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【5】スウィートホーム
俺、小田切祐悟は、泥酔しながら人生最後の場所を目指し、歩いていた。
いつも会社の窓から見える、少し離れた高層ビル。
人気の無い深夜にと決意していた。
しかし、急にフラフラと足がもつれ、その場にしゃがみ込んだ。
辺りを見回すと、見覚えの無い裏路地だった。
まさか・・・こんな近所で迷ったか?
目の前には立て看板に『BAR Special Fortune』の文字。
BARの前で動けなくなってる。ハタから見たら、完全に酔い潰れた中年男だな。
・・・まあ、違いないけど。なんて思っていると、
「大丈夫ですか?」
と、店内からバーテンダーらしき若い男性が心配そうにこちらを覗きこんでいた。
ネームプレートには『中村』と書いてある。
「ああ、店先で悪いね。すぐ退散するから・・・」
そう言って立ち上がろうとしたが、上手く立ち上がれない。
「よろしければ、店内で少し休んで行って下さい。どうぞ・・・」
俺は、彼の肩を借りる形になりながら、何とか店内でまで歩いた。
こぢんまりとした店内のソファー席に、何とかもたれ掛かるように座る。
「どうぞ・・・」
とバーテンダーの青年がグラスの水をテーブルへと置く。
「ありがとう。落ち着いたらすぐ帰るから・・・」
と、有難く氷が少し入ったグラスの水を飲む。
ほんのりレモンの香りがした。
奥の席に、髪のフワフワした若い女性の先客がいて、みっともないとこ見せたな・・・なんて思って。
そこから、なぜか記憶が遠のいた。
これは、夢か?
やけにリアルだ。
ああ、俺はとうとう本当に死んでしまったのか、と思った。急性アルコール中毒か?
一番近くの葬儀場で、花が飾られた祭壇の中央に、黒い遺影額に飾られた俺の写真。
葬儀が始まる前なのか、まだロビーにバラバラと人が集まっている。
『会社の経営難を苦の自殺らしいわよ・・・』
コソコソと老婦人達が話していた。
『まったく、まだ小さい子供達と若い奥さんを残して・・・』
次に従兄弟の、祐二が見えた。
俺と祐二は同い年で、顔も似ている事もあって、小さい頃はよく兄弟に間違えられた。
成績もトップを争っていて、いつも俺が少しだけ負ける事が多かった。
俺は永遠のライバルだと思っていたが、アイツはきっと全く眼中に無いだろう。
だってヤツは大きな事務所を持った優秀な弁護士だから。
祐二は俺の祭壇の前に来ると、小さな声で言った。
『バカか・・・お前は。
会社を畳むなら、まず弁護士に相談して破産手続きをしろ。
自殺をしても何の解決にもならない。ただの不幸の連鎖だ・・・。』
ああ。
このザマだ。そんな風に見下されても仕方あるまい。
『何で・・・
俺に相談しなかった・・・。
力になれたのに・・・』
と、独り言のように呟いたその目からは、涙が溢れていた。慌ててハンカチで拭う。
え!?
