2.仮初めの結婚

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「奈津、眠れないのか?」 突然の成臣の声にビクっと体を震わす。返事をせずとも起きていることがバレバレで、奈津は小さく「はい」と返事をした。 暗かった部屋に、僅かにオレンジ色の明かりが灯り影が揺れた。成臣がオイルランプをつけたのだ。 「では少し話をしようか?」 言われて奈津は少しだけ顔を後ろに向ける。すると思ったよりも近い位置で、しかも片肘をついて頭を支え僅かに体を起こした成臣と目が合い慌てて目を背けた。治まっていた鼓動が、またドキンドキンと騒ぎ出す。 「奈津はなぜ師範学校に進学したいんだ? 何か夢でも?」 「……いえ、特にこれをというのはありません。ただ勉強が好きなのでもっと知識を得たいですし、教師になるのも悪くないと思います」 「なるほどね……」 成臣は同意を示しつつも、しばし黙る。沈黙が奈津にプレッシャーを与え、もしかしたら成臣も師範学校への進学を良く思っていないのではないかと思った。 結婚する前に許可はもらっているはずだがと、暗闇のなか成臣の表情を確認しようと少しだけ顔をそちらに向ける。オイルランプの僅かな明かりで見えた成臣の横顔は奈津が思っているよりもずっと凛々しくて大人で、心臓がドクンと変な音を立てた。 「算術や商法を学んではみないか?」 「え? 算術? 商法?」 「俺はいろいろなことに手を出しているが、とりわけ今は貿易に力を入れている。そこで働きながら勉強してみないか?」 「働きながら学校へ行けとおっしゃっているのですか?」 「違うよ。学校は学校でいいんだが、それはそれとして。俺と一緒に貿易を学ばないかと言っているんだ」 「貿易ですか?」 思わず奈津は体を起こし成臣に対峙する。 貿易を学ぶこともそうだが、成臣が「私」から「俺」に言い方が変わっていることも驚いた。素の成臣はそんな風に話すのかと。知らなかった一面を垣間見た気がする。 「日本は貿易でもっと国を豊かにしなくてはいけない。だから奈津にはその手伝いをしてほしいと思っている」 「貿易……ということは舶来品等に関われるのですか?」 「もちろんだ」 「うわぁ、すごい」 奈津のテンションは一気に上がり、微睡んでいたモヤが晴れて急に目が覚めたような気さえする。「あれもこれも見られるのかしら」とブツブツ独り言をもらす奈津に、成臣は柔らかくふっと笑みを漏らした。 「向上心のあるやつは好きだな」 「えっ……」 成臣の言葉を素直に受け取ってしまった奈津は一気に顔を赤くし、目を伏せてまたしずしずと布団に潜り込んでいく。年甲斐もなくはしゃいでしまった自分が恥ずかしい。しかも好きと言われて動揺が止まらない。そういう“好き”ではないとは思うのだが。 「……えっと、よろしくお願いします」 「ああ、よろしく」 モゴモゴと呟く奈津は恥ずかしさで布団に潜り込む。芋虫みたいに丸まってしまった奈津を見て、成臣は人知れず微笑む。 「おやすみ、奈津」 小さく囁くと、そうっとオイルランプの灯りを消した。闇の中、奈津の「おやすみなさい」とくぐもった声が聞こえた気がした。
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