誕生日症候群

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           ・・・ 「誕生日おめでとう、ツトム!」  リビングにやってきた寝ぼけ眼の僕に、母親の唐突の言葉が刺さった。『誕生日おめでとう』というワードで僕の精神は急に活性化する。  壁に掛かっている日めくりカレンダーを見上げた。日付は、十月十六日。まさしく僕の誕生日当日だ。ダイニングテーブルには、母手作りのホールケーキが用意されている。  何だか変な気分だ。まるで前回の誕生日が昨日だったかのよう。少しぼーっとしていると、母親が何かプレゼントらしきものを手に持ってやってきた。ああ、いつもの誕生日だ。今日は僕の誕生日なんだ。僕は笑みを抑えきれなかった。 「プレゼントはね、新しい靴だよ!」  母親から、リボンで丁寧に包まれた箱を渡される。逸る気持ちのままに手を動かして開封すると、そこには今巷で人気のブランド物の黒スニーカーが神々しい輝きを放って入っていた。  中学校の校則で『履いていく靴は白を基調としたものであるように』というものがあるので、黒いこの靴は学校には履いていけない。でも、休日に履いていくには最高に格好いい品だ。まあ、もし今日が平日で学校に行かなきゃいけない日でも、誕生日は特別なので履いていってしまうだろう。 「ありがとう、母さん。僕、今日から早速使うね」 「もちろん! いっぱい使うのよ。ただ履きなれてないと靴擦れしちゃうかもしれないから気を付けてね」 「うん。今日はちょうどコンビニに行こうと思ってるから、その時に履いていくよ」  僕はスニーカーを眺めながらそう言った。母親は僕の言葉に満足したのか安心したのか、小さく息を吐き出す。そしてダイニングテーブルに置いてあったホールケーキにろうそくを差していった。  十四本のろうそくがケーキの輪郭に沿って並べられる。ふいに母親が「あっ」と声を漏らした。 「ごめん、誕生日には全然関係ない話なんだけど」 「何?」 「この前ツトムがもらってきたクラス通信……。ツトムに返す予定だったのに間違えて燃やして捨てちゃった。本当にごめんね、今必死に内容を思い出してるとこ」  すごく申し訳なさそうに話し始めたので、一体どれほど深刻なことが起こったのかと思ったが、拍子抜けした。僕は何だ、そんなことか、と息を吐いた。何か思うたびに息を吐き出すのは、僕ら親子の癖なのかもしれない。 「全然大丈夫。大した事書いてなかったと思うから」  というより、誕生日の日に限っては、何をされても怒る気になれないのだ。まあまあ、そんなことくらい僕の寛大な心で許してやろう。何せ今日は僕の誕生日なんだ。僕は特別なんだ。  母さんは「よかった」と言い、柔らかく微笑んだ。寝不足なのか、顔色が少し悪い気がする。心なしか、以前と比べて痩せてしまっているような気もする。申し訳ないとは思ったが、だからと言ってケーキをつくるのをやめてほしくはない。母さんがライターでろうそくに火をつけ始めるのを横目で見ながら、僕はダイニングからリビングにかけてゆっくりと歩いていった。  誕生日の日ほど、カレンダーをたくさん眺める日はないだろう。僕はテレビの横に掛かっている日めくりカレンダーを再び嬉々として見る。十月十六日。本当に、永遠にこの紙が一番上でいいと思う。誰もめくらないでほしい。 「ツトム、電気消してくれる?」  母親の声が飛んでくる。ろうそくを吹き消す時が来たようだ。僕は相変わらず笑みを顔から零したまま、「うんっ」と頷いた。  ケーキを食べ終えた後、僕はもらったスニーカーを履いて外に出た。うららかな日差しの中、道路を歩いている人は多くはないにしろ一定数いる。その中で、僕が一番おしゃれだと思う。服でおしゃれ度を判断するのは一般人がやること。本当におしゃれな人って言うのは、足元から違うんだ。僕は自然と胸を張って歩いていた。  通りの向こうに見知った顔がいた。クラスメイトの男子が数人、僕の方をちらちら伺いながら、何やらしゃべっている。気のせいかもしれないが、ニヤニヤしているようにも見えるし、クスクス笑っているようにも見える。  僕はやれやれといった感じで息を吐いた。あの人たちが何をしゃべっているのかは、遠くて分からない。僕の悪口かもしれないし、僕とは全然関係のないことかもしれない。けど、今の僕にとっては、そんなことどうでもいいのだ。仮に僕の悪口でも、今の僕には無効である。だって今日は僕の誕生日だから。僻んでいるのかな、じゃあ仕方がないな、なんて思う。僕はこの世の王様にでもなった気分だった。  ただ面倒ごとに巻き込まれるのは嫌だったので、僕はその人たちから顔を背けて歩き出した。逃げ出したわけではなく、堂々と、靴を見せびらかすようにしながら、背筋を伸ばして歩いていく。  楽しいことほど時間は早く過ぎるって聞くけど、実際に身をもって感じる。昼食にピザ、夜にステーキを食べ、僕の誕生日はあっという間に過ぎていってしまった。
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