夕陽が射し込む蟲の密室

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 ゲームの中では無双だった。誰よりも強力なアイテムを所持し,滅多に見ることのできないレアアイテムを装備した。  誰からも責められることのない自分一人の世界は心地よく,誰よりも長いプレイ時間は誇りだった。  そんなゲームの世界と比べて,現実では寝ているところを泥酔した父親に呂律の回らない舌で文句を言われ,何度も蹴られ父親の気が済むまで殴られるのが日常だった。  最初の頃は母親も止めに入ってくれたが,暴力がエスカレートするに従い,やり過ぎる父親を制止するために警察に通報するようになっていった。  深夜遅くに警察から注意を受け,酒が抜けると大人しくなる父親も,何日かするとスイッチが入ったかのように酒に酔って部屋に入ってきた。  そんなある日,父親が黙って部屋に入ってくると,床に崩れ落ちるように座り込み母親の名前を呟くように呼び続けた。  そしてその日から母親の姿は家から消え,父親の暴力もすっかりなくなった。母親のいない家は死んだように冷たくなり,父親が酔って部屋に入ってくることもなくなった。  食事はコンビニで済ませ,洗濯や掃除はほぼ誰もやらなかった。辛うじて自分が着る服はシャワーを浴びる時に洗濯機に放り込み,適当に部屋に干していたが,父親も同じような状況だった。  こんな異常な日々が日常になったころ,突然目の前が真っ暗になり,激しい後頭部への痛みとともに脱力したまま意識が朦朧となって前のめりに倒れた。  スマホを握りしめたまま床に顔を打ちつけ,自分の前歯が飛んで行くのが見えた。血溜まりの中に顔をつけたまま,目が回り,意識が薄れていくほんの僅かの間,立ちすくむ父親と目があったがその目は一切の感情がなくまるで人形のようだった。 「もう……疲れた。高校に行かないで引き篭もってゲームばかり,ブクブクブクブク太りやがって,いい加減にしろ……もう,なにもかも終わりだ。俺もお前も,もうこれで最後だ」  父親の口元が微かに動き,そう呟いてるような気がしたが,薄れてゆく意識のなかで何が起こっているのかわからず混乱したまま真っ暗な闇の中で目を閉じた。
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