4.仮初めを卒業したく

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奈津は汽車を見たことはあったが、乗るのは初めてだった。高価な乗り物であるため滅多に使わない。けれど長距離移動にはとても役立つ。 一刻も早く成臣の元に駆けつけたい奈津は、金など惜しんでいられなかった。成臣の仕事に着いていった日は成臣から律儀にも日給が支払われている。今まで貯めた分をありったけ財布に詰め込んだ。 ガタンゴトンと揺れる汽車。 まわりの乗客たちは奈津の気持ちなど露ほども知らない。奈津だけが真っ直ぐ前を向き、変わる景色に目もくれずただ成臣のことを想った。 (襲われたってどういうことだろう?) 奈津は考える。廃刀令は奈津が生まれる前に出ているし、士族の反乱も西南戦争後は穏やかになっている。 (じゃあ外国との戦争?) それならばもっと世間は大騒ぎのはずだ。新聞にもそのような記事はなかったし、街の雰囲気もいたっていつも通りだった。それにこの汽車の中も。誰一人として慌てたり騒いでいる者はいない。聞こえてくるのは微かな談笑する声のみ。 (ああ、わからない。とにかく無事でいてください) 考えれば考えるほど気が遠くなりそうになるが、奈津は必死に気持ちを奮い立たせた。 神戸に着くのは今日だろうか、明日だろうか、それとももっとかかるのだろうか。時間の感覚すら忘れるほど奈津は成臣の安否を想い、無事を祈り続けた。気を抜くとカタカタと震えそうになる体を両手でぎゅっと抱きしめる。落ち着きはしないけれど、力を入れていないと不安で崩れ落ちてしまいそうだからだ。 もしも成臣がいなくなってしまったら……? そんな不吉なことが頭を過り、奈津は身震いした。もう奈津にとって成臣はなくてはならない存在になっている。それは奈津が自由に勉学に励めるためではない。成臣が奈津のよき理解者だからでもない。 (私は成臣さんのことが……好き) 例え仮初めだとしても、この先も夫婦でいたい。成臣が奈津のことを好きだと言ってくれるように、奈津も成臣に好きだと伝えたい。奈津と成臣の"好き"の意味が例え違っていたとしても、それでも奈津は自分の気持ちに気づいてしまったのだ。それを彼に伝えたい。 (成臣さん! 成臣さん!) 心の中で何度も名前を呼びながら自分を鼓舞し、奈津は神戸までの長旅を切り抜けた。どれだけの時間を費やしたのか、時間の感覚などまったくなかった。食欲も睡眠も、人間が生活する上での必要な行動すら忘れて、ただただ、夫婦守りを握りしめていた。
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