降る星、らんらん

2/4
前へ
/4ページ
次へ
 私が空に浮かぶようになってから5年ほど経った。  私の国はいわゆる非人道的な国というものなのだろう。それに気がついたのは浮かぶようになってから。眺め下ろす地上の世界の動きを見て、私が空に浮かぶようになる前の暮らしが、この世界では決して一般的なものでないということを認識した。世の中というのは色々なものが存在して、色々なものが存在してもいい世界なんだ。ただ、私の国と私たちの周囲がそうでなかったと言うだけだ。  けれども私たちにはそれを回避する方法もなかった。  だからきっと私たちがこうなったのも、それからこれからのことも運命なのだ。 『2182年に世界を滅ぼす星が降ってくる。人でなければその星は検知し得ない。検知し得た時にはすでに遅い』  5年ほど前、そんな予言が私たちの国にもたらされた。  予言というのは未来を予測するもので、未来というのだから本来は当たったり外れたりしうるものなのだろう。そう、一般的には。けれども私たちの国には予言が成就しないという未来はなかった。  そう、予言が成就しないはずがない。  予言は絶対で、つまり世界は滅びることが確定している。  だから私たちがここに浮かんでいるのはとても無駄な努力の帰結。  いいえ、おそらくこれも予言の中に入っているのだろう。  だから結局、すでに遅い。  私たちの国はその予言をもたらした宗教が支配していた。  神の下されるお言葉は絶対である。  けれども滅ぶと言われると、流石に抵抗をしたくなってくるらしい。人でなければ検知し得ず、検知し得たときには既に遅い。既に遅い理由は明白で、おそらくその星は電波望遠鏡なんかの既存の技術では検知しえないもので、人が望遠鏡や何かで見ることができる大きさになったときには、既に回避不能なんだろう。だから私たちの国は人の目を空に飛ばすことにした。人であれば感知できるなら、対処できる時点で人の目で感知すればよい。  実に単純な話だ。  神様。神様が予言された時点では不可能でしたが、私たちは努力をしてそれを克服したのです。  だから神様の予言が外れても、致し方ない?  私たちの国の支配者は、ひょっとしたらそう考えたのかもしれない。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加