まさか・・・。
コイツが俺の為に泣くなんて予想だにしなかった・・・。
場面が変わる。
病院の霊安室だった。
ああ、これは走馬灯ってやつか?時間が逆行してる。
ベッドに横たわり、顔に白い布が被せてある。
妻の一恵がその布をめくると、その無惨さに顔を背けた。
ああ、俺はあの後、投身自殺したのか・・・。
なぜかそうだと思った。
妻は、小学生の二人の娘に、見ない方がいいと言うと、その場に泣き崩れた。
『ただ、生きていてくれれば、良かったのに・・・。
相談して欲しかった。
どうして一人で行ってしまったの・・・』
と嗚咽すると、
子供達も、
『パパー・・・!!』
と泣き叫んだ。
ああ、悪いな。
俺だけ先に行ってしまって・・・。
そう思いつつも、もう戻れないんだなと思った。
一恵の実家は資産家だし、何とかなるだろう・・・。どうせこんな俺では、一恵の実家に顔向け出来ない。
俺が守ってやれなくて、ごめんな・・・。
次は、妻の出産の場面だった。
一人目の子は、なかなか産まれずに、最初の陣痛からほぼ24時間経っての出産だった。
ちょうど立ち会えた俺は、何とも言えない命の神秘を感じ、ボロボロと泣いたっけ。
二人目の子は、夜に陣痛が来たと思ったら、あっという間に深夜に産まれてしまって、バタバタとして焦ったな。
まだまだ自覚が浅かったけど、『俺が守らなきゃ』と心に誓った。
次は、一恵との結婚式だった。
美人でお嬢様で、おっとりしてるけど優しい妻は、俺には勿体ないくらいで。
この上無い幸せだと思った。
ウェディングドレスを着た一恵は、俺にとって、世界一綺麗だと思った。
俺は、一恵のご両親に挨拶をした時に、
『一恵さんは、僕が全力で守ります!』
と約束した。
・・・ああ、そうか。
忘れていた訳では無いが、改めて思い出して。
結局、守れなかったな・・・。
俺は、嘘は嫌いなのに・・・と、胸が苦しくなった。
次は、なぜか母が俺に何かを言っている場面だった。
『祐悟、
偉ぶってはダメだよ。いつも謙虚に。
人様に迷惑をかけてはダメだよ。
自分を犠牲にしてでも人の為に生きなさい・・・』
口癖のように、母が言っていた。
この世代の人達に根付いた、日本古来からの、謙遜と自己犠牲の美学だ。
そうだな、悪い事では無いし否定はしない。
でも今はもう時代は令和だし。
謙遜は時には自己肯定感を低くする。
『完全なる自己犠牲』なんて、きっと無いだろう。
自己を犠牲にしてしまったら、大切な誰かを巻き込んでしまうものだ。
自分を大事に出来ないヤツが、誰かを守れるのか・・・?
悪いな、母ちゃん。俺はもうとっくに大人だ。
俺は自分の価値観で『生きる』よ・・・。
許されるなら・・・。
そう思ったら、急に瞼が開き、
ああ、気がつくとさっきのBARだった。
俺は、生きていたのか!?
今からでも、あの約束は、守れるのだろうか・・・?
やり直せるんだろうか・・・?
やり直せるなら、這いつくばっても、みっともなくても、
一恵も、子供達も、守ってやる・・・。
「大丈夫ですか?」
『中村』というバーテンダーが俺を覗きこんだ。
「ああ、少し眠ってしまったようだね。
もう大丈夫・・・」
グラスの水の氷は残っていて、ほんの僅かな時間だったらしい。
すると、彼は少しだけ微笑んで言った。
「人は、生きていれば、何度でもやり直せる・・・と、私は信じています・・・」
その言葉に、俺は寝言でも言ったかな?と思った。
「ありがとう・・・」
そう返すと、彼は聞き取れないような小さな声で、
「俺は、あなたが羨ましい・・・」
と、言った気がした。
「え!?」
と聞き返すと、
「いえ、すみません、ただの独り言です・・・」
と返した。
俺は何かの聞き間違いだと思った。
まさか、な、・・・こんな俺よりずっと若い青年が・・・。
俺は何とか立ち上がり、歩けるようになったので、
「すまなかったね。
今度は、ちゃんと飲みに来るよ」
そう言うと、バーテンダーの彼は、
「いえ、お気になさらず・・・。
ご縁があったら、またいらして下さい」
言って一礼した。
BARを後にして歩き出すと、スマホの呼び出し音が鳴り、妻からの着信だった。
『もしもし?パパ?
ずいぶん遅いけど、大丈夫・・・?』
と、心配の声。
「ああ、もうすぐ帰るよ・・・」
言ったその時、
結局家族に命を守られたのは、俺なんだって思った。
俺は、まだ少しフラついた足取りで、歩き出した。
帰ろうか、我が家に・・・。
ーto be continuedー
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