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「それからこちらは、奥方様のためのお部屋でございます。自由に使ってよいと旦那様から言付かっております」
「まあ、ありがとう」
他の部屋に比べたら少し小さいその空間には、奈津にはもったいないくらいの大きさの机と椅子、そして本棚が設置されている。本棚には何冊か書物も並べられており、どれも奈津が読んだことないものばかりで好奇心をくすぐった。今すぐにでも手に取って読みたいほどだ。
「あら、これは?」
奈津は机に置かれているペンを手に取る。
「万年筆でございます。奥方様は書き物がお好きだということで、旦那様がご用意なさいました」
「そうなのですか」
万年筆は舶来品でとても高価なものだと聞いている。奈津はそうっと手に取る。試しに筆を走らせると、とても滑らかに文字が書けた。
「いいのかしら、もらっても」
「もちろんでございますよ。旦那様から奥方様への贈り物だそうですから」
「贈り物……」
男性から贈り物をされたことのない奈津は急に心臓がドキドキと打ち始め、思わず万年筆を胸に抱えた。
「嬉しゅうございますねぇ」
奈津のいじらしい態度に使用人が微笑ましく笑えば、奈津は素直に「はい」と頷いた。
成臣とは仮初めの結婚だ。こうして贈り物をされることも社交場での振る舞いと同等のことなのだろうか。そうだとしても一言お礼くらいは言いたい。
「桐ヶ崎様はいつお帰りになるのかしら?」
「今日は商談があるそうで遅くなると聞いております」
「そうですか……」
「お寂しいですね」
奈津の返事を落ち込みと受け取った使用人は同情の相槌を打つ。周りからしたら奈津と成臣は新婚なのだ。それなのに妻を放って仕事を優先する夫に奈津がガッカリしたと思ったのだろう。
「え、ええ、そうね」
奈津は不自然にならないよう精一杯の笑顔でその場をやり過ごした。
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