貴族というブレイン

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貴族というブレイン

6eb6142c-3b77-473a-a815-119f75a6396a 肉体の美醜も手先の器用さも「慣れ」や「努力」などといった要素とは別の何かが働いている。 だが人間がそれを実感する事は少ない。 遺伝子の持つ潜在力。 それは余りにも格差がある。 スペックの高い遺伝子で構築された肉体。 それは使いこなせない魂にとっては 無駄に容量がデカく 無駄に高性能な 慣れないネット端末のようなものである。 それでも 「何かしらの技能に長けたい」 と明確に意図した場合には 高性能の肉体はすぐさまその願いを叶えてくれる。 レベッカは11歳になるまで包丁を握った事など無かった。 中身の五月が幾ら料理が得意でも、使う肉体は違う。 レベッカの手付きは確かに初めはぎこちなかった。 だが元々の肉体のスペックが、レベッカは五月と比べて異様に高い。 料理し出して三日目にはーー レベッカは長年調理人として仕事してきた新任料理長に負けず劣らずの包丁さばきで魚を下ろしていた…。 それに関しては屋敷中の使用人一同 「貴族という人種は魔力を持ってるだけあって、実は何をやらせても上手くできる生き物なのかも知れない。 人間性は傲慢でムカつくヤツらが多いが、威張ってるだけあって、貴族は確かに能力が高くて偉いのだろう…」 と、貴族という人種の底力を見せつけられた心地になったのであった…。 頭の堅い貴族は 「自ら料理などすれば侮られる」 と考えるが… 人間社会のヒエラルキーは 「分業による社会内労働の効率化」 によって生じているのだ。 「貴族は遺伝子レベルで平民とは違うので、何をやっても上手くできる」 という事実を見せつけるパフォーマンスは、実は大切なこと。 平民の仕事であっても 貴族がそれをそつなく熟せるのであれば 「貴族は本当は自分で何でもできる。だが貴族は貴族にしかできない仕事をするために平民に任せても問題ない仕事を平民に任せているのだ」 という社会構造の正当性に、平民達も気がつく事ができる。 ルサンチマンの噴出を防ぐには 「貴族は師もおらず修行もしてない状態でも一流の仕事ができる。平民とは根本的に違う。 『同じ人間だ』と思う所から来る平等意識を振りかざした奪取欲に溺れれば、すぐさまその浅ましさを見抜かれ暴露され粛清される」 といった過大評価的な畏れを持たせる必要もある。 そもそも 「貴族が平民と同程度の能力しかない」 のなら どうやって貴族は自分達の社会的優位性の中に妥当性を見い出せるのか。 どうやってヒエラルキーの正当性を平民達へも納得させられるというのか。 そういう意味においてはーー レベッカが料理上手である事は 「さすがは貴族だ」 という感銘を使用人達の内心にもたらしたのだから。 レベッカは貴族に相応しい生き方をしている。 平民のように料理しながら 平民とは馴れ合わず 一流の調理人並みの技術を持ち 料理の味も一流。 わずか11歳で わずか数日で そのレベルに達した。 レベッカは毒に倒れて以降 自分の身の回りの事は基本的に自分でこなしたし 何より使用人を怒鳴らなくなった。 置き物のように大人しく それでいて不具合にはすぐさま対処し 手の掛からない 感情を表さない 子供らしからぬ子供になった…。 周りの者達は 「毒を漏られた事がレベッカ嬢を貴族令嬢たらしめる通過儀礼として作用したようだ」 と見做した。 実際に限りなく死に近づく体験をする事でーー 劇的に人生観が変化し それまでの人格が嘘だったかのように落ち着く者も稀にいる。 レベッカもその口だと思われたのだ。 誰一人としてレベッカの中に五月が宿った事になど気付かない。 だが五月が宿った事はレベッカの人生を確実に良い方向へ導いている。 五月の 「穏やかながら他人と馴れ合わない性格」 は貴族令嬢としては孤高に見える。 馴れ合わないながらも 遠巻きにであれ 尊敬を勝ち取っている。 レベッカのほうでも 「五月だった頃は他人と馴れ合えない性格のせいで惨めなものを見る目で見られ続けて切り捨てられ続けた」 「レベッカだと他人と馴れ合えない性格は孤高と受け止められて、誰も手を貸してくれないのは手助けの必要性が分からないくらいに神秘化されてるからだ」 と、肉体と立場の違いによって生じる解釈差に気が付いた。 貴族はどこか平民達から偶像視され それによって自発的手助けなどは得られなくなり 逆に道理に適う合理的指示なら 不満顔をされずに従ってもらえる事が分かった。 (…そうか。貴族というものは人間社会全体にとっての「頭脳(ブレイン)」に該当するんだ。だからこそ自分の指示が道理に適う合理的指示である事を周りにも理解させるべく弁論術を磨く必要がある…) と理解した。 甘やかな感情や情緒ーー。 それは貴族が持って良いものじゃない…。 分業の進んだ複雑化した社会の中では 農奴化した重労働者達は 「物を考える余裕すらない」 のだ。 (日本社会で超過搾取されてた社畜同様に) そんな考える余裕のない思考停止した人達が 「生きる意欲を生み出す」 ために甘やかな感情や情緒を求める。 家族の愛情や信頼のおける友人との友情を。 運命共同体である人々との絆をーー。 貴族はブレイン。 甘やかな感情や情緒を求める下流層の者達が報われない人生の中でそれを得られるように配慮するのがブレインの役目。 貴族が甘やかな感情や情緒を求めるべきではない。 (…愛情や友情など求める気持ちさえ擦り切れて無くしてしまった私は多分、誰よりも「貴族らしく」孤高で在れる) (…恵まれない人生を生きてる人達に対して嫉妬すらせずに、彼らが唯一望む愛情や友情が得られるように共に祈って配慮してやれる…) レベッカはそう考えながら、ふと (そう言えば、婚約者をヒロインに盗られた悪役令嬢のハッピーエンドは修道院へ入って生涯を奉仕活動に費やして「聖女」とまで呼ばれるようになるといったものらしいけど…。私は一度もその「本当のハッピーエンド」を迎える事が出来なかったな…) と思い出した。 誰からも理解されず 誰からも愛されず 寂しいと思う気持ちさえ麻痺して 弱者が絆すら持てない狂った世の中で 現実から目を背けるでもなく ただ一人だけ正気で居続けた。 ーーそれが「聖女」とも呼べる存在性を生み出す体験だった事を レベッカは未だ知らない…。
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