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「ほら、そろそろ食べよう」
せっかくの食事を冷ますのもよくないので、じっさまは箸に手を伸ばした。里芋の煮物を口に放り、じゃこと梅の混ぜご飯をゆっくりと食べた。時々さっぱりとした魚の汁を啜った。
縄次はじっさまのために、すべての食事を薄味にしていた。若い身体にはもう少し塩を効かせる方がうまいはずだが、「塩なら海で摂りすぎてるさ」と縄次は文句ひとつ言わずに付き合っていた。
「縄次よ」
「うん?」
食事を終えたあと、じっさまはぽつりと呟いた。
「おれは昔、「海の心臓」に出会ったことがある」
「海の……心臓?」
唐突に出てきた言葉に首を捻る。見つけたではなく出会ったということは、それは動物だと思われる。クジラか何かの二つ名だろうか。
「海で波が起こるのは、そのとてつもない鼓動の影響なんだ」
「どういうことだ? 鼓動? それはクジラなんかじゃなくて、文字通りの心臓なのか?」
「心臓の働きをするもの……と言えばいいかね。あれに出会ってから、おれは海の記憶をもらった。海を知った。だから海の中で人よりちぃとだけ自由なんだ」
縄次は想像してみるものの、さっぱり見当が付かない。じっさまが嘘をつくはずがないのだが、まるでおとぎ話のように思える。
「それは、どこで出会ったんだ?」
「おれにも分からんよ。会おうとして会えるもんでもない。あれには関わらん方がええ」
「ふうん、まあ気を付けるよ」
縄次は返事をする。気を付けるとは言ったが、どう気を付けろというのだろう。どこにいるのかも分からない、会おうとしても会えない。だったら関わりようがないではないか。
「ただ、海はひとつの血液だからなあ。時々海を通して繋がっちまう。おれたちにはどうにもできない話さ」
じっさまはそう言うと、再び布団の元まで歩いていった。
「海の心臓、か……」
結局、それが何なのかは分からなかった。
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