第9話 遺言

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第9話 遺言

 検査のあと、久美さんは一晩中眠らずに次雄さんに寄り添ったんだって。スヤスヤと寝息を立てて眠っているその顔を眺めながら、久美さんは「言葉に表せない愛おしさを感じた」って話してくれた。次雄さんにとっても、久美さんは大切な家族のような存在になっていたみたい。結局、眠っている間ずっと測ってた心電図も、心臓カテーテルも異常が何も見つからずに検査の翌々日には退院になったって、久美さんは説明してくれた。 「退院した日の夕方、彼がこんなことを言うの。『もし僕が死んだら、君に全てを相続したい。僕は本と写真以外にあまり趣味もないなら、預金はそこそこあるんだ。このマンションも半分君の名義にする』って。私は、『こんなことがあった直後だから、今はそんなふうに思うかもしれないけど、大事なことは落ち着いてからゆっくり考えて』って言ったんだけど、彼はそれから一月もしないうちに、公証役場に行って公正証書遺言を作成して、マンションもほんとに半分私の名義にしてくれたの」  次雄さんは、それまで久美さんにも自分のことは殆ど話さなかったそう。だから、久美さんも敢えて詮索はしなかったし、年齢的に考えて、どこかに別れた奥さんや子供がいても驚かない覚悟はしていたんだって。 「七夕の日に、彼は仕事をお休みしてお墓参りに行くって言ってたのね。家族ですか? って聞いたら『初恋の人だよ』って。ちょうど私もバイトが休みの日だったから、レンタカー借りて一緒に行くことになって、八王子の霊園までドライブ。彼は朝早くクルマを取りに行って、そこからは私が運転させてもらったの。その日は私も一緒に行くって言ってたのに、彼ったらすごく早起きして、私が目を覚ましたときにはもう出かけた後だった。最初は私が運転してたんだけど、途中のファミレスでお昼食べることになって、駐車場にバックで入れる自信がなかったから彼に頼んだわけ。私が知ってた男性って、片手でハンドル握って後ろ見ながらすーっとバックさせる人ばかりだったから、彼の運転を見て参考にしようと思ったのね。そしたら、彼は運転がちょっと苦手みたいで、『久美ちゃんに見られてると緊張するな』なんて言ってるうちに、隣のクルマ——大きかったせいもあるんだけど、バンパーに擦っちゃったのよ。それが外車だったのね。シトロエンって彼が言ってた」 「えー? 大変ですね」 「何度か切り返してクルマは駐められたけど、黙ってるわけにもいかないし、お店で持ち主を呼び出してもらったの」 「大丈夫だったんですか? シトロエンの人」 「それが、すごくいい人で、クルマに貼ってあった若葉マークと『わ』ナンバーを見て、『このくらい良いですよ』って。私がぶつけたと思ったみたい」と久美さんは笑っていた。 「不幸中の幸いですね」と言いながら、私は気になったことを質問した。「ところで『わ』ナンバーってなんですか?」 「ナンバープレートに平仮名があるでしょ? レンタカーはそれが全部『わ』なの。だから、どんな高級車でもナンバーですぐ判っちゃうのね」 「知らなかった! 勉強になりました」 「彼は弁償しますって言ったんだけど、相手の人は取り合ってくれなくて、『道中気をつけてくださいね』って。あまり見ないクルマだったから、修理にお金かかったと思うんだ。それにしても、ちょっと擦っただけで大騒ぎする人もいるのに、人ってずいぶん違うよね」 「ほんと、めちゃくちゃいい人ですね。でも久美さんじゃなかったら違ったかも?」 「それは考えすぎでしょ? ただ、そのあと彼がすごく落ち込んじゃって、お昼ご飯も喉を通らないみたいだし、結局その先も霊園まで私が運転していったの。墓地では彼と一緒にお花を供えてお線香上げたけど、彼はずっと無言だったから私もそれ以上何も言わなかった。