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一体何を言われるんだろう……そう考えると怖くて食事をする気にならなくて、会議室で先に待っている事にした。
きっと課長は食事をした後に来るはず。そう思ってたのに、私が会議室に入って5分もしない内に入り口のドアが開いた。
「あれ……もう来てたのか」
「あ……はい……」
「まさか先に来てるとは思わなかった。食事は?」
「……まだ、です」
「……もしかして、緊張させたか?あんな付箋貼ったから」
そうとも違うとも言えずに黙り込んでしまうと、課長が使用中のプレートを下げて入り口のドアに鍵をかけたことに気付いた。まさかそこまでするとは思ってなかったから、ビックリして体に力が入る。
「……ちょっと他の人には聞かれたくない話だから」
心臓の音がどんどん大きくなってくる。聞かれたくない話……そんなのもう、1つしかない。
「さっきの話だけど……」
「プライベートな事に立ち入ってすみませんでした……っ」
堪りかねて、課長の話を遮って頭を下げる。
課長は怒ってるのかもしれない。だってそうじゃなければ、こんな所に態々呼び出す必要なんてない。
誰にだって知られたくない事はあるし、踏み込まれたら嫌な事もある。まして課長の場合は、大切に思っている婚約者を亡くした話。それを話した覚えのない相手に知られていたら、嫌な気持ちになって当たり前だ。
「いや、俺は別に怒ってるわけじゃないんだ。ただ、君が何か誤解してるんじゃないかと思って」
「誤解……?」
「さっき、亡くなった婚約者がどうのって言っていたと思ったんだけど……」
「……課長には亡くなった婚約者の方がいて、あの腕時計はその方とお揃いの物だと聞いたので……」
「ああ、やっぱりそうか。たまに間違えられるんだよなあ……」
間違えられる……?
「誰に聞いたのか知らないけど……俺に婚約者がいた事は一度も無い」
「え!?でも、確かに課長って……」
「名前でちゃんと聞いたのか?」
「そういえば……」
”課長”としか言ってなかったような……
「……君が聞いたのは、別部署の課長の話で俺じゃない」
「でも、あの腕時計大切な人に貰ったって……もう2度と会えない人だって……」
だから私、課長だって確信して……
「あの時計は、亡くなった祖父が就職祝いでくれたものなんだ。昔から爺ちゃんっ子でずっと大事に使ってきたんだけど、古い物だから流石に今回は修理が難しいかもしれないと言われてな。だから新しい物を買ったんだ」
「そんな……」
婚約者じゃなくてお祖父さん……?じゃあ、本当に私の勘違いってこと?
「その話はいつ頃聞いたんだ?」
「……2か月前です」
「2か月前か……丁度君の様子がおかしくなり始めた頃だな」
「!」
答えられずに立ち尽くしていると、いつの間に近付いていたのか気付いた時にはもう逃げられないぐらい目の前に課長がいた。
「――様子がおかしくなった理由は?」
「そ、れは……」
「……俺の話だと勘違いしたから、あんなに辛そうにしてたんだって思うのは自惚れ過ぎ?期待したら駄目か?」
「課長……?」
「俺は君の事が好きだ。部下としてじゃなく、女性として特別に思ってる」
信じられない告白にただ見つめる事しか出来ずにいると、少し迷いながら頬に手が添えられる。
「教えてくれ。君も同じ気持ちだって思うのは、俺の勘違いか?」
「私……」
「ん?」
「……私も、課長の事が好き、です……っ」
諦めなきゃいけないと思っていたのに消せなかった気持ちが溢れて、課長の顔がどんどん涙で滲んでいく。
「良かった……」
ホッとしたように小さく笑いながら抱き寄せられた。課長の腕の中は、優しい温かさで凄く安心する。
「……君の様子がおかしくなってからずっと苦しかった。君に嫌われてしまったのかもしれない、好きな男や彼氏が出来たのかって考えたら……忘年会の日、君が失恋したんだと分かってますます苦しくなった。君の目が俺に向いていないと分かって、君を見るのも辛かったんだ……」
呟くように吐露された気持ちに申し訳なさが募っていく。
「ごめんなさ……っ」
謝りたくて顔を上げると、最後まで言い切る前に唇に柔らかい物が触れて一瞬で離れていく。それが課長の唇だと気付いて一瞬で涙が止まった。
「謝らなくていい。辛かったのは君もなんだろ?……お互い、もっと早く誤解してることに気付ければ良かったのにな」
慰めるように髪を撫でられて、止まったはずの涙が蘇ってくる。
どうしてこの人はこんなに優しいんだろう……私なんて自分の事しか考えてなくて、結果として好きな人を傷つけてたのに……
「ごめんなさい……誤解して勝手に傷ついて、自分だけ辛いみたいに私……」
「そんなに自分を責めなくていいから。でも、そうだな……もうこれからは勝手に俺から離れていこうとしないで。俺は、今回の事でどれだけ君の事を好きなのか思い知った…… 君が離れていくのが何よりも辛いんだ。だから約束してほしい。俺から離れないって」
「……はい」
私もこうなって初めて自分がどれだけ課長の事を好きなのか知ったけど、課長も同じだったんだ……
「……もう一回したい」
「え?」
課長が何をしたいと言っているのか咄嗟に理解出来ずにいると、さっきと同じ感触が再び唇に訪れた。だけど今度は中々離れていこうとしなくて、それどころかどんどん深く求められる。
「ん……ふっ……」
性急なキスに息継ぎもままならなくて、段々体に力が入らなくなっていく。何とか立っていようと課長のスーツを握りしめると、腰に回っていた腕に力が籠った。
「はぁっ……――ちょっとやり過ぎたか?ボーっとしてる」
優しく頬を撫でられただけで、倒れないように必死に込めていた力が抜けて、そのまま課長にもたれかかるようになってしまった。
「力抜けた?可愛い……。あんまりやり過ぎると午後の仕事に影響が出そうだから、今はこのぐらいで我慢するよ」
頭を優しく撫でられながらその言葉にどこかホッとしていると、腰に回っていた手が怪しく背中を撫でた。
「でもその代わり、今日……というか、週末はずっと一緒にいたい」
「え……?」
「明日はクリスマスだろ?俺だって好きな人と一緒に居たい。……それとも、いきなりは駄目か?」
「……駄目じゃないです。私も、一緒に居たいから……」
ほんの少し前までこんな事になるなんて夢にも思って無かったけど、一緒に居られるのなら私だって一緒に居たい。
「……なんかもう、仕事なんて放って今すぐ連れ去りたくなった」
腕の力が強くなって少し苦しく感じるのに、それすら幸せに思える。
「社内だからこんな事バレたら怒られるけど、もう少しだけこのままでいさせて」
「はい……」
私もまだ離れたくない……
背中に腕を回してしっかり抱き合いながら、時間の許す限りこの幸せを噛みしめていた。
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