4.仮初めを卒業したく

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「泣くなよ」 「だって、成臣さん……私、心配で……」 「心配してくれたのかい? 奈津は優しいね」 「……優しいのは……成臣さん……です」 「それにしても、よくここまで来たね。もしかして俺の言葉を気にしているのか?」 「え?」 「社交場ではそれなりに振る舞ってもらおうと言ったことだ。奈津は頑張って妻の役目を果たそうとしてくれているのかと……」 言って、成臣は口をつぐんだ。 奈津の瞳ががひときわ大きく見開いて、たっぷりとした雫がぽたり、ぽたりと落ちたからだ。こぶしは膝で握られ、眉を八の字に下げてわなわなと震えている。 「……奈津?」 「な、成臣さんは、か、仮初めでしかないでしょうけど……私は……成臣さんのことが……」 想いが溢れそうになって震えながら言葉を紡ぐ。けれどどうしてかその先を口にすることはできず、奈津は唇を噛んで俯いた。 やはり成臣が奈津のことを"好きだ"などと言っていたのは、奈津の思っている"好き"とは違っていたのだ。仮初めはしょせん仮初めだった。自分の想いだけが宙に浮いて行き場を失っていることを痛感して、それ以上何も言えなくなった。 成臣はそんな奈津の態度に驚きつつも、困ったように眉を下げる。そしてふと目尻を落として優しい笑みを漏らした。 「奈津、続きを聞かせて」 「……嫌です」 「奈津。聞きたい」 成臣は奈津の手を取る。そこには成臣が贈った指輪が嵌められていた。 「指輪、してくれてるんだね」 「…………」 普段はしていないけれど、指輪を置いてくることはできなかった。指輪をはめることで成臣と繋がっているように感じる。だから肌身離さず持っている。 今日は、成臣の妻として自分を鼓舞するためにはめてきた。それを、成臣は愛おしげになぞる。 そんな風に触れられて奈津の心臓はまたドキンドキンと揺れる。つと顔を上げれば甘く柔らかな眼差しの成臣と視線が絡み合い、捕らえられて目をそらせなくなる。 「ほら、私は成臣さんのことが、何?」 ちょっぴり意地悪そうに奈津を覗き込めば、奈津は「ひえっ」と可愛い声を出してみるみるうちに頬が真っ赤に染まった。 そんな奈津がいじらしく、そして可愛らしい。 成臣は胸が熱くなるのを感じた。 「俺は奈津のことが好きだよ。奈津は?」 「私は……」 「うん、私は?」 「成臣さんのことが……」 「うん、成臣さんのことが?」 「す……」 「す?」 「……好きで好きでたまらないです!」 半ばやけくそで叫ぶように言った奈津だったが、見れば成臣は手で口もとを覆っている。思いのほか成臣のほうが照れてほんのりと頬を染めていた。 「え、ちょっと、何で成臣さんが照れるの」 「だって、奈津があまりにも可愛いから」 「ひえっ」 奈津の悲鳴は成臣の逞しい胸板によって遮られた。 一瞬何が起きたかわからなかった。 あたたかく包まれた奈津の耳に、成臣の鼓動がトクトクと響いてくる。生きていることに改めて目頭が熱くなった。
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