないけど。それよりも、彼女の事を理由も説明せずに傷つけたままの自分が許せなかった。
少しずつ、自分が女性が怖いという事、触れられない事、あの時の話をゆっくりと全部打ち明けた。
「でも、桜田さんは、俺にとって他の子と違うような気がしてるんだ。
上手く言えないけど、こんな事打ち明けたのは、桜田さんだけだし、大切にしたいんだ・・・」
やっとの思いで俺がそう言うと。
「ごめんね、
ごめんね・・・」
って、なぜか桜田さんはポロポロと涙を流し始めた。
俺はどうしていいのか分からなくなったと同時に、呆れられて嫌われたんだと思った。
「そうだよね・・・。
そんなん、キモいよね、受け入れられないよね・・・」
俺がそう言うと、桜田さんがハンカチで涙を拭いながら言った。
「そうじゃなくて・・・
西原君、辛かったよね・・・?
言い出せなかったよね・・・?」
言って彼女は、またボロボロと泣いた。
「私、自分の事ばかりで・・・。
西原君、モテるから、焦ってた。
西原君の辛い気持ちに、全然気づいてあげられなかった。
ホントに、ごめんなさい・・・」
そんな、思ってもみなかった答えに、俺はオロオロしながらも、
胸の奥に込み上げて来るものを感じて。
実は、泣くほど嬉しかった。
こんな純粋な子とあの女を、なぜ一緒に重ねてしまったんだろう・・・。
「泣かないで・・・。
俺は、大丈夫だから。
いや、むしろ泣かせてごめん・・・」
どうしていいか分からなくなる。
しばらくして落ち着くと、顔を上げて彼女は言った。
「西原君、
私、無理に西原君に触れたりしない。
ゆっくりでいいから、私に何か出来ることあるかな?」
俺は、BAR Special Fortuneの事を思い出して。
「本当は、今すぐは無理かもしれないけど、
桜田さんに『触れたい』んだ・・・」
言って、俺はゆっくりと手を伸ばして、桜田さんの髪に触れた。
「うん、うん・・・」
と彼女は頷いた。
俺の手は、もう震えてはいなかった・・・。
グラスの氷が溶けるように・・・。
震える心も溶けて行くようだった。
ああ、
もう、ガタガタと怯えていた少年とはサヨナラ出来るな、と、
俺はそう思えた。
ーto be continuedー
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