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「もう行くから! もう少しだけ待って! 今結論書いてるの! ごめんって母さん!」  本当はもう少しだけ補足説明をしようと思っていたのだが、みなさんも早いところ結論を知りたいだろう。とはいっても、結論はもうタイトルで述べてしまっているのだ。 「けだしコスモ」  永久につづく宇宙の秩序的な循環のように、わたしたちの「思う」行為は一定の流れを持ち、自身という存在を形作る。「思う」とは調和の取れた自己形成行為であり、けだしとはコスモなのである。  むろん、この説はわたしの考えであり、実際のところ正解などないのかもしれない。しかしながら、わたしたちは「思う」ことをやめることができない。  なぜならば、それは広大な宇宙と同様に秩序立った行為であり、思うこと自体がわたしたちをわたしたちたり得るものとするからである。  けだし、わたしたちはコスモなので——    *  * * 「もうこんな散らかして! あんた自分が何歳だと思ってるの!」 「お、思うとは、多種多様の情報から秩序づけられた自己の形成であって、コスモと——」 「なにがコスモよ! じゃあこの部屋も秩序(かた)づけなさい! 本当にご飯作らないわよ!」 「……けだし……」 「なによ、母さんにいいたいことがあるの」 「ちょっと汚いだけだし!」 「もう知りません」  ***  〈完〉
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