帰るまでずっと落ち込んでたみたいだったし、レンタカーの傷は大したことなかったんだけど、あとで考えたら、警察も呼ばなかったし、営業所にも連絡しなかったから、返却のときにずいぶん怒られたんじゃないかな? お金もずいぶんかかったと思う」 「返す時は久美さんいなかったんですね」 「私は学校があったから、途中で下ろして貰ったの。でも、彼のことが心配で、授業中も落ち着かなくて。帰ったら、やっぱりなにも食べてなくて。元気出してって言いながら、冷蔵庫の中から適当に見繕って簡単にできる物をささっと作って……」 「ささっと作れるのがすごいです。そういうの尊敬します」と私の本音が漏れた。 「それで、ビールをお酌したの。彼も飲んでるうちに少し落ち着いてきたみたいだったけど、『僕はダメだなぁ』って言うから、『何言ってるんですか。隣のクルマが大きすぎたんですよ』って言いながら、肩を揉んであげた」 「久美さん、優しい! でも、なんか親子みたい」 「そうね。年の差からしたらお祖父ちゃんと孫みたいだし」  ちょっと失礼なこと言ってしまったと思って私は口を噤んだ。 「今日のお墓の人、もう五十年近く前に亡くなったみたいですけど、初恋の人だったんですね? って私から聞いてみたの。そしたら『彼女は一つ年下だったけど、文学部で同期だったんだ』って話してくれた。そうそう、その人も早苗さんって言うのよ」 「私と同じ早い苗ですか?」 「そう、早い苗の松岡早苗さん。彼が大学に入った年は六十年安保闘争の翌年だったのね」 「六十年安保闘争?」 「日米安全保障条約ってあるでしょ?」 「あ、それで安保か」 「そう。岸信介って今の安倍総理のお祖父さんが首相の時代。アメリカとの安保条約に反対して、沢山の学生がデモ行進に参加したんだけど、機動隊との衝突で東大の樺美智子(かんばみちこ)っていう学生が亡くなったんだって」 「なんか、激動の昭和史みたいなので見たことあります。火炎瓶とか?」 「それはもしかしたら十年後の七十年安保の映像かもしれないけど、プントって呼ばれた急進派の共産主義者同盟の学生達は、全学連っていう学生の自治会連合を主導して、学生運動はどんどん激化していったの。結局、岸内閣は総辞職にまで追い込まれるんだけど、安保条約は阻止できなかったのね。そんな無力感で、全学連はバラバラになっていったんだって。そんなときに彼は早稲田に入学した。安保闘争を闘ったあと、プントから分裂した過激な運動家はその頃の早稲田に沢山いたらしいけど、次雄さんは苦労して大学に入ったから、親の援助で私大に通わせて貰いながら、授業をボイコットして活動してる人たちの気が知れなかったって」 「その初恋の人とはどうやって出会ったんですか? 学生運動がきっかけじゃなさそうですね?」 「そうね。講義の時に一度だけ隣の席になって、少しだけ身の上話をしたらしいの。その後のある日、講堂で小さな集会が開かれていて、次雄さんは興味を持って演説を聴いてたら、途中で底が見えてしまったって」 「底?」 「内容の底が浅いってことね。それで演説の途中で出て行こうとしたら、出口に立ってた学生に『ノンポリ野郎』って罵られたの」 「ノンポリ野郎?」 「ノンポリティカル。政治に関心が無い学生はそう言ってバカにされたんだって」 「じゃ、今の学生はノンポリ野郎だらけですね」 「そうね」と久美さんは笑ったけど、考えてみたら私もノンポリ娘の一人だ。 「ムカッときたらしいけど、何も言い返さずに出ようとしたら、彼の後ろから歩いてきた女の子が『彼はこれから仕事に行くんです。勤労学生ですから』って言ってくれたの。それが早苗さんだった。そしたら、罵った学生が『プロレタリアートですか! これは失礼しました』って次雄さんに頭を下げたんだって」 「プロレタリアート?」 「分かり易く言うと労働者。学生運動家達は『プロテリアートのための革命を』なんて叫んでるのに、殆どが地方の資産家、つまり彼らが忌み嫌うブルジョワジーの子供ばかり。だから、本物の労働者には頭が上がらなかったのよ」  久美さんの話を聞いている内に、私は当時の次雄さんにすっかり感情移入してしまった。
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