名前のないきみへ

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 この家には水道が通っておらず近くの川まで水を汲みに行く必要があった。  だから彼女は井戸に貯めてある水が少なくなると森を抜けた先にある川に出向き水を汲んで帰ってくるのだが、その道中、森のはずれに簡素な丘があり、その頂に生えている大きな木がある。その丘は住んでいる家の二階からも眺めることができる丘であり、ぼくの手を引き森を進む彼女はどうやら彼女はそこに向かっているようだった。  拓かれた道を小型動物たちが我が物顔で闊歩する姿を見送りながら彼女はぐんぐん森の奥に足を踏み入れていく。 「マスターとこの森を歩くのは懐かしいですね」  不意に口を開いた彼女の機嫌はすこぶる良かったが、なにも思い出すことができないぼくの胸の内は複雑であった。 「やっぱりぼくは覚えていない」  しおれた声でそう言うと彼女はぼくの手を強く握りしめてきた。  彼女は返答に対して何も反応はしなかったが、その悲しさだけは体温を通してひしひしと伝わってくる。  ぼくはその体温にあてがわられ、謝ることもできずに地面を踏みしめていた。  俯きながらもときおり眺める彼女の横顔がぼくの核をキュッと絞り上げる。  ぼくはこんなに素敵な人を苦しめた僕をどんな理由があれ決して許してはいけないのだ。     
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