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「あの子よ」  真夜中を過ぎた頃、久しぶりに同じベッドで眠っていた妻が跳ね起きた。 「あの子が泣いてるわ」  僕は目をこすりながら起き上がり、なだめるために妻の身体に腕を回した。 「違うよ、また夢を見たんだ。僕たちの娘は神様と一緒に光の国にいるんだ。伝道師さまもきっと祈ってくれてる」 「伝道師さまから頂いたスターを飾ったもの! 伝道師さまはお約束されたもの!」 「やめなさい、あれは……」  あれはいったいなんなんだろう。  隣の家のバンジーが吠えている。  家の周囲を吹き荒れる風が悲鳴のような音をたてている。  枯れた木立の枝がこすれ合ってギシギシと軋んでいる。  様々な音のすきまを縫うように、幼い子どもの泣く声がたしかに、僕の耳にも届いた。 「そんな……」 「待って、待っててね、今行くからね」  妻はベッドを飛び降り、薄い夜着のまま真夜中の戸外へ駆けだした。  僕は慌ててコートをつかんでその後を追った。  妻は風に乗ってとぎれとぎれに聞こえてくるか細い声に導かれて、家の前の道を駆けてゆく。  濡れた街路の延びた先、骨まで凍りそうな冷気が立ち込める街は静かで、動く影すらないのに。  髪を振り乱し、狂喜に顔を紅潮させ、笑いながら深夜の街を駆ける妻を、街の人がもし目にしていたら、ついに狂ったかと思ったことだろう。  だが、妻を駆り立てる幼い泣き声は、たしかに僕の耳にも届いていた。 「ああ、やっと見つけたわ」  息を切らせて立ち止まった妻の前に、凍えた裸足の小さな女の子が立っていた。  小さな顔は煤と涙で汚れ、大きな瞳を見開いて僕と妻を見上げているやせこけた女の子を、妻はなんのためらいもなく抱き上げた。 「あなた、そのコートを頂戴」  冷え切った身体を僕の差し出したコートでしっかりとくるみ、あやすように優しい声で歌いながら妻は歩き出した。  僕はついて行くしかなかった。  家に着くと、妻は大急ぎで風呂を沸かし、凍えた子どもを温めた。  洗ってキレイにしてみると、子どもは僕たちの娘よりさらに幼いように見えた。  娘は蜂蜜のような金髪だったし、透き通るような青い瞳をしていた。  この子どもは茶色い髪と緑の目をしている。  つまり、まったくの別人だ。  それでも妻は温めた牛乳とパンを食べさせ、娘の寝巻を着せ、娘の小さなベッドに入れて寝かしつけた。  嬉しそうにかいがいしく世話をやく妻を前に、僕は何も言えず途方に暮れるしかなかった。
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