料理という特技

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料理という特技

bb2b711e-fc81-4d8b-a868-37e7353f89d9 毒を漏られて死にかけた事で五月ことレベッカが思い付いた事ーー それは (そうだ!料理をしよう!) という事だった。 悪役令嬢の破滅エンドのパターンは多種多様…。 「処刑」エンドの場合にはどうしようもないが… それ以外の破滅エンドの場合だと 「料理ができる」 「魔力を有効活用した仕事ができる」 などといった、お役立ち特技が有ると何とか生き延びていける。 「…両親から見ても弟から見ても、(レベッカ)が全く愛情の対象じゃない事は分かった。 何せこっちは死にかけたのに、あの人達は誰一人として一度も見舞いにも来なかった。 …それでも政略結婚の駒として育てるために、衣食住はちゃんと保障してくれる気はあるという事なのか…。 毒入りの食事を運んできた侍女と調理に関わった調理人達をクビにしたみたい。 私が『自分の食事は自分で作らないと安心できない』と言い張れば、私が厨房に出入りして自分の食事を作る分には邪魔せずに居てくれる筈…」 レベッカは父親の反応をそう計算。 厨房にそそくさと乗り込んで 「今後、自分の食事は自分で作ります!」 と宣言した。 そして宣言通りに自分の食べるスープを自分で作り出すとーー 案の定、厨房にいた(仮調理人の)侍女達が侯爵家の大黒柱であるグラインディー侯爵その人へ告げ口に走った。 侯爵の反応はというと予想通り。 「毒を漏られた人間が自分の食事を自分で作ると言い出すのは別に不思議じゃない。自分で作らないと食事も喉を通らないのなら、当人の好きにさせてやれ」 との事。 これまで同様、無関心と必要最低限の衣食住保障の意向だった。 ーー元々、レベッカは五月(さつき)だった頃から家族の愛情などは無縁…。 前世では子供の頃から自炊していた身。 料理を楽しいとか好きだとか思えはしないものの… 料理歴は長いため腕はそれなりだ。 五月の両親は五月が子供の頃から共働き。 休日はパチンコ屋に入り浸り。 五月が小学生に上がる頃には、食事は五月が作っていた。 初めの頃は夕食もレトルトカレーや即席ラーメンや缶詰め。 朝食・昼食は安売りのパン。 徐々に本格的に料理を覚え、掃除や洗濯もいつしか五月がやるようになっていった。 五月の両親は 「子供がいる。養育義務・教育義務がある」 という事を全く理解できておらず… 仕事をするか パチンコするか 自己像を美化捏造したキャラでSNSに興じるか その三点にしか興味のない人達だった。 露骨に虐待された訳でも無かったが… 余りにも愛されておらず 余りにも無関心。 余りにも会話もなく 絶賛放置プレー状態の子育て…。 (家族の愛情とは何だろうか?) と悩むことすらバカらしい程に興味の幅が狭い人達だった…。 そういう生き方の何が悪いのか… そういう生き方の何が寂しいのか… 五月は上手く説明できなかったが 「何故こんなに虚しいのか、全く分からないまま、それでも虚しい」 という事だけは分かった。 親との関係ですら そこに親和性を見い出せなかった五月が 他人との間に親和性を構築できる筈もなく… 異性にモテないのみならず 親しい友人ですら作れなかった。 同じクラス、同じ職場。 そんな「同じ枠」の中に居る間は 質問すれば答えてもらえる程度の関係は築けたものの… 「同じ枠」から外れれば完全に赤の他人。 顔を合わせれば挨拶くらいは返してもらえるが ただそれだけ…。 異常に意地の悪い人間から目をつけられてイジメられれば 誰一人庇ってもくれない…。 いつもいつも切り捨てられた…。 心が凍るような 身内の無関心と他人の冷たさが溢れる社会の中。 周囲から愛されて幸せに暮らしてた人達もいたのだろうが… 五月にとっては関係のないもの。 「他の人達には当たり前に与えられているものでも私にとってはそうじゃない」 という事に納得するまでは 五月も人並みに情緒不安定に陥りながら世の中を恨んで足掻いた。 だけど足掻けば足掻くほど自分が不利になる事に気付いたから… (…ああ…。「弱者」というのは立場が弱いだけでなく「足掻けば足掻くほど不利になる」という環境に囲い込まれて「恨むという選択肢さえ認められない者」の事を言うのだな…) と悟ってしまった。 なので 「他の人達には当たり前に与えられているものでも私にとってはそうじゃない」 という環境をありのままに受け入れて 不満さえ持たぬよう 自分という人間の無価値さを思い知ると 足掻きも情緒不安も何もかも 全て滑り落ちていった…。 期待や喜びと共に…。 愛情も友愛も全てまやかしだ。 親和性は甘い麻薬だ。 心狂わせる贅沢品だ。 そんな贅沢品を求めてしまい それを得られてしまう人達は どこまでも愚かになってしまう。 現実が見えなくなってしまう。 それなら私はーー せめて私だけはーー 親和性という甘い麻薬に溺れて狂う人達の最中で 事実を事実として認識して正気を保ち続けよう。 「自分が自分自身である」 という破棄不能の権利の行使を望もう。 「人間が人間であることの意義」 の達成を望もう。 皆が皆、依存症のよう狂った者同士で睦み合っても 私だけが独りぼっちのまま取り残されても 私だけはーー 正気と真実の中で生きよう…。 五月はそう覚悟して孤独な人生を生きていたので その覚悟を思い出すのは容易かった…。 決して楽しいとも好きだとも思ってなかった料理。 それを改めて、侯爵家令嬢となった後でも始める。 その行為は 「岡崎五月(おかざきさつき)であった頃の在り方を引き継ぐ」 事でもある。 誰にも褒められず 誰からも愛されず それでもたった独り、淡々と在り続けた…。 まやかしの多幸感に溺れる事なく 「在り続ける」 という苦行を果たし終えた…。 そんな在り方…。 五月は知らないのだーー。 五月の死が周りの者達に与えた印象を。 大勢の人達にとって五月の人生は 「ああはなりたくない」 と思うような惨めなものだったが… それでもごく一部の人達から見れば 「ご苦労様」 とねぎらいたくなるものだった。 運命共同体という不思議な絆の中ではーー 不幸も苦しみも必然的に発生する。 植物が芽吹き成長し 花を咲かせ実を付けて 種を作って枯れてゆき 土に還り 新たに芽吹く種のための肥料となる。 そういった輪廻の中で 「土に還る」 という段階を 「誰かが背負う」 からこそ 「次の繁栄」 が訪れてくれる。 絆によって護られる事もなく ただ切り捨てられ続ける人生を… 犯罪も犯さず 狂いもせず 無難に全うした者に対して 「本当にお疲れ様でした。どうぞ安らかに…」 と、いたわり・ねぎらいを向けるのは至極当然の事であり そういった感情を向けた人々も (ごく少数であったが) 絶望の国・日本にも確かに存在したのだ…。
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