2人が本棚に入れています
本棚に追加
・・・
「誕生日おめでとう、ツトム!」
リビングにやってきた寝ぼけ眼の僕に、母親の唐突の言葉が刺さった。『誕生日おめでとう』というワードで僕の精神は急に活性化する。
壁に掛かっている日めくりカレンダーを見上げた。日付は、十月十六日。まさしく僕の誕生日当日だ。ダイニングテーブルには、母手作りのホールケーキが用意されている。
まただ。どうにも変な気分に、またなっている。まるで前回の誕生日が昨日、前々回の誕生日が一昨日だったかのよう。少しぼーっとしていると、母親が何かプレゼントらしきものを手に持ってやってきた。ああ、いつもの誕生日だ。今日は僕の誕生日なんだ。僕は笑みを抑えきれなかった。
「プレゼントはね、新しい収納ボックスだよ!」
母親から、リボンで丁寧に包まれた袋を渡される。逸る気持ちのままに手を動かして開封すると、そこには大きめの箱が十個ほど、重なって入っていた。ただの箱ではなく、黒くてシックなおしゃれインテリアという感じだった。
「ツトムの部屋、だいぶ散らかってるじゃない? だから、お節介かなとは思ったんだけど、あげたくて」
確かに僕の部屋は物が多くてひどく散らかっている。どうにも片付ける気力が湧かなかったからだ。部屋が汚かろうが何だろうが、もうどうでもいいと思っていたのだ。でもせっかくいい感じの箱をもらったことだし、きちんと片付けようと思う。
「ありがとう、母さん。僕、今日から早速使うね」
「もちろん! いっぱい使うのよ。あ、ついでに段ボール箱も渡しておくから、いらないものはそこに入れてまとめて捨てちゃいなさい」
「うん。早く部屋を綺麗にしたいな」
僕は箱を眺めながらそう言った。母親は僕の言葉に満足したのか安心したのか、小さく息を吐き出す。そしてダイニングテーブルに置いてあったホールケーキにろうそくを差していった。
十四本のろうそくがケーキの輪郭に沿って並べられる。ふいに母親が「あっ」と声を漏らした。
「ごめん、誕生日には全然関係ない話なんだけど」
「何?」
「ツトムが寝てるとき、ツトムのおでこに手を当ててみたらすごく熱くなってたように感じたから、間違えて学校に欠席の連絡を入れちゃった。でも元気そうだし、お母さんの勘違いだったみたいね。でも一応休んでくれないかな。本当にごめんね、皆勤賞狙ってたみたいなのに」
すごく申し訳なさそうに話し始めたので、一体どれほど深刻なことが起こったのかと思ったが、拍子抜けした。僕は何だ、そんなことか、と息を吐いた。何か思うたびに息を吐き出すのは、僕ら親子の癖なのかもしれない。
「全然大丈夫。そっか、今日は平日だっけ。でも、誕生日は特別だから、一日休むのもありだよ」
というより、誕生日の日に限っては、何をされても怒る気になれないのだ。まあまあ、そんなことくらい僕の寛大な心で許してやろう。何せ今日は僕の誕生日なんだ。僕は特別なんだ。
母さんは「よかった」と言い、柔らかく微笑んだ。寝不足なのか、顔色が少し悪い気がする。心なしか、以前と比べて痩せてしまっているような気もする。若干苦しそうな息遣いも感じられ、僕は少し心配になった。申し訳ないとは思ったが、だからと言ってケーキをつくるのをやめてほしくはない。母さんがライターでろうそくに火をつけ始めるのを横目で見ながら、僕はダイニングからリビングにかけてゆっくりと歩いていった。
誕生日の日ほど、カレンダーをたくさん眺める日はないだろう。僕はテレビの横に掛かっている日めくりカレンダーを再び嬉々として見る。十月十六日。不意に、日付の隣に書いてあった何かが黒く塗りつぶされているのに気付いたが、それが一体何なのかを考える気は全く湧かなかった。本当に、永遠にこの紙が一番上でいいと思う。誰もめくらないでほしい。
「ツトム、電気消してくれる?」
母親の声が飛んでくる。ろうそくを吹き消す時が来たようだ。僕は相変わらず笑みを顔から零したまま、「うんっ」と頷いた。
ケーキを食べ終えると、僕は早速部屋の片付けに取り掛かった。
改めて見ると、僕の部屋は異常に散らかっていた。足の踏み場がなかなかない。動こうとしたら、棚にぶつかってしまった。
反動で、棚の上から物が落ちてくる。青痣がたくさんある右腕に落ちてきたので、僕は思わず呻き声を上げた。顔を顰め、落下物を確認する。それは自分の日記だった。僕は中身を振り返ることもせずに、それを段ボール箱の中に入れる。割と最近まで使っていたものだけど、今の僕に日記帳なんて必要ない。だから捨てる。
よく見たら、部屋の中はいらないものだらけだ。謎のロープ、カッターナイフ、絵の具で汚れまくっているブレザー……。全部いらない。全部段ボール箱の中に入れてしまおう。
僕は、誕生日の日だけ、強くなれる。
楽しいことほど時間は早く過ぎるって聞くけど、実際に身をもって感じる。昼食にピザ、夜にステーキを食べ、僕の誕生日はあっという間に過ぎていってしまった。
でも、誕生日はまたすぐに来る。なぜか僕にはその確信があった。だから、がっかりなんてしなかった。
最初のコメントを投稿しよう!