第一部:恋の終わりは

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第一部:恋の終わりは

ーー恋に落ちる。  その言葉の意味を知ったのは、彼に 出会った時だった。  父に連れられ出席した、サカキグルー プの創立記念パーティー。  飲食店経営の他、食品加工も手掛ける 大手飲食企業であるサカキグループは、 安永財閥系列の金融機関と取引がある。  その関係で今日の式典に招待されたの だが……。父の傍ら、見知った顔のいな いこの広い会場で、“ご挨拶”ばかりを繰り 返していた紫月は、少々疲れていた。  本来なら、自分の代わりに同席する はずだった母は体調を崩し、床に臥して いる。だから今日は仕方ない。  安永の名に恥じぬよう、立派に母の代役 を務めよう。そう心に決め、紫月は笑い過 ぎで筋肉痛になりそうな両頬に、そっと 触れた。  「お飲み物はいかがですか?」  不意に、斜め後ろから声がかかった。  振り向けば、いくつかのグラスを銀の トレーに載せ、ウエイターが笑みを向けて いる。  「ありがとう。いただきます」  未成年ということもあって酒類を口に するわけにもいかず、紫月は背の高い シャンパングラスを避け、その後ろに ひとつだけ残っていたオレンジジュースを 手に取った。  一礼してウエイターが去ってゆく。  その背中を見送り、グラスに口を付けた 時だった。万雷の拍手と共に広い会場の ステージに上がったその人を見た瞬間、 紫月は息を止めた。 ーー立ち姿が美しい、その人。  マイクの前に立ち、自分に向けられる 憧憬の眼差しを受け止めるその顔は理知的 で、一分の隙もない。  知性と容姿を兼ね備えた、完璧な男性。  それが榊一久の第一印象で、紫月はおそ らく、これまでの人生で初めて、“恋に落ち る”という言葉の意味を知ったのだった。  やがて、主催側の挨拶を終え、ステージ から下りて来た彼は数人の招待客と挨拶を 交わしながら父の元へとやってきた。  少し離れた場所から談笑する二人の様子 を眺める紫月の心臓は、どきどきと早なっ ている。  まるで、100メートル走を3本くらい走っ た後のようだ。  ひとり、そんなことを思っていた紫月の 瞳はやはり、榊一久、その人に釘付けで、 こちらを振り返った父が自分を手招きした 時は、跳ねた心臓が口から飛び出してしま いそうだった。  「娘の紫月です。このたびは、盛大な 祝賀会の席にお招きいただき、大変光栄 です」  父の傍らに立ち、彼に会釈する。  満足そうに笑みを浮かべる父の顔を 視界の隅で捉えながら彼を見上げると、 紫月は恥じらいに頬を染めた。  今、恋したばかりのその人が、自分を 見つめている。  「こちらこそ、お会いできて大変光栄 です。お父様からお話は兼ね兼ね伺って おりましたが、なるほど、お美しい。 才色兼備という言葉は、あなたのために あるようですね」  「身に余るお言葉、嬉しく存じます」  これはお世辞だ。社交辞令だ。  そんなことは百も承知だったが、紫月 は彼から掛けられた賛辞の言葉に、頬を 緩めずにはいられなかった。
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