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考え事に耽っていたら、いつの間にか日もどっぷり落ちていた。夜空には三日月が浮かんで一番星が輝いている。部屋に明かりを灯さなかったため、夜空がよく見えた。
トントンとノックの音に奈津は顔を上げる。
「奥方様、御夕食のご準備が整っております」
「あ……今行きます」
食欲はわかないけれど、せっかく準備してくれたものをいらないというのも憚られる。奈津は重い腰を上げて食堂へ下りた。
食堂では芳ばしいバターの香りが漂っていて、和食の多い桐ヶ崎家では珍しいなと思う。桐ケ崎邸は洋風の造りをしているが、意外にも食事は和食ばかりだ。西洋を好む成臣も、食は和を好む。洋食はたまにでいいと以前言っていた。
目の前にはふんわり玉子のオムレツがのったお皿が置かれる。
「こちらは旦那様から送られてきたバターを使用しております」
「まあ、成臣様から?」
「それから、こちらは奥方様にと言付かっております」
テーブルの上に差し出された一通の手紙。
そして舶来品と思われる小さな箱。箱には外国語で文字が書かれている。
ドキンドキンと心臓が高鳴った。
恋しくてたまらない成臣からの手紙には何が書かれているのだろう。
昨日までの面持ちならば嬉しくてたまらなかったはずなのに、今日使用人たちが噂していたあの話を聞いてしまった今は、嬉しさと不安が胸を渦巻く。
「旦那様が奥方様にぜひにとのことで、供の者が運んできたのでございますよ。こちらに使われているバターも、従来のものより良いものだとか」
「そうなの。だから香りが良いのかしら。食べるのが楽しみだわ。たくさんあるのでしたら、ぜひ皆さんも試食なさってね」
奈津がそう伝えれば、使用人たちはわあっと顔を綻ばせた。
奈津もオムレツをひとくち、口に入れる。芳醇な香りがふわっと鼻から抜けていく。確かに、今まで食べたバターよりも旨味が増している気がする。成臣もこのバターを口にしたのだろうか。
「美味しい……」
少しだけ彼を感じることができて嬉しくもあり、そしてやはり寂しい。
できることなら一緒に味わいたかったとも思う。
食欲がわかなかったはずなのに、気づけばぺろりと平らげていた。
人間とは何とも単純なものだなと奈津は思った。
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