第一部:恋の終わりは

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 ドアの隙間から首を伸ばし、廊下を 覗く。おそらく、ドアのアンダーカット 部分から差し込まれたであろう、それ。  もしかしたら、誰かが部屋を間違えて メッセージを差し入れたのかも知れない。  そう思って廊下の様子を見やったが、 周囲にそれらしい人影はなく、ハウスキー パーの女性がリネンや掃除用具を積んだ カートの前に立っている。  ふと、その女性と目が合ってしまい、 何となくぎこちない笑みを返した紫月は、 首を傾げながらパタリとドアを閉めた。  そうして、もう一度その紙切れに目を 落とす。 ーー恋の終わりは、自分から立ち去ること。  恋の終わりを悟った時は、自分からその 恋を手放すこと。それが、もっと幸せな恋 を掴むためのファーストステップになると いう、恋に傷ついた者へのエールだ。  いまの自分ほど、この言葉が似合う者は いないだろう。  「The end of love, that it leave from his……」  紫月は呟くようにその言葉を口にし、頬 を緩めた。もしかしたら、偶然、誰かが落 としたメモがドアの隙間から滑り込んで しまったのかも知れない。  だとしても、宛名のないこのメッセージ が、一瞬でも自分を慰めてくれたことには 変わりない。  紫月はその紙を折り畳むと、そっと鞄の 中の手帳に挟んだ。ばさ、と長い髪を払う。  再びバスルームへと足を向けた紫月の心 は、ほんの数分前よりも、少し軽くなって いた。  「……縁談???」  仕事を終え、いつもの時間に帰宅した紫月 は、めずらしく遅くまで起きていた父に手招 きされ、リビングの椅子に腰かけた。  のだが……、脱いだコートを隣の椅子の背 に掛け、父の顔を見た瞬間に出てきた言葉が、 「おまえに縁談がきている」のひと言で。  あまりに唐突過ぎるその話に、紫月の目が まん丸に開かれたのも無理はない。  婚約を解消して欲しいと榊一久に(厳密に は父親の幸四郎に)申し伝えたのは2週間前 で、ようやく気持ちの整理がつき始めた時 だった。  「縁談って、どなたからですか?私が婚約 を破棄した情報なんて、まだそんなに広まっ ていないはずだと思いますけど」  明らかに、いつもより機嫌が良く見える父 の顔を覗き込みながら、紫月は降って湧いた ようなこの縁談に眉を顰めた。父がテーブル に身を乗り出す。隣に座っている母も、娘と 夫の顔を交互に見ながら、にこにこしていた。  「破談の話をどこで聞いたのかは知らない が、相手はステイゴールドホテルグループの 最高経営責任者、月城玲(つきしろれい)だ。おまえも 名前くらいは聞いたことあるだろう?ほら、 あのイギリス人とのハーフの」
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