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「お茶でいい?」
「あ、ごめんなさい、ありがとう」
階段の踊り場で伊勢君の言葉に固まってしまった私を解いたのは、聞き飽きるほど聞いて耳に馴染んだチャイムだった。我に返った私にくすりと笑ったその顔は、周囲に見せている顔と全然違う色をしていて、ああこの人も同じか、とその時に気がついた。
「続き、放課後でも?」
そう聞かれて反射で頷いてしまったことを後悔しても後の祭り。じゃあね、と手を振る彼を見送って、視界から切れたところでようやく縫い付けられていた足が動き出した。
バスに乗って、少し山を登って、立派な石段の先にある伊勢くんのご実家である神社はこの地域の住む人にとってはなじみ深いものだ。事あるごとに街のあちこちで行われるお祭りや催し物を執り行っていたり、神社も開放してお祭りを開いたり。とはいえ敷地の奥に入ったのも、ましてや隣接されたパーソナルスペースに入るのなど初めてで、思わずきょろきょろと見回して伊勢くんに笑われてしまった。恥ずかしい。
通された部屋はどうやら客間のようで、おうち全体もそうなのだけれど明るい木目がとても温かい雰囲気を醸している。縁側から入りこむ風や夏を宿した光が、家の中にいてもなお、隣り合う自然を感じさせるようで、日常の煩わしさを忘れてしまいたくなるような心地よさを感じていた。
上質なことがまるわかりなふかふかの座布団に座って待っていたところに戻ってきた伊勢くんは、いつもの見慣れた制服から着流しというのだろうか、和服姿になっていた。濃紺の単衣が切れ長の目と姿勢の良いその背中と相まって、まだ夏のような空気なのに、伊勢くんの周りだけ涼し気で澄んだ空気が漂っているような気がした。
ぼーっと見ているうちに綺麗な所作で座った伊勢くんが、私の目の前にことりとグラスを置く。馬鹿みたいに暑い外ほど暑くはないにせよ、そこそこな温度があるこの空間でグラスもじわじわと汗をかいてくる。
「……どこから話そう」
やっぱり顔がいいなぁ。改めて正面から見ると、あれだけ騒がれるのも頷ける。そんなことを考えながらじっと顔を見つめていたら、苦笑した伊勢君が口を開いた。
どこから、というか私には伊勢君と神力と呼ばれる私の力がどう関係しているのかからまずわかっていなかった。彼が敵なのか味方なのか。母から聞いていた話の断片を記憶の奥深くから引きずり出して、その上で、まずは彼の立ち位置を確認しなければ、と思った。
「何がしたいか、からお願いします」
思いの外、いや思っていた通りなのか、堅い声に周りの空気がざわめく。落ち着こうと手を伸ばしたグラスの温度が余計私の心を固めていく。頬の筋肉を、眼の光を、指の先の細胞一つまでを型に押し込めて、動かないように。
その様子を見ながらやっぱり苦笑したままな伊勢君が口にしたのが「契約しない?」だった。
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